弘法大師とは、延喜21年(921年)に醍醐天皇より空海に贈られた諡号(しごう)を意味します。生前の名である「空海」と、没後に与えられた「弘法大師」——この二つの呼び名が、同一人物の異なる側面を照らし出しています。「空海」は密教の修行者として法を求めた求道者の名であり、「弘法大師」は没後も衆生を救いつづける永遠の聖者の名といえるでしょう。
空海は宝亀5年(774年)、讃岐国多度郡(現・香川県善通寺市)に生まれました。幼名は佐伯眞魚(さえきのまお)。15歳で上京して儒学を学び、18歳頃からは仏道修行に専念します。延暦23年(804年)、31歳のときに遣唐使船で唐に渡り、長安の青龍寺で恵果和尚(けいかかしょう)より密教の奥義を伝授されました。恵果は「あなたこそ私の後継者だ」と言い残してほどなく遷化したとされます。空海は恵果から金剛界・胎蔵界の両部大法を授かり、わずか2年余りで密教のすべてを修得して帰国しました。
帰国後の空海は、嵯峨天皇の信任を得て真言密教を日本に根付かせていきます。弘仁7年(816年)には高野山を開創し、弘仁14年(823年)には東寺を天皇から下賜されて真言密教の根本道場としました。承和2年(835年)3月21日、空海は高野山奥之院において入定(にゅうじょう)——永遠の禅定に入ったとされ、今も生身のまま瞑想を続けて衆生を済度しているという信仰が1,200年以上にわたって脈々と生きつづけています。
空海が開いた聖地は、それぞれ異なる祈りの形を体現しています。
高野山奥之院は、空海が今も入定を続けるとされる御廟が鎮座する場所であり、日本仏教最高の聖地です。樹齢千年を超える杉の巨木と20万基を超える石塔が並ぶ参道は、生と死、時間と永遠が交差する特別な空間です。
高野山壇上伽藍は、空海が真言密教の根本道場として最初に整備した境内中心部で、根本大塔をはじめとする堂塔が曼荼羅の世界観を地上に表現しています。
東寺(教王護国寺)は、平安京の南端に位置し、空海が国家鎮護の祈りを担った寺院です。講堂に安置される21体の仏像群は、立体曼荼羅として世界に類を見ない密教美術の頂点とされています。
即身成仏(そくしんじょうぶつ)とは、「この身このままで仏となる」という真言密教の根本思想を意味します。禅宗や浄土宗が「悟り」や「往生」を将来の目標として示すのに対し、真言密教は現世においてこの身体のまま仏の境地に至ることを目指します。身・口・意の三密(さんみつ)——身体で印を結び、口で真言を唱え、心に本尊を観想する——この三つを行者が仏の三密と相応させることで、即身成仏が実現するとされます。
曼荼羅(まんだら)は、仏の世界を図示したものです。空海が唐からもたらした両部曼荼羅は、金剛界曼荼羅(宇宙の根本的真理・知恵の世界)と胎蔵界曼荼羅(現象世界・慈悲の世界)の二つから成り、この二つが一対となって密教の宇宙観を表現しています。高野山の根本大塔は建物そのものが立体曼荼羅であり、東寺の講堂の仏像群もまた立体曼荼羅として空間全体で密教の世界を体現しています。