山崎の地は淀川(桂川・宇治川・木津川合流域)に臨む水陸交通の要衝で、飛鳥時代後半の7世紀後半には既に山崎廃寺と呼ばれる古代寺院が営まれていた。奈良時代、畿内各地で橋・池・布施屋などの社会事業を展開した僧・行基(668?-749)は、神亀2年(725)に師・道昭ゆかりの山崎橋を再興し、天平3年(731)にはその傍らに橋の管理と教化の拠点として山崎院を建立したと伝わる。山崎院は行基が各地に設けた「行基四十九院」の一つに数えられる。延暦3年(784)の長岡京遷都に際しては、山崎橋を経由する物資輸送が盛んに行われた。発掘調査では彩色壁画片や唐草文様、文字を線刻した瓦などが出土し、堂内の様相をうかがわせ…