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金戒光明寺・会津墓地
金戒光明寺・会津墓地
京都府
創建
1862
種別
寺院
基本情報
寺院
創建 1862
164年目
御祭神・御本尊
(会津藩士慰霊)
宗派
浄土宗
概要
金戒光明寺の会津藩墓地には、京都守護職として幕末の京都の治安維持に当たった会津藩士約300名が眠る。文久2年(1862年)に松平容保が京都守護職に任命され、金戒光明寺を本陣としたのが新選組結成のきっかけとなった。墓地には会津藩戦死者の慰霊碑や、鳥羽伏見の戦いの戦死者の墓が並び、幕末の悲劇を今に伝えている。毎年6月の會津まつりには会津若松から関係者が参列し慰霊が行われる。幕末ファンにとっては必訪の聖地であり、新選組ゆかりの地巡りのルートに含まれる。市バス「岡崎道」下車徒歩約10分、金戒光明寺境内に位置する。
由緒
金戒光明寺は、法然上人が比叡山を下りて最初に念仏を唱えたとされる地に建立された浄土宗の大本山であり、その草創は平安時代末期にさかのぼると伝わる。江戸時代初期には徳川家康によって城郭構造を持つ寺として整備され、幕府の要衝となった。幕末の文久2年(1862年)、第15代京都守護職に任命された会津藩主・松平容保が本陣をこの寺に置いたことで、歴史の転換点を迎える。同年、容保は浪士組を再編成・管理する組織の整備に関与し、これが後の新選組結成へとつながった。慶応4年(1868年)の鳥羽伏見の戦いで多くの会津藩士が戦死し、その遺骸が金戒光明寺の境内に葬られた。以降、境内の一角に設けられた会津藩墓地には約30…
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