徳川家康は慶長二十年(1615年)の大坂夏の陣を経て元和二年(1616年)に没した後、「東照大権現」として神格化された。日光東照宮がその総本社として建立されたことは広く知られているが、東照大権現は全国各地の神社に配祀された。
瀬戸神社の祭神一覧にも東照大権現(徳川家康)の名が記されている。頼朝が創建した海の守護社に、後に武家政権の後継者たる家康が神として祀られるに至った——この事実は、単なる偶然ではなく、瀬戸神社と徳川将軍家の関係が江戸時代を通じて深く醸成された結果と解釈するのが妥当である。
瀬戸神社に隣接する龍華寺(金沢八景)にも、家康ゆかりの伝承が残る。天正十九年(1591年)、家康が金沢を遊覧した折に龍華寺に宿泊したとされ、この寺にも寺領五石の朱印地が与えられた。
神社と寺院の両方に朱印地を与えるという行為は、家康が金沢の地を単に通過したのではなく、意識的にその宗教的権威構造を整備したことを示唆する。瀬戸神社と龍華寺は、いずれも頼朝や鎌倉幕府に深く連なる施設であり、家康による朱印地発給はこれらの歴史的権威を徳川政権が引き継ぐという意思表示と読み取ることができる。
称名寺は、金沢北条氏・北条実時が建立した真言律宗の寺院で、国の史跡に指定された庭園が現存している。北条実時が収集した膨大な書物は「金沢文庫」として現代に伝わり、関東の中世文化を考えるうえで欠かすことのできない資料群となっている。
称名寺もまた金沢八景周辺の史跡として、瀬戸神社と同じ歴史的文脈の中に位置づけられる。金沢北条氏が氏神として瀬戸神社を奉斎し、菩提寺として称名寺を営んだ——この二つの施設を併せて巡ることで、鎌倉時代の金沢の姿が立体的に浮かび上がる。