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旧本所警察署(緑2丁目・両国)
東京都
明暦の大火後に開発された「新開地」両国・本所、忠臣蔵の舞台・北斎生誕・芥川龍之介誕生地が集積する江戸から近代を一望する歴史エリア
創建
1657
種別
史跡
アクセス
JR両国駅から徒歩5分
東京都墨田区両国・本所
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基本情報
史跡
創建 1657
369年目
概要
両国・本所エリアは明暦の大火(1657年)後に開発された「新開地」で、江戸時代には武家屋敷が立ち並ぶ武家の町として発展した。元禄15年(1703年)に赤穂浪士が討ち入った吉良上野介の屋敷跡(本所松坂町)をはじめ、忠臣蔵ゆかりの地が集中する江戸歴史の宝庫。江戸文化の担い手として葛飾北斎・芥川龍之介・国技館(相撲の聖地)が生まれた地でもある。現在は旧江戸東京博物館・両国国技館・回向院・吉良邸跡が隣接し、江戸文化を体験する観光エリアとして多くの来訪者を集める。歴史的な「旧本所警察署」の建築も残り、近代東京の歴史をも伝える。JR両国駅から徒歩5分。
由緒
両国・本所一帯は、明暦3年(1657年)の明暦の大火を契機に江戸幕府が復興・整備した「新開地」である。大火後、隅田川西岸に両国橋が架けられ、対岸の武蔵・下総両国にまたがる地として「両国」の地名が定着した。元禄期(1688〜1704年)には武家屋敷が立ち並ぶ武家の町として発展し、元禄15年(1703年)には赤穂浪士が吉良上野介の屋敷(本所松坂町)へ討ち入りを敢行、以後この地は忠臣蔵ゆかりの史跡として広く知られるようになった。江戸時代後期には葛飾北斎がこの地で生まれ育ち、近代には芥川龍之介が本所で誕生するなど、文化の薫り高い土地柄を示してきた。明治期には近代警察制度の整備とともに本所警察署が設置さ…
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