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高野山奥之院
和歌山県
空海が今も瞑想を続けるとされる聖廟・20万基の石塔が並ぶ日本仏教最高の聖地
創建
835
種別
寺院
アクセス
高野山奥の院前バス停から徒歩すぐ
和歌山県伊都郡高野町高野山550
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基本情報
寺院
創建 835
1191年目
宗派
高野山真言宗
概要
高野山の最奥部に広がる弘法大師空海の御廟が鎮座する日本仏教最高の聖地。承和2年(835年)、空海は高野山に入定(永遠の禅定に入ること)し、今も生身のまま瞑想を続けていると信じられている。一の橋から御廟までの約2キロの参道には、樹齢千年を超える杉の巨木と20万基を超える石塔・墓石が並ぶ。織田信長・武田信玄・豊臣秀吉・徳川家康ら戦国武将から皇族・高僧まで、日本史上の重要人物の供養塔が数多く並ぶ奇観は他に類を見ない。世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の中核。
由緒
弘仁7年(816年)、嵯峨天皇より高野山の地を賜った空海(弘法大師)は、真言密教の根本道場としてこの地の開創に着手した。承和2年(835年)3月21日、空海は高野山奥之院において入定(永遠の禅定)に入ったとされ、今も生身のまま衆生済度のために瞑想を続けていると信じられている。御廟はその入定の地に営まれた。平安時代以降、皇室・公家の帰依を受けて聖地としての権威が高まり、多くの参詣者が訪れるようになった。中世には武家の信仰も集め、戦国大名をはじめとする武将たちが相次いで供養塔を建立した。近世には徳川幕府の保護を受けて堂塔の整備が進み、参道周辺の石塔・墓碑は20万基を超えるに至った。明治初期の神仏分…
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お祭り・行事
2

8月
13
高野山 万灯会
約10万本のロウソクが参道と奥之院を照らす幻想的な供養の夜。弘法大師の御廟前で祈りを捧げる。
もっと詳しく · 1

ゆかりの人物
3

前田利家
加賀百万石の祖
高野山奥之院の参道には前田利家と妻まつ(芳春院)の宝篋印塔が並んで建てられている。29町石の南西約20メートルの参道脇に位置するこの2基は、まつが夫・利家の菩提を弔うためと自身の逆修(生前の供養)のために建立したもの。利家の塔には慶長22年(1617年)の刻銘がある。「加賀百万石」を築いた武将が、真言密教の霊山に永代の供養を受ける姿は、加賀前田家の深い信仰心を今に伝える。
長宗我部元親
四国の覇者
高野山奥之院には長宗我部元親と、天正14年(1587年)の戸次川の戦いで戦死した嫡男・信親(法名:天甫寺常舜禅定門)の供養塔がある。元親は合戦後、使者を島津の陣に送って信親の遺骸を引き取り、その高野山奥之院に納めた。享年22で散った信親の死は元親に深刻な打撃を与え、「一日中戻らず泣き崩れた」と伝わる。その後、遺骨の一部は高知市長浜(元親墓と同じ地)にも分骨された。四国を震わせた武将一族の父子が、空海の御廟近くで静かに並んで眠る。
豊臣秀長
大和大納言
高野山奥之院の参道には豊臣家墓所があり、天下統一を支えた秀吉の弟・大納言豊臣秀長の供養塔も静かに祀られている。秀長は天正19年(1591年)に大和郡山で病没し、墓所は大和郡山の大納言塚に営まれたが、真言密教の聖地である高野山にも一族の供養塔が建てられた。「内々のことは秀長に」と諸大名に頼られた名補佐役は、兄・秀吉や母・大政所ら豊臣一族とともに、空海の御廟に近いこの聖域で永代の供養を受けている。
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