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大化の改新と天智天皇——乙巳の変から律令国家誕生までの激動の物語
645年、中大兄皇子は中臣鎌足と手を組み、権勢を誇った蘇我入鹿を宮廷で暗殺しました(乙巳の変)。この事件を契機に始まった「大化の改新」は、日本初の年号制定・公地公民制・班田収授法など画期的な改革を断行し、律令国家の礎を築きました。談山神社・近江神宮・石上神宮を旅しながら、天智天皇の壮大な国家建設の歩みを追いましょう。
深く読み解く一冊
目次
MOKUJI
一
乙巳の変(645年)——権力者・蘇我入鹿の暗殺
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二
大化の改新——日本最初の大改革
›
三
白村江の戦い(663年)——朝鮮半島での大敗
›
四
中大兄皇子ゆかりの地を訪ねよう
›
五
よくある質問
›
天智天皇(狩野探幽画)——大化の改新を断行し律令国家の礎を築いた第38代天皇
Wikimedia Commons / Public Domain
中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)
——後に天智天皇(てんじてんのう)となるこの人物は、7世紀中頃の日本を根本から変えた改革者です。蘇我氏による専横政治に終止符を打ち、天皇中心の律令国家という新しい国の形を作り上げた「大化の改新(たいかのかいしん)」は、現在の日本の礎の一つとなっています。
乙巳の変(645年)——権力者・蘇我入鹿の暗殺
蘇我氏の専横
7世紀前半の日本では、**蘇我氏(そがし)
が強大な権力を握っていました。蘇我馬子が聖徳太子と協力して政治を推進した時代を経て、その後継者である
蘇我蝦夷(そがのえみし)
と
蘇我入鹿(そがのいるか)**の父子は、天皇家をも凌ぐ権勢をほしいままにするようになります。蘇我入鹿は645年、山背大兄王(聖徳太子の子)を自害に追い込み、朝廷内における蘇我氏の支配を決定的なものにしました。
鎌足との密議——談山での誓い
この状況に危機感を持ったのが、天皇家の皇子である
中大兄皇子
と、儒学・外交に明るい官人の**中臣鎌足(なかとみのかまたり)**です。二人は談山(現在の奈良県桜井市・多武峰)で蹴鞠(けまり)の宴の場で密かに出会い、打倒蘇我氏を誓ったとされています。現在この地には
談山神社(たんざんじんじゃ)
が鎮座しており、藤原氏(中臣鎌足の子孫)の祖廟として「大化改新の談合の地」を今に伝えています。
談山神社——中大兄皇子と中臣鎌足が蹴鞠の宴で出会い大化改新を誓ったとされる多武峰の社
Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
乙巳の変——大極殿での決行
645年(皇極4年)6月、中大兄皇子と鎌足らは宮廷の大極殿において実行に踏み切りました。三韓(百済・新羅・高句麗)からの使節が朝貢する儀式の場で、中大兄皇子みずから剣を抜いて蘇我入鹿に斬りかかり、入鹿は宮廷内で誅殺されました。翌日、父の蝦夷も屋敷に火を放って自害し、蘇我宗家はここに滅びました。この政変を**乙巳の変(いっしのへん)**と呼びます。現在の奈良・
飛鳥宮跡
がその舞台となった宮殿の跡地です。
大化の改新——日本最初の大改革
乙巳の変の後、孝徳天皇が即位し、中大兄皇子は皇太子として政権の実権を握りました。翌645年、日本初の元号「
大化(たいか)
」が定められ、改革の詔(みことのり)が次々と発布されました。
改革の内容
改革項目
内容
意義
元号の制定
「大化」(645年)が日本最初の元号
天皇中心の時間概念の確立
公地公民制
土地と人民はすべて国家(天皇)のもの
豪族による私有地・私民の廃止
班田収授法
6歳以上の男女に口分田を支給
農民への土地配分と税制整備
租庸調制
稲・布・労役による税制
国家財政の統一的な基盤整備
郡(評)制
国・郡・里の地方行政制度
中央集権的な地方支配の確立
近江令の制定
668年に天智天皇として即位した中大兄皇子は、**近江令(おうみりょう)**と呼ばれる日本初の体系的な法典の制定にも着手しました。近江令の内容は後世に残っていませんが、この取り組みが後の大宝律令(701年)・養老律令(718年)へとつながる律令国家形成の出発点となったと評価されています。
藤原鎌足(中臣鎌足)——大化改新の共謀者にして藤原氏の祖、死の直前に「藤原」の姓を賜った
Wikimedia Commons / Public Domain
天智天皇は大津京(現在の滋賀県大津市)に都を遷し、671年には**漏刻(ろうこく)**と呼ばれる水時計を設置して臣民に時刻を知らせました。この功績から天智天皇は「日本の時刻制度の祖」とされ、大津に鎮座する
近江神宮
はその遺徳を祀る神社として知られています。近江神宮は競技かるたの聖地としても有名で、映画「ちはやふる」の舞台としても若い世代に親しまれています。
白村江の戦い(663年)——朝鮮半島での大敗
飛鳥寺——蘇我馬子が建立した日本最初の本格的寺院。蘇我氏の権威の象徴でもあった飛鳥時代の遺産
Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
大化の改新の後、中大兄皇子(天智天皇)は国際的な難局にも直面しました。660年に百済(くだら)が新羅・唐の連合軍に滅ぼされると、百済の遺臣たちは日本に救援を求めました。中大兄皇子は大軍を派遣しますが、663年の
白村江(はくすきのえ)の戦い
で唐・新羅の連合艦隊に大敗。日本は初の「国際的敗戦」を喫しました。
この大敗を受けて、天智天皇は九州の大宰府を防衛強化し、朝鮮式山城(水城・大野城など)を各地に築きました。また百済からの亡命者(渡来人)を積極的に受け入れ、彼らの持つ文化・技術を国家建設に活かしました。
石上神宮
(奈良県天理市)は、この時代に百済から伝来した「七支刀(しちしとう)」を所蔵することでも知られる由緒深い神宮です。
中大兄皇子ゆかりの地を訪ねよう
•
近江神宮
(滋賀県大津市)——天智天皇を祭神として祀る神宮。漏刻の歴史と競技かるたの聖地。
•
談山神社
(奈良県桜井市)——中大兄皇子と中臣鎌足が大化改新を誓った談山の地。
•
石上神宮
(奈良県天理市)——七支刀を所蔵する日本最古の神宮の一つ。
•
飛鳥宮跡
(奈良県明日香村)——乙巳の変の舞台となった飛鳥板蓋宮の跡地。
•
飛鳥寺
(奈良県明日香村)——蘇我馬子が建立した日本最初の本格的寺院。飛鳥時代の息吹を感じられる。
弟の
大海人皇子
(後の
天武天皇
)は、天智天皇の死後に壬申の乱(672年)を経て即位し、律令国家の完成に向けてさらに改革を推進しました。天智・天武・
持統天皇
へと続く系譜は、古代日本国家形成の中心軸です。
石上神宮——百済から伝来した七支刀を所蔵する日本最古の神宮の一つ。飛鳥時代の国際交流を伝える聖地
Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
よくある質問
大化の改新と乙巳の変の違いは何ですか?
「乙巳の変(645年)」は中大兄皇子が蘇我入鹿を暗殺した政変(クーデター)そのものを指します。一方「大化の改新」は、乙巳の変をきっかけとして行われた一連の国家改革(元号制定・公地公民制など)の総称です。かつては645〜701年の大宝律令制定までを「大化の改新」と広義に呼ぶこともありましたが、現在の教科書では「乙巳の変」と「大化の改新(の詔)」を区別して教えることが多くなっています。
中臣鎌足はなぜ「藤原氏の祖」なのですか?
中臣鎌足は死の床で天智天皇から「藤原」の姓を贈られました(669年)。その子・藤原不比等(ふじわらのふひと)が大宝律令の編纂に深く関わり、以後藤原氏は平安時代に至るまで摂関政治を担う日本最大の貴族家門として隆盛を誇ります。大化改新の時代にその萌芽がありました。
近江神宮の「かるた」との関係は?
天智天皇は百人一首の第一番「秋の田のかりほの庵の苫をあらみ わが衣手は露にぬれつつ」の作者とされています。そのため百人一首の「かるた」競技の聖地として近江神宮が選ばれ、毎年1月に全国名人位・クイーン位決定戦が開催されています。
最終更新日:2026年6月3日
── 了 ──
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この記事の人物
中
中大兄皇子
大化の改新の立役者・天智天皇
›
詣
ゆかりの地を訪ねる
記事で読んだ歴史は、現地に立つとさらに深く実感できます。下のスポットや巡礼コースから、次の参拝先を選んでみませんか。
近
1. 近江神宮
天智天皇を祭神とし、天皇が都を置いた大津京の跡地に昭和15年(1940年)に創建された神社
›
2. 飛鳥寺
蘇我馬子が創建した日本最古の本格仏寺・止利仏師鋳造の日本最古の仏像「飛鳥大仏」が現存
›
3. 談山神社
鎌足と鎌足を祀り大化の改新の密談の地・世界唯一の木造十三重塔と紅葉が競演する「関西の日光」
›
4. 石上神宮
日本最古の神宮の一つ・国宝「七支刀」を蔵する武門の守護・神剣の霊力が今も感じられる古社
›
飛
5. 飛鳥宮跡
乙巳の変・天武天皇の律令国家構築の舞台となった7世紀の歴代天皇宮殿跡・国の史跡
›
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