英勝寺が立つ扇ヶ谷の地は、室町時代の名武将・太田道灌の屋敷跡と伝わります。「江戸城を築いた名将」として知られる太田道灌は鎌倉とも深いゆかりがあり、その縁がこの地の選定に大きく影響しました。
英勝院(お勝の方)は太田道灌の五世の孫とされる女性で、徳川家康に仕えた側室です。家康の没後、出家して英勝院を名乗り、寛永13年(1636年)、先祖・道灌ゆかりのこの地に浄土宗の尼寺として英勝寺を開創しました。徳川家康の意志を受け継いだ形での創建であり、英勝院の強い意志と財力が伽藍整備を支えました。
創建以来、住持は代々水戸徳川家の女性から迎えられてきたため、地元では「水戸様の尼寺」と親しまれてきました。明治維新後に水戸徳川家との縁が途絶えましたが、現在も浄土宗の尼寺として法灯を守り続けています。
俳人・高浜虚子は鎌倉に長く居を構え、英勝寺にもたびたび足を運びました。「木々の芽や寺復興の尼悲願」の句はその折に詠まれたと伝わり、明治期に他所へ移された山門を元の場所に取り戻そうとする尼僧たちの悲願を詠んだものです。