元和元年(1615年)、江戸初期の芸術家・本阿弥光悦が徳川家康より鷹峯の地を拝領し、工芸職人や文化人を集めた「光悦村」を営んだのが当寺の起源である。光悦は書・蒔絵・陶芸に卓越した巨匠であり、鷹峯の地は日本美術史上有数の文化サロンとして機能した。寛永14年(1637年)に光悦が没すると、その屋敷跡は日蓮宗の寺院として整備され、光悦寺と称されるようになったとされる。光悦自らが考案したとされる独特の竹垣「光悦垣」は創建当初の美意識を今に伝えるものとして受け継がれてきた。江戸時代を通じて日蓮宗の寺院として維持され、明治期以降も寺観が保たれた。境内には光悦の墓所が現存し、日本の美術・工芸史を語る上で欠か…