長保5年(1003年)、橘行平が因幡国(現在の鳥取県)への赴任の帰途、海岸に光を放つ薬師如来像を感得し、京都へ持ち帰って堂を建てて祀ったのが創建の起源と伝わる。寺は行平の屋敷跡に建立されたとされ、「因幡堂」の通称はこの由来に基づく。正式には平等寺と称し、真言宗智山派に属する。中世には火災や戦乱による被害を受けながらも都市民の信仰を集め続けたと伝わる。近世には豊臣・徳川期を通じて庶民信仰の拠点として存続し、病気平癒・がん封じの霊験が広く知られるようになった。洛陽三十三所観音巡礼の第27番札所として、巡礼者の参詣も絶えなかった。本尊の薬師如来立像は重要文化財に指定されており、創建当初から伝わる像と…