石川丈山(1583〜1672年)は三河出身の武士で、関ヶ原の戦い(1600年)では徳川家康に従軍したが、大坂冬の陣(1614年)の後に家康の勘気に触れて浪人となった。その後は京都・伏見で漢詩・書・茶道・庭園設計を深く研究し、文人としての境地を切り開いた。
寛永18年(1641年)、丈山は京都洛北の一乗寺に山荘を構えた。この山荘が「詩仙堂」と呼ばれるようになった由来は、中国の詩人36人(「詩仙」)の肖像画を四方の壁に掲げた「詩仙の間」に由来する。肖像は狩野探幽が描いたとされ、各人の詩が丈山の筆で添えられている。
庭園「百花塢(ひゃっかう)」は丈山自身が設計した池泉回遊式の庭で、白砂の枯山水と…