名古屋市熱田区白鳥に位置する6世紀初頭(古墳時代後期)の**前方後円墳**。全長70m・後円部径45m(高6.5m)・前方部幅55m(高7m)の規模を持つ。熱田神宮では**白鳥御陵**と称し、日本武尊(ヤマトタケル)の陵墓に比定する伝承を持つ。『日本書紀』『古事記』によれば、東征から帰る途上で能褒野(三重県)に没した日本武尊の魂は**白鳥**に化身して飛び立ち、大和・河内を経て最終的に尾張に降り立った——その地が当古墳とされる(「白鳥三陵」の一つ)。毎年**5月8日**に熱田神宮による御陵墓祭が執り行われ、境内の末社・法持寺住職も合同で奉仕する慣行が続く。考古学的には6世紀初頭の**尾張氏首長**の墓と解釈され、天保8年(1837年)の台風で巨木が倒れて石室が露出した際には直刀・鉄鉾・大鈴鏡・轡・勾玉・銅鏡・須恵器など多数の副葬品が発見された。東海最大の断夫山古墳(全長151m・隣接)と対…
白鳥古墳は6世紀初頭(古墳時代後期)に築造された前方後円墳で、熱田台地の南端に位置する。墳丘は全長70m・後円部径45m・高6.5m・前方部幅55m・高7mを測り、周囲に周濠(空堀)が巡っていたと考えられる。
**熱田神宮の伝承**では、日本武尊が東征帰路に能褒野(現・三重県亀山市)で崩御した後、その魂が白鳥となって飛翔し、大和・河内を経て尾張にまで飛んで来た最後の降着地がこの地とされ、「白鳥御陵」として古くから崇敬されてきた。三重の能褒野王塚古墳・当古墳・奈良県御所市の白鳥陵古墳を合わせて「白鳥三陵」と呼ぶ。熱田神宮は毎年5月8日に御陵墓祭を執行し、隣接する法持寺(ほうじじ)も合同奉仕する…