慶長期から江戸末期にかけての二百数十年間、名古屋城下は徳川御三家の筆頭が治める「準都」としての機能を担った。尾張藩は独自の学問・文化を育て、名古屋本草学・尾張絵画など独自の文化圏を形成した。この知的蓄積は、幕末期に国学・蘭学の双方で人材を輩出した基盤ともなっている。
城下の宗教施設を巡ることは、江戸期の都市計画——すなわち城を中心とした宗教的・軍事的空間配置——を読み解く実地学習でもある。熱田神宮(南の精神的要衝)・大須観音(西南の仏教拠点)・建中寺(東の菩提寺)という配置は、城を中心とした四方守護の思想を体現している。この種の都市宗教地政学は、江戸・京都・大阪など主要都市に共通するパターンであり、名古屋はその典型例として建築史・都市史の研究者から注目されている。
名古屋を歴史の視点から訪れる者にとって、城と寺社の関係性を読み解くことは、江戸期日本の統治構造そのものへの理解を深める。単なる名所観光ではなく、支配の論理を空間から読む体験として、この城下町の史跡群は今日においても一級の「歴史教材」であり続けている。城下町の整備と宗教施設の配置は、藩主の統治方針を視覚化する手段でもあった。