京都市西京区大原野小塩町の西山中腹に位置する天台宗系単立(善峰観音宗)の山岳寺院で、西国三十三所第二十番札所。長元2年(1029年)、恵心僧都源信の弟子であった源算上人が47歳で当地に入山し、自作の千手観音像を本尊として開山した。長元7年(1034年)後一条天皇の勅願所となり「良峯寺」、後に後花園天皇によって「善峯寺」と改称。鎌倉後期に後嵯峨天皇皇子・慈道法親王が住して以来、青蓮院門跡管理下の西山宮門跡寺院として栄えた。応仁の乱で大半が焼失したが、5代将軍徳川綱吉の生母・桂昌院が大檀那となり元禄〜宝永(1690-1707年)に諸堂を再興。境内の天然記念物「遊龍の松」(樹齢600年超、全長37m)と京都市街を一望する絶景で名高い。
長元2年(1029年)、恵心僧都源信の弟子であった源算上人が47歳で当地に入山し、自作の千手観音像を本尊として開山。長元7年(1034年)には後一条天皇の勅願所となり「良峯寺」の寺号を賜った。後に後花園天皇が「善峯寺」と改称。鎌倉時代後期、後嵯峨天皇の皇子・慈道法親王が住して以降、青蓮院門跡の管理下に入り西山宮門跡寺院として栄え、室町時代には僧坊52を数える大寺となった。応仁の乱(1467-77年)で伽藍の大半が焼失し長く荒廃したが、江戸時代に5代将軍徳川綱吉の生母・桂昌院が大檀那となって元禄から宝永年間(1690-1707年)にかけて諸堂を再興。境内の天然記念物「遊龍の松」(樹齢600年超、…