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聖徳太子と十七条憲法——飛鳥時代の国家改革と世界遺産法隆寺
聖徳太子(574〜622年)は推古天皇の摂政として、604年に日本最初の成文法「十七条憲法」を制定した飛鳥時代の改革者です。「和を以て貴しと為す」の精神は今日も生き続け、世界最古の木造建築・法隆寺は世界遺産として残っています。法隆寺や四天王寺を訪ねて、1400年前の改革の息吹を感じてみましょう。
深く読み解く一冊
目次
MOKUJI
一
聖徳太子とはどんな人物か
›
二
十七条憲法——日本最初の成文法
›
三
法隆寺・四天王寺——太子が建てた寺院
›
四
法隆寺を訪れよう——聖徳太子の足跡をたどる
›
五
よくある質問
›
聖徳太子絵像——勝鬘経講讃図。「和を以て貴しと為す」の十七条憲法を制定した飛鳥時代の改革者
Wikimedia Commons / Public Domain
「和を以て貴しと為す」——この言葉を知らない日本人はほとんどいないでしょう。604年、
聖徳太子
が制定した
十七条憲法
の第一条です。飛鳥時代に生きた太子の思想は、1400年以上の時を超えて現代日本の精神の根底に流れ続けています。
聖徳太子とはどんな人物か
厩戸皇子として生まれ、摂政となる
聖徳太子は574年(敏達天皇3年)、用明天皇の第二皇子として生まれました。幼名は**厩戸皇子(うまやどのみこ)**といい、母が宮殿の馬屋(厩)の前で産んだという伝説からこの名がついたとされます。
593年(推古天皇元年)、叔母の
推古天皇
が日本初の女帝として即位すると、太子は**摂政(せっしょう)**に任じられ、天皇に代わって国政を動かす立場となりました。この時、太子はまだ20歳頃。若き指導者が、日本の国づくりに乗り出します。
「一度に十人の話を聞き分けた」伝説
聖徳太子の名声を高めた逸話の一つが、**「一度に十人の話を同時に聞き分けた」**という超人的な聡明さの伝説です。10人が同時に別々のことを申し出ても、太子はすべてを正確に聞き取り、正確に返答したといいます。
法隆寺(奈良県斑鳩町)——聖徳太子が607年頃に創建した世界最古の木造建築。ユネスコ世界文化遺産
Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
旧一万円札の肖像にも採用されるほど、聖徳太子は日本人に最も親しまれてきた歴史的人物の一人です。仏教・儒教の典籍を深く学んだとも伝わり、法華経など三経の注釈書(三経義疏)を著したとも言われています。
十七条憲法——日本最初の成文法
「和を以て貴しと為す」の思想
604年(推古天皇12年)、聖徳太子は
十七条憲法
を制定しました。これは日本最初の成文法規範とされています。
十七条の内容は、仏教と儒教の精神を基盤とした官僚道徳の規範集です。「お互いを尊重し、争いを避けよ」「天皇の命令には必ず従え」「民を苦しめる地方官は不正だ」——当時の官人(役人)が守るべき行動規範が17か条にまとめられています。
条
内容(要約)
第一条
和を以て貴しと為す。争いを避け、協調を重んじよ
第二条
仏法僧の三宝を篤く信仰せよ
第三条
天皇の詔(みことのり)には必ず従え
第四条
役人は礼をもって基本とせよ
第十条
心の怒りを捨て、面の怒りを表すな
第十七条
大事は一人で決めず、衆と論議せよ
法隆寺金堂・釈迦三尊像——飛鳥時代を代表する国宝仏像。聖徳太子の病気平癒を祈って造られたと伝わる
Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
第一条の「和を以て貴しと為す」は、仏教や儒教の思想を踏まえながら、太子が独自に打ち出した日本の統治哲学です。この精神は今日の日本社会にも「和の精神」として根付いています。
冠位十二階——能力による人材登用
604年には
冠位十二階
も制定されました。従来の氏族(うじ)の家柄によらず、
個人の能力と功績
によって官僚を登用するという、当時としては革新的な仕組みです。
位
色
大徳
紫
小徳
紫(薄)
大仁
青
小仁
青(薄)
大礼
赤
小礼
赤(薄)
大信
黄
小信
黄(薄)
大義
白
小義
白(薄)
大智
黒
小智
黒(薄)
家柄ではなく徳・仁・礼・信・義・智という儒教の徳目に基づいた等級。これが後の律令制度への道を開きました。
法隆寺・四天王寺——太子が建てた寺院
世界最古の木造建築・法隆寺
聖徳太子が建立した寺院の中でも特に重要なのが、
法隆寺
(奈良県斑鳩町)です。607年頃に創建されたとされ、現存する世界最古の木造建築として
ユネスコ世界文化遺産
に登録されています。
法隆寺金堂——世界最古の木造建築の一つ。飛鳥時代の建築技術と仏教文化の粋が凝縮された国宝建築
Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
法隆寺の西院伽藍には、金堂・五重塔が現存しています。1400年前の飛鳥時代の建築が、今もそのままの姿で立っているのです。金堂には飛鳥時代を代表する仏像・釈迦三尊像が安置されています。
四天王寺——日本最古の官寺
四天王寺
(大阪市天王寺区)は、593年に聖徳太子が建立した日本最古の官寺とも言われます。太子は物部守屋との戦いに際して四天王に祈願し、勝利の暁に建立を誓ったと伝わります。
中宮寺
(奈良県斑鳩町)は法隆寺に隣接する尼寺で、太子の母・穴穂部間人皇女の御所跡とも伝わります。半跏思惟像(弥勒菩薩)は飛鳥時代の最高傑作の仏像として有名です。
四天王寺(大阪市天王寺区)——593年に聖徳太子が建立した日本最古の官寺の一つ。仏教文化普及の拠点
Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
法隆寺を訪れよう——聖徳太子の足跡をたどる
法隆寺
は奈良県生駒郡斑鳩町に位置し、JR大和路線「法隆寺駅」からバスで約5分です。世界遺産の境内では、飛鳥時代の建築・仏像・工芸品が驚くほどよい保存状態で残っています。
•
西院伽藍
: 世界最古の木造建築群。金堂・五重塔・中門が一体となった伽藍配置
•
東院伽藍(夢殿)
: 太子を祀る八角形の堂。救世観音像が安置されている
•
大宝蔵院
: 百済観音・玉虫厨子など国宝級の宝物が展示される
聖徳太子の記録
と
推古天皇の足跡
をあわせて学ぶと、飛鳥時代の国づくりの全体像が見えてきます。
よくある質問
聖徳太子と推古天皇の関係は?
聖徳太子は推古天皇(叔母にあたる)の
摂政
として、593年から622年まで国政を主導しました。推古天皇は日本初の女帝で、太子と協力して仏教の振興や中国文化の積極的な導入を推進しました。二人が手を携えて進めた改革が、飛鳥時代の文化的黄金期を生み出しました。
十七条憲法は現代の憲法と同じものですか?
現代の憲法のように国民の権利を保障するものではなく、
官僚(役人)が守るべき道徳的規範
をまとめたものです。仏教・儒教の教えを基盤とした倫理的指針であり、「法律」というよりは「教え」に近いものでした。それでも日本最初の成文法として、後の律令制度の整備に大きな影響を与えました。
法隆寺はなぜ世界最古の木造建築なのですか?
法隆寺の西院伽藍(金堂・五重塔)は7世紀初頭(607年頃)の創建とされており、現存する世界最古級の木造建築です。一度火災で焼失し7世紀末に再建されたとする説もありますが、いずれにせよ1300年以上前の木造建築が現存することは世界的に見ても極めて稀です。1993年にユネスコ世界文化遺産に登録されています。
最終更新日:2026年6月3日
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この記事の人物
聖
聖徳太子
十七条憲法の聖人
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聖
聖徳太子
摂政・十七条憲法
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詣
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記事で読んだ歴史は、現地に立つとさらに深く実感できます。下のスポットや巡礼コースから、次の参拝先を選んでみませんか。
1. 法隆寺
聖徳太子が創建した世界最古の木造建築群・日本初の世界遺産・飛鳥仏教美術の精髄が揃う
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2. 四天王寺
聖徳太子が593年に建立した日本最古の官寺・四天王寺式伽藍配置の原点
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3. 中宮寺
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