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腰越状の碑
神奈川県
義経が頼朝への弁明書「腰越状」を認めた地・兄弟悲劇の分岐点
創建
1185
種別
史跡
アクセス
江ノ電腰越駅から徒歩2分
鎌倉市腰越2
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基本情報
史跡
創建 1185
841年目
概要
元暦2年(1185年)、壇ノ浦で平家を滅ぼした源義経が鎌倉入りを拒まれ、腰越の満福寺に留め置かれた。ここで義経は兄・頼朝への弁明書「腰越状」を書き記したとされる。「身に覚えなき罪」を訴える切々たる内容は後世に語り継がれ、兄弟の悲劇的な確執の象徴となった。碑は満福寺近くの江ノ電腰越駅そばに建てられており、義経ゆかりの地として史跡散策の名所になっている。満福寺には腰越状の写しも現存する。江ノ電腰越駅から徒歩すぐの場所にある。
由緒
元暦2年(1185年)、源義経は壇ノ浦の戦いで平家を滅ぼした後、恩賞を求めて鎌倉入りを請うたが、兄・頼朝に拒まれ腰越の満福寺に留め置かれた。ここで義経は大江広元を通じて頼朝への弁明書「腰越状」を認めた。文書は「身に覚えなき罪をもって鎌倉に入ることを許されず」と切々と訴える内容で、源平合戦の英雄が置かれた悲劇的な状況を伝えている。しかし頼朝の翻意はなく、義経はやむなく都へと戻り、後に追われる立場となって文治5年(1189年)に奥州平泉で自害した。腰越状の写しは現在も満福寺に伝わり、兄弟の確執を示す一級史料として名高い。近代以降、この史実を顕彰する石碑が江ノ電腰越駅近くに建てられ、腰越が義経ゆかり…
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