文久2年(1862年)、公家の岩倉具視は攘夷派の圧力により朝廷を追われ、洛北・岩倉村に蟄居を命じられた。孝明天皇の意を受け和宮降嫁を主導したが、攘夷一色の政局の中で激しく非難されたためである。以後5年にわたり、岩倉はこの地の旧宅に隠棲しながら、訪れる志士たちと秘かに倒幕・王政復古の方策を練り続けた。蟄居中も読書と学問を怠らず、書庫「対岳文庫」には収集した多数の書籍が保管された。慶応3年(1867年)に政治情勢が変転すると岩倉は赦免され、大政奉還・王政復古の大号令を導く中心的役割を果たした。明治維新後は新政府の重鎮として右大臣に就き、明治4〜6年(1871〜1873年)には岩倉使節団を率いて欧米…