瑞泉寺の創建は文禄4年(1595年)にさかのぼる。豊臣秀吉は天下統一後、甥の秀次(1568〜1595年)を関白・太政大臣に据えて後継者と定めた。しかし文禄2年(1593年)に秀吉の実子・秀頼が誕生すると情勢が変わり、文禄4年(1595年)、秀次は突然謀反の疑いをかけられた。秀次は弁明もままならぬまま高野山に蟄居させられ、7月に自刃した(享年27歳または28歳)。
秀次の自刃後、秀吉の命によって秀次の妻子・妾(侍妾)・侍女ら37名が三条河原(現在の三条大橋付近の鴨川河原)で公開処刑された。女性・子どもを含む大量処刑は当時の人々に深い衝撃を与え、秀吉の残虐さを示す出来事として後世に記録された。
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