貞観18年(876年)、嵯峨天皇の離宮であった嵯峨院を、皇女の正子内親王が寺院に改めたのが大覚寺の始まりとされる。創建当初より天皇または皇族が住職を務める門跡寺院として高い格式を誇り、真言宗大覚寺派の大本山として発展した。境内の大沢池は嵯峨天皇が中国の洞庭湖を模して造らせたと伝わり、日本最古の庭池とされる。鎌倉時代末期から南北朝時代にかけては亀山天皇・後宇多天皇ら大覚寺統の拠点となり、14世紀半ばには南朝の後村上天皇が当寺を御座所と定め「嵯峨御所」と称された。近世には豊臣秀吉や徳川幕府の庇護を受け、17世紀初頭に狩野山楽が堂内の障壁画を制作した。明治の神仏分離令により一時的な混乱を経たものの、…