寺伝によれば、明応元年(1492)に真盛上人が高野山の苅萱堂(かるかやどう)に模して新町高辻に創建したのが始まりで、当初は天台宗の萱堂(かやどう)と称した。のちに光順上人が浄土宗に改めた。本尊は快慶作と伝わる「負別(おいわけ)阿弥陀如来」で、これが山号「負別山」の由来となっている。地蔵堂に祀る「駒止地蔵」は弘法大師の作と伝わり、もと六条の刑場に安置されていたが、洪水で土中に埋もれた際、平清盛の馬が六条で動かなくなり、その地を掘ると地蔵が現れたという伝説からその名がついたとされる。豊臣秀吉の京都改造で現在地へ移り、境内には関ヶ原の戦いと大坂の陣で活躍した土佐の武将・長宗我部盛親(1575-161…