脇坂安治(1554–1626年)は近江国出身の武将で、豊臣秀吉に仕え賤ヶ岳の戦い(1583年)で七本槍の一人に数えられた。文禄・慶長の役(1592–1598年)にも水軍指揮官として参加し、関ヶ原の戦い(1600年)では西軍から東軍へ寝返ることで大名として生き残った。隣華院は関ヶ原前年の慶長4年(1599年)に建立されており、激動の時代に武将が自らの後世を見据えて禅寺に帰依した典型例である。開山の南化玄興は妙心寺の高僧で、豊臣政権下の多くの武将・公家と交流をもった名僧。長谷川等伯は安土桃山・江戸初期の絵師で、狩野派に対抗した大画家。その作品が隣華院に秘蔵されることは、等伯が妙心寺塔頭と深い関わり…