寺伝によれば、永禄3年(1560年)に浄土宗の僧・信誉暁把が五条東洞院の地に草創したのが始まりとされる。天正13年(1585年)、豊臣秀吉が京都の都市改造を進めて寺院を一区画に集める「寺町」を形成すると、当寺もこれに従って現在の寺町通高辻下ル東側へ移転した。江戸時代を通じて、京の市中引き回しの上で処刑される罪人は、六条河原の刑場へ向かう途中にこの寺へ立ち寄るのが習いとされた。罪人はここで仏門に入る戒律を授けられ、現世で最後となる一杯の水を与えられてから刑場へ送られた。この「最期の受戒」の慣行から、当寺は「果ての二十日寺」の異称で語り継がれた。中興の祖は信誉隣水と伝わる。境内には江戸時代の俳人・…