天平3年(731年)、光明皇后が平城宮の鬼門(東北)を守護する寺として創建した。寺地は藤原不比等の旧邸宅跡に当たるとされる。寺名は、同時期に活躍した留学僧・玄昉が唐からの帰国途上に暴風雨に遭い、海龍王経を誦して難を逃れたという故事に由来すると伝わる。創建当初から皇室との関係が深く、奈良時代を通じて法相宗の寺院として維持された。中世には兵乱や火災による衰退が伝えられるが、詳細は不明な点が多い。近世には興福寺の末寺として復興が図られたとされる。現存する国宝の五重小塔は天平時代の作とみられ、高さ約4メートルの精緻な木造模型塔であり、当時の建築技術を伝える極めて貴重な遺構である。本尊の十一面観音立像は…