聖地マップ
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8100 件のスポット
東京都(888)
伊
伊豆美神社
東京都狛江市中和泉3-21-8
→
猪
猪方小川塚古墳
東京都狛江市猪方3丁目(猪方小川塚古墳公園)
→
兜
兜塚古墳
東京都狛江市中和泉3-749
→
む
むいから民家園
東京都狛江市元和泉2-15
→
泉岳寺
東京都港区高輪2-11-1
→
品
品川神社
東京都品川区北品川3-7-15
→
西
西新井大師
東京都足立区西新井1-15-1
→
伊
伊興氷川神社
東京都足立区東伊興2-12-2
→
竹
竹塚神社
東京都足立区竹の塚6丁目
→
伊
伊興不動尊
東京都足立区東伊興4丁目
→
保
保木間氷川神社
東京都足立区保木間4丁目
→
花
花畑大鷲神社
東京都足立区花畑7-16-8
→
舎
舎人氷川神社
東京都足立区舎人1丁目
→
舎
舎人諏訪神社
東京都足立区舎人4丁目
→
六
六月八幡神社
東京都足立区六月3丁目
→
梅
梅島天満宮
東京都足立区梅島2丁目
→
鹿
鹿浜稲荷神社
東京都足立区鹿浜5丁目
→
千
千住神社
東京都足立区千住宮元町24-1
→
勝
勝専寺
東京都足立区千住2-11
→
五
五反野稲荷神社
東京都足立区弘道1丁目
→
他 868 件
神奈川県(659)
報国寺
神奈川県鎌倉市浄明寺2-7-4
→
浄妙寺
神奈川県鎌倉市浄明寺3-8-31
→
光触寺
神奈川県鎌倉市十二所793
→
満福寺
神奈川県鎌倉市腰越2-4-8
→
妙本寺
神奈川県鎌倉市大町1-15-1
→
蛇
蛇苦止堂
神奈川県鎌倉市大町1-15-1(妙本寺境内)
→
大
大宝寺
神奈川県鎌倉市大町3-6-22
→
明王院
神奈川県鎌倉市十二所32
→
東慶寺
神奈川県鎌倉市山ノ内1367
→
瑞泉寺
神奈川県鎌倉市二階堂710
→
阿
阿弥陀寺
神奈川県足柄下郡箱根町塔之沢24
→
有鹿神社
神奈川県海老名市上郷1-4-41
→
足柄神社
神奈川県南足柄市
→
厚木神社
神奈川県厚木市
→
大
大稲荷神社
神奈川県小田原市城山
→
大
大久寺
神奈川県小田原市南町
→
大
大雄山最乗寺
神奈川県南足柄市大雄町1157
→
藤
藤野済慶寺
神奈川県相模原市緑区藤野
→
深見神社
神奈川県大和市深見3506
→
福
福澤神社
神奈川県足柄上郡開成町
→
他 639 件
不明(543)
断
断夫山古墳
愛知県名古屋市熱田区旗屋町地内
→
志
志段味古墳群
愛知県名古屋市守山区大字上志段味字東谷2380-1
→
長
長篠城
愛知県新城市長篠
→
久
久保田城
秋田県秋田市千秋公園1-39
→
雲
雲祥寺
青森県五所川原市金木町
→
南
南部利直廟
青森県八戸市
→
天
天台寺
青森県八戸市(南部地方)
→
中
中尊寺弘前別院
青森県弘前市
→
百
百沢温泉神社
青森県弘前市百沢
→
袋
袋宮寺
青森県弘前市
→
お
おいらせ稲荷神社
青森県上北郡おいらせ町
→
中
中野もみじ山・不動尊
青森県黒石市中野中野官民有地
→
法
法光寺
青森県三戸郡南部町
→
名
名久井岳法光寺
青森県三戸郡南部町(名久井岳麓)
→
大
大間稲荷神社
青森県下北郡大間町大間
→
尻
尻屋崎灯台
青森県下北郡東通村尻屋尻屋崎
→
亀
亀ヶ岡石器時代遺跡
青森県つがる市木造亀ヶ岡
→
布
布施弁天東海寺
千葉県我孫子市布施3170
→
柴
柴崎神社
千葉県我孫子市柴崎171
→
保
保田薬師堂
千葉県安房郡鋸南町保田136
→
他 523 件
京都府(508)
化野念仏寺
京都府京都市右京区嵯峨鳥居本化野町17
→
古
古知谷阿弥陀寺
京都府京都市左京区大原古知平町83
→
安
安楽寺
京都府京都市左京区鹿ヶ谷御所ノ段町21
→
粟田神社
京都府京都市東山区粟田口鍛冶町1
→
毘沙門堂
京都府京都市山科区安朱稲荷山町18
→
知
知恩院三門
京都府京都市東山区林下町400
→
地
地主神社
京都府京都市北区紫野
→
智積院
京都府京都市東山区東瓦町964
→
長
長建寺
京都府京都市伏見区南浜北町2
→
長
長楽寺
京都府京都市東山区円山町626
→
醍
醍醐天皇後山科陵
京都府京都市伏見区醍醐古道町
→
大
大悲閣千光寺
京都府京都市右京区嵯峨亀山上野町
→
大
大覚寺
京都府京都市右京区嵯峨大沢町4
→
大
大沢池弁天堂
京都府京都市右京区嵯峨大沢町4
→
大酒神社
京都府京都市右京区太秦蜂岡町1
→
大仙院
京都府京都市北区紫野大徳寺町54-1
→
大
大雲院
京都府京都市東山区祇園町南側594-1
→
大
大雲寺
京都府京都市左京区岩倉上蔵町302
→
百万遍知恩寺
京都府京都市左京区田中門前町103
→
同
同聚院
京都府京都市東山区本町15丁目795
→
他 488 件
千葉県(366)
成
成田山新勝寺
千葉県成田市成田1
→
竹
竹内神社
千葉県我孫子市布佐1220
→
金
金剛院
千葉県我孫子市日秀90
→
法
法照寺
千葉県我孫子市湖北台9丁目
→
天
天王神社
千葉県我孫子市中峠
→
延
延寿院
千葉県我孫子市我孫子1丁目
→
我
我孫子諏訪神社
千葉県我孫子市緑1丁目
→
妙
妙蓮寺
千葉県我孫子市我孫子4丁目
→
我
我孫子香取神社
千葉県我孫子市我孫子1丁目
→
玉
玉造神社
千葉県旭市イ2501
→
飯
飯岡神社
千葉県旭市飯岡2126
→
旭
旭鹿島神社
千葉県旭市鎌数4314
→
善
善導寺
千葉県旭市野中950
→
旭
旭諏訪神社
千葉県旭市後草1680
→
龍
龍光寺
千葉県旭市溝原702
→
旭
旭神明神社
千葉県旭市ニ1880
→
千葉城
千葉県千葉市中央区亥鼻1-6-1
→
千葉神社
千葉県千葉市中央区院内1-16-1
→
大巌寺
千葉県千葉市中央区大巌寺町180
→
稲毛浅間神社
千葉県千葉市稲毛区稲毛1-15-10
→
他 346 件
埼玉県(339)
上
上尾氷川神社
埼玉県上尾市宮本町1-14
→
正
正伝寺
埼玉県上尾市上町1丁目
→
原
原市氷川神社
埼玉県上尾市原市
→
勝
勝願寺
埼玉県上尾市平塚
→
上
上尾八幡神社
埼玉県上尾市二ツ宮
→
龍
龍泉寺
埼玉県上尾市畔吉
→
橘
橘神社
埼玉県上尾市上
→
東
東禅寺
埼玉県朝霞市岡3丁目
→
朝
朝霞氷川神社
埼玉県朝霞市溝沼
→
朝
朝霞諏訪神社
埼玉県朝霞市根岸台
→
朝
朝霞八幡神社
埼玉県朝霞市三原
→
朝
朝霞稲荷神社
埼玉県朝霞市仲町
→
法
法雲寺
埼玉県秩父市荒川白久432
→
勝
勝安寺
埼玉県富士見市鶴瀬東1丁目
→
難
難波田城稲荷神社
埼玉県富士見市下南畑
→
大
大円寺
埼玉県富士見市上南畑
→
富
富士見氷川神社
埼玉県富士見市水子
→
富
富士見八幡神社
埼玉県富士見市東大久保
→
蓮
蓮光寺
埼玉県富士見市羽沢1丁目
→
渋
渋沢栄一記念館周辺社
埼玉県深谷市血洗島247-1
→
他 319 件
茨城県(266)
延
延命寺
茨城県坂東市岩井
→
神
神福寺
茨城県坂東市沓掛
→
坂
坂東愛宕神社
茨城県坂東市岩井
→
坂
坂東市岩井山観音寺
茨城県坂東市岩井
→
相
相馬中台寺
茨城県坂東市
→
下
下館八幡神社
茨城県筑西市甲
→
中
中善寺
茨城県筑西市中舘
→
筑
筑西賀茂神社
茨城県筑西市西谷貝
→
安
安養寺
茨城県筑西市門井
→
明
明地稲荷神社
茨城県筑西市下中山
→
筑
筑西観音寺
茨城県筑西市布川
→
筑
筑西諏訪神社
茨城県筑西市嘉家佐和
→
筑
筑西市海光寺
茨城県筑西市
→
願
願入寺
茨城県東茨城郡大洗町大洗
→
城
城里町御前山八幡神社
茨城県東茨城郡城里町御前山
→
城
城里町徳蔵寺
茨城県東茨城郡城里町
→
鹿
鹿島神社日立
茨城県日立市宮田町
→
常願寺
茨城県日立市中成沢町
→
誓
誓願寺
茨城県日立市旭町
→
五
五浦神社
茨城県日立市大久保町
→
他 246 件
大阪府(251)
露
露天神社
大阪府大阪市北区曽根崎2-5-4
→
難
難波八阪神社
大阪府大阪市浪速区元町2-9-19
→
中
中津天神
大阪府大阪市北区中津3-15-6
→
福
福島天満宮
大阪府大阪市福島区福島2-8-1
→
生國魂神社
大阪府大阪市天王寺区生玉町13-9
→
今
今宮戎神社
大阪府大阪市浪速区恵美須西1-6-10
→
勝
勝尾寺
大阪府箕面市粟生間谷2914-1
→
阿
阿部野神社
大阪府大阪市阿倍野区北畠3-7-20
→
大
大聖勝軍寺
大阪府八尾市太子堂3-3-16
→
道
道明寺
大阪府藤井寺市道明寺1-14-31
→
葛
葛井寺
大阪府藤井寺市藤井寺1-16-21
→
堀
堀越神社
大阪府大阪市天王寺区茶臼山町1-8
→
法
法善寺
大阪府大阪市中央区難波1-2-16
→
坐
坐摩神社
大阪府大阪市中央区久太郎町4-渡辺3
→
一
一心寺
大阪府大阪市天王寺区逢阪2-8-69
→
観
観心寺
大阪府河内長野市寺元475
→
百
百舌鳥八幡宮
大阪府堺市北区百舌鳥赤畑町2-73
→
野
野中寺
大阪府羽曳野市野々上5-9-24
→
豊
豊国神社
大阪府大阪市中央区大阪城2-1
→
大鳥大社
大阪府堺市西区鳳北町1-1-2
→
他 231 件
静岡県(208)
三
三嶋大明神遥拝所
静岡県熱海市咲見町
→
蓮
蓮華寺
静岡県熱海市桜町
→
福
福泉寺
静岡県熱海市
→
般
般若院
静岡県熱海市咲見町
→
起雲閣
熱海市昭和町4-2
→
興
興亜観音
熱海市伊豆山1220
→
来
来宮神社
静岡県熱海市西山町43-1
→
伊
伊豆山神社
静岡県熱海市伊豆山708-1
→
今
今宮神社
静岡県熱海市桃山町26
→
湯
湯前神社
静岡県熱海市上宿町4-26
→
熱
熱海梅園の梅園神社
静岡県熱海市梅園町8-11
→
初
初島
静岡県熱海市初島
→
大
大湯間歇泉
静岡県熱海市上宿町5-26
→
阿
阿治古神社
静岡県熱海市網代
→
多
多賀神社
静岡県熱海市春日町
→
結
結明神社
静岡県熱海市伊豆山708-1(伊豆山神社境内)
→
白
白山神社
静岡県熱海市伊豆山708-1(伊豆山神社境内)
→
錦
錦ヶ浦
静岡県熱海市熱海
→
海
海福寺
静岡県熱海市下多賀1340
→
浄
浄立寺
静岡県熱海市下多賀137
→
他 188 件
愛知県(202)
真
真福寺
愛知県岡崎市真福寺町
→
滝山寺
愛知県岡崎市滝町
→
松平東照宮
愛知県豊田市松平町東照宮
→
松
松平郷園地(高月院)
愛知県豊田市松平町高月
→
渡
渡刈の豊田大仏
愛知県豊田市渡刈町
→
乃
乃木神社
愛知県知多郡南知多町豊浜
→
安
安楽寺
愛知県知多郡南知多町日間賀島
→
羽豆神社
愛知県知多郡南知多町師崎羽豆
→
天
天王院
愛知県知多郡南知多町内海
→
神
神明社
愛知県常滑市
→
深川神社
愛知県瀬戸市深川町11
→
定光寺
愛知県瀬戸市定光寺町373
→
密
密蔵院
愛知県春日井市熊野町
→
内々神社
愛知県春日井市内津町
→
犬
犬山成田山
愛知県犬山市犬山北白山平5
→
田縣神社
愛知県小牧市田縣神社1
→
妙
妙興寺
愛知県一宮市妙興寺2438
→
渋
渋川神社
愛知県尾張旭市渋川町
→
岩
岩崎城
愛知県日進市岩崎町市場67
→
聚楽園大仏
愛知県東海市荒尾町西廻間
→
他 182 件
岐阜県(176)
華厳寺
岐阜県揖斐郡揖斐川町谷汲名礼1160
→
長
長良天神社
岐阜県岐阜市長良
→
溝旗神社
岐阜県岐阜市溝旗
→
加納天満宮
岐阜県岐阜市加納天満通
→
岐阜護國神社
岐阜県岐阜市御手洗392
→
長良川鵜飼
岐阜県岐阜市湊町
→
正
正法寺
岐阜県岐阜市大仏町8
→
大垣八幡神社
岐阜県大垣市西外側町
→
奥
奥の細道むすびの地
岐阜県大垣市住吉町
→
竹
竹鼻別院
岐阜県羽島市竹鼻町
→
善
善慈院
岐阜県不破郡垂井町
→
玉
玉泉寺
岐阜県不破郡垂井町
→
不
不破の関跡
岐阜県不破郡関ケ原町松尾
→
関
関ケ原ウォーランド
岐阜県不破郡関ケ原町関ケ原894-55
→
赤
赤坂宿
岐阜県大垣市赤坂町
→
妻
妻木城跡
岐阜県土岐市妻木町
→
細久手宿
岐阜県瑞浪市日吉町細久手
→
岩
岩村城下町
岐阜県恵那市岩村町
→
恵那峡
岐阜県恵那市大井町
→
落
落合の石畳
岐阜県中津川市落合
→
他 156 件
福岡県(169)
大
大己貴神社
福岡県朝倉市甘木
→
諏訪神社
福岡県朝倉市甘木
→
秋
秋月城跡
福岡県朝倉市秋月野鳥
→
天
天降神社
福岡県朝倉市甘木
→
求
求菩提山
福岡県豊前市鳥井畑
→
宇
宇島八幡宮
福岡県豊前市宇島
→
水
水田天満宮
福岡県筑後市水田62-1
→
筑
筑後八幡宮
福岡県筑後市山ノ井
→
築
築上神社
福岡県築上郡築上町椎田
→
太
太宰府天満宮
福岡県太宰府市宰府4-7-1
→
観
観世音寺
福岡県太宰府市観世音寺5-6-1
→
戒
戒壇院
福岡県太宰府市観世音寺5-7-10
→
竈
竈門神社
福岡県太宰府市内山883
→
太
太宰府政庁跡
福岡県太宰府市観世音寺4丁目
→
光
光明禅寺
福岡県太宰府市宰府2-16-1
→
太
太宰府天満宮表参道
福岡県太宰府市宰府3丁目
→
筑
筑前国分寺跡
福岡県太宰府市国分4丁目
→
榎
榎社
福岡県太宰府市朱雀6丁目
→
五
五条
福岡県太宰府市五条
→
安
安楽寺
福岡県太宰府市宰府
→
他 149 件
群馬県(160)
岩
岩島石水寺
群馬県吾妻郡東吾妻町
→
草
草津穴守稲荷神社
群馬県吾妻郡草津町草津
→
白
白根神社
群馬県吾妻郡草津町草津538
→
長
長楽寺
群馬県吾妻郡長野原町長野原
→
延
延命寺
群馬県吾妻郡中之条町大字中之条町
→
薬
薬師温泉旅籠
群馬県吾妻郡東吾妻町本宿3330-20
→
高山不動尊
群馬県吾妻郡高山村
→
嬬
嬬恋熊野神社
群馬県吾妻郡嬬恋村
→
八
八城寺
群馬県安中市安中
→
遍
遍覚寺
群馬県安中市安中
→
咲前神社
群馬県安中市鷺宮3533
→
龍巌寺
群馬県安中市安中
→
熊
熊野神社
群馬県安中市安中
→
徳
徳応寺
群馬県安中市安中
→
磯
磯部温泉神社
群馬県安中市磯部
→
蓮
蓮華寺
群馬県安中市松井田町
→
法
法性寺
群馬県安中市安中
→
仏
仏光寺
群馬県藤岡市藤岡
→
藤
藤岡諏訪神社
群馬県藤岡市藤岡
→
高
高山神社
群馬県藤岡市藤岡
→
他 140 件
栃木県(159)
法
法輪寺
栃木県足利市通3丁目
→
八
八雲神社
栃木県足利市緑町1-3776
→
足利学校
栃木県足利市昌平町2338
→
鑁
鑁阿寺
栃木県足利市家富町2220
→
足利織姫神社
栃木県足利市西宮町3889
→
栗
栗田寺
栃木県足利市栗田町621
→
足
足利薬師堂
栃木県足利市緑町
→
足
足利田村寺
栃木県足利市田中町
→
法
法玄寺
栃木県足利市家富町
→
足
足利龍泉寺
栃木県足利市緑町
→
市
市貝浅間神社
栃木県芳賀郡市貝町市塙
→
益
益子八田八幡宮
栃木県芳賀郡益子町益子
→
茂
茂木八雲神社
栃木県芳賀郡茂木町茂木
→
茂
茂木地蔵寺
栃木県芳賀郡茂木町茂木
→
芳
芳賀天満宮
栃木県芳賀郡芳賀町祖母井
→
益
益子西明寺
栃木県芳賀郡益子町益子4469
→
今
今宮神社
栃木県鹿沼市今宮町1692
→
古峯神社
栃木県鹿沼市草久3027
→
薬
薬王寺
栃木県鹿沼市上永野
→
鹿
鹿沼春日神社
栃木県鹿沼市下田町
→
他 139 件
兵庫県(153)
一
一乗寺
兵庫県加西市坂本町821-17
→
神
神戸大亜細亜主義演説地
兵庫県神戸市中央区
→
朝光寺
兵庫県加東市畑609
→
清荒神清澄寺
兵庫県宝塚市米谷字清シ1
→
中
中山寺
兵庫県宝塚市中山寺2-11-1
→
多田神社
兵庫県川西市多田院多田所町1-1
→
能
能勢妙見山
兵庫県川西市黒川字能勢妙見山1-1
→
清
清水寺
兵庫県加東市平木1194
→
柿
柿本神社
兵庫県明石市人丸町1-26
→
明石海峡大橋
兵庫県神戸市垂水区東舞子町
→
大
大石神社
兵庫県赤穂市上仮屋131-7
→
花岳寺
兵庫県赤穂市加里屋1992
→
赤穂御崎
兵庫県赤穂市御崎
→
本
本興寺
兵庫県尼崎市開明町3-13
→
尼崎城
兵庫県尼崎市北城内27
→
竹田城跡
兵庫県朝来市和田山町竹田
→
伊弉諾神宮
兵庫県淡路市多賀740
→
岩
岩屋神社
兵庫県淡路市岩屋799
→
自
自凝島神社
兵庫県南あわじ市榎列下幡多415
→
書寫山圓教寺
兵庫県姫路市書写2968
→
他 133 件
広島県(147)
大
大聖院
広島県廿日市市宮島町210
→
浄
浄土寺
広島県尾道市東久保町20-28
→
明
明王院
広島県福山市草戸町1473
→
鞆の浦
広島県福山市鞆町鞆
→
備
備後護国神社
広島県福山市丸之内1-9-1
→
阿
阿伏兎観音
広島県福山市沼隈町大字能登原阿伏兎1427-1
→
厳島神社
広島県廿日市市宮島町1-1
→
豊
豊国神社
広島県廿日市市宮島町1-1
→
大
大願寺
広島県廿日市市宮島町3
→
弥
弥山
広島県廿日市市宮島町
→
広
広島平和記念公園
広島県広島市中区大手町1-10(広島平和記念公園)
→
広島護国神社
広島県広島市中区基町21-2
→
縮景園
広島県広島市中区上幟町2-11
→
三瀧寺
広島県広島市西区三滝山411
→
不
不動院
広島県広島市東区牛田新町3-4-9
→
入
入船山公園
広島県呉市幸町4-6
→
大和ミュージアム
広島県呉市宝町5-20
→
音戸の瀬戸
広島県呉市警固屋・倉橋島
→
三
三原城跡
広島県三原市館町1
→
佛通寺
広島県三原市高坂町許山22
→
他 127 件
長野県(142)
大法寺
長野県小県郡青木村村松2052
→
信
信濃国分寺
長野県上田市常田3-8-1
→
大
大宮熱田神社
長野県松本市大宮
→
深
深志神社
長野県松本市深志3-7-43
→
須
須々岐水神社
長野県松本市里山辺
→
牛
牛伏寺
長野県松本市里山辺
→
武
武水別神社
長野県千曲市武水別神社
→
刈
刈萱堂(往生寺)
長野県長野市元善町
→
岩
岩松院
長野県上高井郡小布施町雁田1418
→
浄
浄光寺
長野県上高井郡小布施町小布施
→
小
小布施の栗の小径
長野県上高井郡小布施町小布施
→
飯
飯綱神社
長野県長野市飯綱
→
象
象山神社
長野県長野市松代町
→
松
松代大本営跡
長野県長野市松代町
→
典
典厩寺
長野県長野市篠ノ井
→
妻女山
長野県長野市篠ノ井岡田
→
真
真田氏本城跡
長野県上田市真田町本原
→
真
真田氏館跡(御屋敷公園)
長野県上田市真田町本原
→
長谷寺(長野・上田)
長野県上田市真田町長
→
上
上田の科野大宮社
長野県上田市上田原
→
他 122 件
新潟県(129)
五
五頭温泉郷・出湯温泉華報寺
新潟県阿賀野市出湯温泉
→
瓢
瓢湖
新潟県阿賀野市水原313-1
→
五泉八幡宮
新潟県五泉市宮町1-1
→
慈
慈光寺
新潟県五泉市升潟1949
→
阿
阿賀野川の津川・麒麟山公園
新潟県東蒲原郡阿賀町津川
→
耳
耳無の池
新潟県東蒲原郡阿賀町
→
将
将軍杉
新潟県東蒲原郡阿賀町岩谷
→
天
天津神社・奴奈川神社
新潟県糸魚川市一の宮1-3-34
→
フォッサマグナミュージアム
新潟県糸魚川市大字一ノ宮1313
→
白山神社
新潟県糸魚川市大字田伏
→
日石寺
新潟県糸魚川市大野1922
→
青海黒姫山城跡
新潟県糸魚川市青海
→
親
親不知
新潟県糸魚川市市振
→
光
光兎神社
新潟県岩船郡関川村
→
五智国分寺
新潟県上越市五智3-20-21
→
浄興寺
新潟県上越市寺町2-6-10
→
春日山神社
新潟県上越市大字中屋敷字春日山1232
→
居
居多神社
新潟県上越市五智6丁目1-11
→
居
居多ヶ浜
新潟県上越市五智
→
直
直江津八幡宮
新潟県上越市直江津
→
他 109 件
青森県(120)
大
大湯環状列石
秋田県鹿角市十和田大湯(青森県境近く)
→
浅
浅虫温泉稲荷神社
青森県青森市浅虫温泉
→
八
八甲田神社
青森県青森市田代
→
八
八甲田山神社
青森県青森市荒川八甲田山麓
→
廣
廣田神社
青森県青森市
→
弘
弘法寺
青森県青森市内
→
闇
闇おかみ神社
青森県青森市
→
浪
浪岡城跡
青森県青森市浪岡浪岡城址
→
浪
浪岡八幡宮
青森県青森市浪岡
→
三
三内丸山遺跡
青森県青森市大字三内字丸山305
→
新
新城天満宮
青森県青森市新城
→
青
青龍寺
青森県青森市雲谷山下236
→
青
青森諏訪神社
青森県青森市
→
善
善知鳥神社
青森県青森市安方2-7-18
→
普
普門院
青森県五所川原市
→
飯
飯詰稲荷神社
青森県五所川原市飯詰
→
川
川倉賽の河原地蔵尊
青森県五所川原市川倉
→
斜
斜陽館
青森県五所川原市金木町朝日山412-1
→
十
十三湊遺跡
青森県五所川原市十三
→
雲
雲祥寺
青森県五所川原市金木町
→
他 100 件
奈良県(120)
飛鳥寺
奈良県高市郡明日香村飛鳥682
→
栄山寺
奈良県五條市小島町503
→
五
五條新町通り
奈良県五條市本町2丁目
→
金
金剛寺
奈良県五條市野原西3-2-14
→
鴨
鴨都波神社
奈良県御所市宮前町514
→
葛城一言主神社
奈良県御所市森脇432
→
九
九品寺
奈良県御所市楢原1188
→
高鴨神社
奈良県御所市鴨神1110
→
高天彦神社
奈良県御所市北窪158
→
長
長弓寺
奈良県生駒市上町4445
→
宝山寺
奈良県生駒市門前町1-1
→
往
往馬大社
奈良県生駒市壱分町1527-1
→
朝護孫子寺
奈良県生駒郡平群町信貴山2280-1
→
中宮寺
奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺北1-1-2
→
法起寺
奈良県生駒郡斑鳩町岡本1873
→
法
法輪寺
奈良県生駒郡斑鳩町三井1570
→
法隆寺
奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1
→
龍
龍田大社
奈良県生駒郡三郷町立野南1-29-1
→
今
今井町
奈良県橿原市今井町
→
橿原神宮
奈良県橿原市久米町934
→
他 100 件
宮城県(118)
瑞
瑞巌寺
宮城県宮城郡松島町松島字町内91
→
大崎八幡宮
宮城県仙台市青葉区八幡4-6-1
→
瑞
瑞鳳殿
宮城県仙台市青葉区霊屋下23-2
→
鹿
鹿島御児神社
宮城県石巻市鹿又字宮前62
→
日
日和山公園
宮城県石巻市日和が丘
→
雄
雄勝硯伝統産業会館
宮城県石巻市雄勝町雄勝
→
黄
黄金山神社
宮城県石巻市鮎川浜金華山
→
牡
牡鹿半島
宮城県石巻市牡鹿半島
→
サ
サン・ファン・バウティスタ号
宮城県石巻市渡波字大森30-2
→
石
石ノ森萬画館
宮城県石巻市中瀬2-7
→
竹
竹駒神社
宮城県岩沼市稲荷町1-1
→
角
角田市スペースタワー・コスモハウス
宮城県角田市角田字牛舘
→
菩
菩提寺
宮城県亘理郡亘理町
→
亘
亘理城跡
宮城県亘理郡亘理町旭山4
→
角
角田城跡
宮城県角田市角田町
→
御
御崎神社
宮城県気仙沼市唐桑町崎浜
→
気
気仙沼大島
宮城県気仙沼市大島
→
上
上山八幡宮
宮城県本吉郡南三陸町志津川字上田
→
岩
岩井崎
宮城県気仙沼市波路上岩井崎
→
円
円通院
宮城県宮城郡松島町松島字町内67
→
他 98 件
富山県(115)
舟
舟見城跡
富山県入善町舟見
→
立
立山権現
富山県立山町
→
常
常願寺川神社
富山県立山町
→
芦
芦峅寺雄山神社
富山県立山町芦峅寺
→
大
大観峰
富山県立山町芦峅寺
→
玉
玉殿岩屋
富山県立山町室堂
→
滑
滑川神社
富山県滑川市
→
ほたるいかミュージアム
富山県滑川市中川原410
→
新
新川神社
富山県富山市新川
→
富
富山市ガラス美術館
富山県富山市西町5-1
→
富
富山市郷土博物館
富山県富山市本丸1-62
→
越
越中総社
富山県高岡市守山町
→
前田利長墓所
富山県高岡市野村
→
金屋町
富山県高岡市金屋町
→
山
山町筋
富山県高岡市小馬出町
→
朝
朝日山公園・朝日神社
富山県氷見市朝日丘
→
上
上日寺
富山県氷見市上日寺
→
宮
宮島峡・宮島神社
富山県小矢部市宮島
→
石
石動の愛宕神社
富山県小矢部市石動
→
井
井口城跡
富山県南砺市井口
→
他 95 件
山梨県(114)
山
山之神社(豊富の湧水)
山梨県中央市豊富
→
甲斐国分寺跡
山梨県笛吹市一宮町国分1173
→
浅間神社
山梨県笛吹市一宮町一宮1684
→
雲
雲光院
山梨県笛吹市
→
大蔵経寺
山梨県笛吹市石和町松本436
→
甲
甲斐奈神社
山梨県笛吹市春日居町鎮目
→
遠
遠妙寺
山梨県笛吹市石和町
→
釈
釈迦堂遺跡(桃源郷)
山梨県笛吹市一宮町
→
北口本宮冨士浅間神社
山梨県富士吉田市上吉田5558
→
富
富士山小御嶽神社
山梨県富士吉田市上吉田富士山5合目
→
新
新倉山浅間公園
山梨県富士吉田市新倉3353
→
御
御師の家
山梨県富士吉田市上吉田3-14-8
→
金
金鳥居
山梨県富士吉田市上吉田
→
小室浅間神社
山梨県富士吉田市下吉田
→
諏
諏訪神社(吉田の火祭り)
山梨県富士吉田市上吉田
→
尾
尾白川渓谷・駒ヶ岳神社
山梨県北杜市白州町白須
→
実
実相寺(山高神代桜)
山梨県北杜市武川町山高2763
→
清春芸術村
山梨県北杜市長坂町中丸2072
→
信玄堤
山梨県甲斐市龍地
→
敷
敷島神社
山梨県甲斐市大垈
→
他 94 件
福井県(106)
吉
吉崎御坊跡
福井県あわら市吉崎1-407
→
あ
あわら温泉
福井県あわら市
→
芦
芦原温泉の月真寺
福井県あわら市温泉
→
大
大瀧神社・岡太神社
福井県越前市大滝町13-1
→
越
越前和紙の里
福井県越前市新在家町8-44
→
國
國神神社
福井県越前市国兼町9-11
→
日
日野神社
福井県越前市日野町
→
大
大塩八幡宮
福井県越前市大塩町25-1
→
大
大虫神社
福井県越前市大虫町19-25
→
岡
岡太神社
福井県越前市粟田部町19-38
→
味
味真野神社
福井県越前市余田町52-7
→
越
越前市の紫式部公園
福井県越前市高瀬2-7
→
た
たけふ菊人形
福井県越前市府中1丁目
→
御
御誕生寺
福井県越前市庄田町32-1-3
→
帆
帆山神社
福井県越前市
→
毛
毛谷黒龍神社
福井県福井市毛矢3-8-1
→
足
足羽神社
福井県福井市足羽1-8-25
→
藤
藤島神社
福井県福井市毛矢3-8-21
→
柴
柴田神社
福井県福井市中央1-21-17
→
佐
佐佳枝廼社
福井県福井市大手3-12-3
→
他 86 件
石川県(103)
小
小丸山城跡
石川県七尾市小丸山台1
→
末
末森城跡
石川県羽咋郡宝達志水町菅池
→
和
和倉温泉の青林寺
石川県七尾市和倉町
→
妙
妙観院
石川県七尾市
→
石
石動山
石川県鹿島郡中能登町
→
志
志賀の能登二見
石川県羽咋郡志賀町増穂浦
→
世
世界一長いベンチ
石川県羽咋郡志賀町増穂浦
→
輪
輪島の朝市通り
石川県輪島市河井町
→
輪島キリコ会館
石川県輪島市マリンタウン6-1
→
永井豪記念館
石川県輪島市河井町2-1
→
門
門前の黒島地区
石川県輪島市門前町黒島
→
能
能登町の真脇遺跡
石川県鳳珠郡能登町字真脇
→
恋
恋路海岸
石川県鳳珠郡能登町字恋路
→
珠
珠洲焼資料館
石川県珠洲市上戸町北方テ18
→
揚
揚げ浜塩田
石川県珠洲市清水町1-58-1
→
加
加賀温泉郷の山代温泉
石川県加賀市山代温泉
→
山
山中温泉の鶴仙渓
石川県加賀市山中温泉こおろぎ町
→
実
実性院
石川県加賀市大聖寺本町
→
橋
橋立の北前船の里資料館
石川県加賀市橋立町
→
片
片山津温泉の浮御堂
石川県加賀市片山津温泉
→
他 83 件
秋田県(100)
秋
秋田諏訪神社
秋田県秋田市
→
護
護国神社
秋田県秋田市山王4
→
八幡秋田神社
秋田県秋田市千秋公園1
→
日吉八幡神社
秋田県秋田市寺内神屋敷
→
補
補陀寺
秋田県秋田市
→
宝蔵寺
秋田県秋田市
→
彌
彌高神社
秋田県秋田市千秋公園1
→
勝
勝平神社
秋田県秋田市
→
河辺神社
秋田県秋田市河辺
→
古四王神社
秋田県秋田市寺内神屋敷
→
千秋公園
秋田県秋田市千秋公園
→
三
三皇熊野神社
秋田県秋田市
→
雄山閣太平山本宮
秋田県秋田市太平山山頂
→
太
太平山三吉神社
秋田県秋田市広面字赤沼4
→
大平山妙見堂
秋田県秋田市太平山
→
土
土崎神明社
秋田県秋田市土崎港中央
→
八橋日吉神社
秋田県秋田市八橋
→
湯殿山神社
秋田県秋田市
→
天
天徳寺
秋田県秋田市泉三嶽根10-1
→
嶽六所神社
秋田県大仙市嶽
→
他 80 件
鹿児島県(100)
西
西郷隆盛銅像
鹿児島県鹿児島市城山町4-36
→
西郷隆盛終焉の地
鹿児島県鹿児島市城山町1
→
維新ふるさと館
鹿児島県鹿児島市加治屋町23-1
→
多
多賀山公園
鹿児島県鹿児島市清水町
→
大
大久保利通の墓
鹿児島県鹿児島市上竜尾町2
→
霧島温泉郷
鹿児島県霧島市牧園町
→
えびの高原
宮崎県えびの市末永
→
山
山川薬園跡
鹿児島県指宿市山川成川
→
長
長崎鼻
鹿児島県指宿市山川岡児ヶ水
→
開
開聞岳登山道
鹿児島県指宿市開聞十町
→
揖宿神社
鹿児島県指宿市東方773
→
可
可愛山陵
鹿児島県薩摩川内市宮内町
→
大汝牟遅神社
鹿児島県日置市吹上町中原2263
→
吹上浜
鹿児島県日置市吹上町・南さつま市
→
吹
吹上温泉
鹿児島県日置市吹上町湯之浦
→
屋
屋久杉ランド
鹿児島県熊毛郡屋久島町荒川
→
縄文杉
鹿児島県熊毛郡屋久島町
→
白谷雲水峡
鹿児島県熊毛郡屋久島町宮之浦
→
奄美大島
鹿児島県奄美市
→
高千穂神社
鹿児島県大島郡龍郷町瀬留
→
他 80 件
徳島県(100)
安
安楽寺
徳島県板野郡上板町引野字寺ノ西北8
→
太
太龍寺
徳島県阿南市加茂町龍山2
→
平
平等寺
徳島県阿南市新野町秋山177
→
十
十楽寺
徳島県阿波市土成町高尾字法教田58
→
熊
熊谷寺
徳島県阿波市土成町土成字前田185
→
法
法輪寺
徳島県阿波市土成町水田字南川原199
→
切
切幡寺
徳島県阿波市市場町切幡字観音129
→
金
金泉寺
徳島県板野郡板野町大寺亀山下66
→
地
地蔵寺
徳島県板野郡板野町羅漢林東5
→
大
大歩危・小歩危
徳島県三好市山城町〜池田町
→
琵
琵琶の滝
徳島県三好市西祖谷山村善徳
→
祖
祖谷温泉
徳島県三好市池田町松尾松本367-28
→
ひ
ひの字渓谷
徳島県三好市池田町松尾
→
奥
奥祖谷二重かずら橋
徳島県三好市東祖谷菅生620
→
剣
剣山
徳島県三好市東祖谷〜美馬市
→
薬
薬王寺
徳島県海部郡美波町奥河内字寺前285-1
→
鶴
鶴林寺
徳島県勝浦郡勝浦町生名鷲ケ尾14
→
恩
恩山寺
徳島県小松島市田野町字恩山寺谷40
→
立
立江寺
徳島県小松島市立江町字若松13
→
美
美馬の神社
徳島県美馬市美馬町
→
他 80 件
北海道(92)
網走神社
北海道網走市桂町2-1-1
→
北海道護国神社
北海道旭川市花咲町1-2282-2
→
上川神社
北海道旭川市神楽岡公園2-1
→
千歳神社
北海道千歳市真町1
→
函館八幡宮
北海道函館市谷地頭町2-5
→
北海道東照宮
北海道函館市陣川町82-153
→
亀田八幡宮
北海道函館市八幡町3-2
→
湯倉神社
北海道函館市湯川町2-28-1
→
五稜郭
北海道函館市五稜郭町44
→
函館山
北海道函館市函館山
→
元
元町教会群
北海道函館市元町
→
立待岬
北海道函館市住吉町
→
湯
湯の川温泉
北海道函館市湯川町
→
函館朝市
北海道函館市若松町9-19
→
トラピスチヌ修道院
北海道函館市上湯川町346
→
五稜郭タワー
北海道函館市五稜郭町43-9
→
松
松前神社
北海道松前郡松前町字松城144
→
開
開陽丸記念館
北海道檜山郡江差町姥神町1-10
→
登別温泉
北海道登別市登別温泉町
→
洞爺湖
北海道虻田郡洞爺湖町
→
他 72 件
大分県(90)
八
八幡朝見神社
大分県別府市朝見2-3-23
→
鶴
鶴見権現
大分県別府市鶴見
→
別
別府温泉地獄めぐり
大分県別府市鉄輪559-1
→
由
由布川峡谷の社寺
大分県別府市挾間町
→
富
富貴寺
大分県豊後高田市田染蕗2395
→
真
真木大堂
大分県豊後高田市田染真木1796
→
熊
熊野磨崖仏
大分県豊後高田市田染平野2546
→
豊
豊後高田神社
大分県豊後高田市玉津
→
日
日出城跡(暘谷城)
大分県速見郡日出町1
→
速
速見神社
大分県速見郡日出町
→
姫
姫島七不思議
大分県東国東郡姫島村
→
大
大原八幡宮
大分県日田市清水町2-6-1
→
豆
豆田町
大分県日田市豆田町
→
咸
咸宜園跡
大分県日田市淡窓1-11-31
→
杵
杵築城
大分県杵築市大字杵築字城の台
→
奈
奈多宮
大分県杵築市大字奈多838
→
杵
杵築城下町
大分県杵築市杵築
→
両
両子寺
大分県国東市安岐町両子1548
→
国
国見石仏群
大分県国東市国見町
→
宝
宝泉寺温泉神社
大分県玖珠郡小国町宝泉寺
→
他 70 件
熊本県(89)
崎
崎津教会
熊本県天草市河浦町崎津539
→
天
天草キリシタン館
熊本県天草市船之尾町19-52
→
阿
阿蘇神社
熊本県阿蘇市一の宮町宮地3083-1
→
国
国造神社
熊本県阿蘇市一の宮町手野2100
→
草
草千里ヶ浜
熊本県阿蘇市赤水
→
阿
阿蘇白水龍神社
熊本県阿蘇市白水
→
高
高森阿蘇神社
熊本県阿蘇郡高森町高森1535
→
高
高森湧水トンネル公園
熊本県阿蘇郡高森町高森2685
→
人
人吉城跡
熊本県人吉市麓町18-4
→
青
青井阿蘇神社
熊本県人吉市上青井町118
→
天
天草松島(龍ヶ岳展望台)
熊本県上天草市龍ヶ岳町
→
益
益城八幡宮
熊本県上益城郡益城町宮園
→
通潤橋
熊本県上益城郡山都町通潤橋
→
嘉
嘉島湧水群
熊本県上益城郡嘉島町
→
菊
菊池神社
熊本県菊池市菊池6991
→
清
清山寺
熊本県菊池市隈府
→
蘇
蘇古鶴神社
熊本県菊池市隈府
→
合
合志城跡
熊本県合志市御代志
→
多
多良木神社
熊本県球磨郡多良木町多良木
→
球
球磨神社
熊本県球磨郡錦町
→
他 69 件
高知県(88)
竹
竹林寺
高知県高知市五台山3577
→
安
安芸城跡
高知県安芸市土居
→
神
神峯寺
高知県安芸郡安田町唐浜2594
→
岩
岩崎弥太郎生家
高知県安芸市井ノ口甲
→
高
高知県立のいち動物公園
高知県香南市野市町大谷738
→
安
安田のクルスの海
高知県安芸郡安田町
→
北
北川村「モネの庭」マルモッタン
高知県安芸郡北川村野友甲1100
→
安
安芸城跡・土居廓中
高知県安芸市土居
→
梼
梼原町
高知県高岡郡梼原町
→
室
室戸スカイライン
高知県室戸市
→
仁
仁淀川
高知県吾川郡仁淀川町〜土佐市
→
に
にこ淵
高知県吾川郡いの町清水上分
→
龍
龍河洞展示館
高知県香美市土佐山田町逆川1424
→
牧
牧野富太郎生家
高知県高岡郡佐川町甲
→
牧
牧野公園
高知県高岡郡佐川町甲
→
ひ
ひろめ市場
高知県高知市帯屋町2-3-1
→
善
善楽寺
高知県高知市一宮しなね2-23-11
→
雪蹊寺
高知県高知市長浜857-3
→
種間寺
高知県高知市春野町秋山72
→
土
土佐神社
高知県高知市一宮しなね2丁目16-1
→
他 68 件
三重県(87)
専
専修寺
三重県津市一身田町2819
→
伊
伊賀上野城
三重県伊賀市上野丸之内
→
伊
伊賀流忍者博物館
三重県伊賀市上野丸之内117
→
伊
伊勢神宮内宮
三重県伊勢市宇治館町1
→
伊
伊勢神宮外宮
三重県伊勢市豊川町279
→
二
二見興玉神社
三重県伊勢市二見町江575
→
猿
猿田彦神社
三重県伊勢市宇治浦田2丁目1-10
→
神明神社
三重県鳥羽市相差町1385
→
月
月読宮
三重県伊勢市中村町742-1
→
倭
倭姫宮
三重県伊勢市楠部町5
→
伊
伊雑宮
三重県志摩市磯部町上之郷374
→
風
風日祈宮
三重県伊勢市宇治館町1(内宮別宮)
→
お
おかげ横丁・おはらい町
三重県伊勢市宇治中之切町
→
花
花窟神社
三重県熊野市有馬町上地130
→
朝
朝熊岳金剛証寺
三重県伊勢市朝熊町548
→
鬼
鬼ヶ城
三重県熊野市木本町1835-7
→
多度大社
三重県桑名市多度町多度1681
→
長
長島願証寺跡
三重県桑名市長島町又木
→
桑
桑名城跡
三重県桑名市吉之丸5-1
→
七
七里の渡し跡
三重県桑名市船馬町
→
他 67 件
長崎県(85)
出島
長崎県長崎市出島町6-1
→
長崎歴史文化博物館
長崎県長崎市立山1-1-1
→
稲佐山
長崎県長崎市稲佐町
→
東山手十二番館
長崎県長崎市東山手町3-7
→
長崎原爆資料館
長崎県長崎市平野町7-8
→
島原武家屋敷街
長崎県島原市下の丁
→
原
原城跡
長崎県南島原市南有馬町乙
→
雲仙温泉
長崎県雲仙市小浜町雲仙
→
ザ
ザビエル記念教会
長崎県平戸市鏡川町269
→
松浦史料博物館
長崎県平戸市鏡川町12
→
福江城跡
長崎県五島市池田町
→
新地中華街
長崎県長崎市新地町
→
オ
オランダ坂
長崎県長崎市東山手町
→
軍艦島
長崎県長崎市高島町端島
→
川
川内峠
長崎県平戸市
→
日宇神社
長崎県佐世保市日宇町
→
西海橋
長崎県西海市西彼町
→
長崎街道
長崎県諫早市
→
島原湧水群
長崎県島原市
→
大
大村公園
長崎県大村市玖島1-45
→
他 65 件
香川県(82)
郷照寺
香川県綾歌郡宇多津町1435
→
滝宮天満宮
香川県綾歌郡綾川町滝宮1314
→
白
白鳥神社
香川県東かがわ市松原69
→
中津万象園
香川県丸亀市中津町25-1
→
崇
崇徳天皇陵
香川県坂出市青海町
→
善
善通寺・金堂
香川県善通寺市善通寺町3-3-1
→
父母ヶ浜
香川県三豊市仁尾町仁尾乙203-3
→
銭
銭形砂絵
香川県観音寺市有明町
→
う
うちわの港ミュージアム
香川県丸亀市港町307-15
→
栗
栗林公園・商工奨励館
香川県高松市栗林町1-20-16
→
こ
こんぴら表参道
香川県仲多度郡琴平町
→
旧
旧金毘羅大芝居
香川県仲多度郡琴平町乙1241
→
男木島
香川県高松市男木町
→
女木島
香川県高松市女木町
→
瀬戸大橋
香川県坂出市〜岡山県倉敷市
→
飯
飯野山
香川県丸亀市飯野町
→
旭
旭社
香川県仲多度郡琴平町892-1
→
屋
屋島山上
香川県高松市屋島山上
→
琴弾公園
香川県観音寺市有明町
→
犬
犬島精錬所美術館
岡山県岡山市東区犬島327-4
→
他 62 件
山形県(82)
立石寺
山形県山形市山寺4456-1
→
山
山寺根本中堂
山形県山形市山寺4456-1
→
慈
慈恩寺
山形県寒河江市大字慈恩寺地籍31
→
山居倉庫
山形県酒田市山居町1-1-20
→
本
本間家旧本邸
山形県酒田市二番町12-13
→
日
日枝神社
山形県酒田市日吉町1-7-19
→
相
相馬楼
山形県酒田市日吉町1-2-20
→
本
本間氏庭園
山形県酒田市本町2-6-8
→
海向寺
山形県酒田市日吉町2-7-12
→
出羽三山神社
山形県鶴岡市羽黒町手向字手向7
→
羽黒山五重塔
山形県鶴岡市羽黒町手向
→
鶴
鶴ヶ岡城跡
山形県鶴岡市馬場町
→
致
致道館
山形県鶴岡市馬場町11-45
→
荘内神社
山形県鶴岡市馬場町4-1
→
善宝寺
山形県鶴岡市下川関根100
→
月山神社
山形県鶴岡市羽黒町手向字手向7
→
湯殿山神社
山形県鶴岡市田麦俣六十里山
→
大日坊瀧水寺
山形県鶴岡市大網字入道11
→
注連寺
山形県鶴岡市大網中台92-1
→
本
本明寺
山形県鶴岡市東岩本内野388
→
他 62 件
宮崎県(80)
綾
綾照葉大吊橋
宮崎県東諸県郡綾町大字北俣3320-43
→
三
三股町神社
宮崎県北諸県郡三股町大字宮村
→
本
本庄古墳群(史跡)
宮崎県東諸県郡国富町大字本庄
→
綾
綾国際クラフト城下町社
宮崎県東諸県郡綾町大字綾
→
え
えびの高原神社
宮崎県えびの市大字末永1495
→
椎葉厳島神社
宮崎県東臼杵郡椎葉村大字椎葉901
→
諸
諸塚山神社
宮崎県東臼杵郡諸塚村大字七ツ山
→
門
門川神社
宮崎県東臼杵郡門川町大字門川尾末
→
大御神社
宮崎県日向市大字幸脇
→
鉾
鉾島神社
宮崎県日向市大字日知屋
→
美
美々津港(史跡)
宮崎県日向市美々津町
→
野
野尻湖神社
宮崎県小林市野尻町東麓
→
霧
霧島岑神社
宮崎県小林市細野1771
→
都
都農神社
宮崎県児湯郡都農町大字川北13294
→
木
木城えびす神社
宮崎県児湯郡木城町大字木城
→
新
新富神社
宮崎県児湯郡新富町大字新田
→
高
高鍋城跡
宮崎県児湯郡高鍋町大字上江
→
高
高鍋大師
宮崎県児湯郡高鍋町大字蚊口浦
→
比
比木神社
宮崎県児湯郡木城町大字比木
→
都
都井岬灯台(史跡)
宮崎県串間市大字都井岬
→
他 60 件
沖縄県(80)
玉
玉陵
沖縄県那覇市首里金城町1-3
→
園
園比屋武御嶽石門
沖縄県那覇市首里真和志町1
→
弁
弁ヶ嶽
沖縄県那覇市首里鳥堀町
→
護
護佐丸の墓
沖縄県中頭郡中城村字北上原
→
残
残波岬
沖縄県中頭郡読谷村宇座1861
→
古
古宇利島
沖縄県国頭郡今帰仁村古宇利
→
魂
魂魄の塔
沖縄県糸満市米須
→
糸
糸満海人工房・資料館
沖縄県糸満市西崎町4-19-1
→
宮
宮古神社
沖縄県宮古島市平良西里5-1
→
砂
砂山ビーチ
沖縄県宮古島市平良荷川取
→
桃
桃林寺
沖縄県石垣市石垣285
→
石
石垣島天文台
沖縄県石垣市新川1024-1
→
竹
竹富島
沖縄県八重山郡竹富町竹富
→
宇
宇江城岳神社
沖縄県島尻郡久米島町宇江城
→
斎場御嶽
沖縄県南城市知念字久手堅539
→
勝
勝連城跡
沖縄県うるま市勝連南風原3807-2
→
西
西表島
沖縄県八重山郡竹富町西表
→
与那国島
沖縄県八重山郡与那国町
→
ミ
ミンサー工芸館
沖縄県石垣市登野城909
→
川
川平湾
沖縄県石垣市川平
→
他 60 件
鳥取県(80)
樗谿公園
鳥取県鳥取市上町
→
米
米子八幡神社
鳥取県米子市浦津
→
美
美保神社
島根県松江市美保関町美保関608
→
境
境港
鳥取県境港市
→
大
大山
鳥取県西伯郡大山町
→
打吹公園
鳥取県倉吉市仲ノ町
→
大
大岳院
鳥取県倉吉市東町402
→
青
青龍寺
鳥取県八頭郡八頭町
→
八
八上姫神社
鳥取県八頭郡八頭町土師百井
→
三朝温泉
鳥取県東伯郡三朝町三朝
→
白
白兎海岸
鳥取県鳥取市白兎
→
智頭宿
鳥取県八頭郡智頭町智頭
→
湖山池
鳥取県鳥取市湖山町
→
鹿
鹿野城下町
鳥取県鳥取市鹿野町鹿野
→
水木しげる記念館
鳥取県境港市本町5
→
鳥取県立博物館
鳥取県鳥取市東町2-124
→
三
三徳山三佛寺投入堂
鳥取県東伯郡三朝町三徳1010
→
智
智頭諏訪神社
鳥取県八頭郡智頭町智頭
→
塩釜の冷泉
鳥取県東伯郡琴浦町山川
→
聖
聖神社
鳥取県日野郡日南町神戸上
→
他 60 件
愛媛県(77)
大山祇神社
愛媛県今治市大三島町宮浦3327
→
延
延命寺
愛媛県今治市阿方甲636
→
南
南光坊
愛媛県今治市別宮町3-1
→
泰山寺
愛媛県今治市小泉1-9-18
→
栄
栄福寺
愛媛県今治市玉川町八幡甲200
→
仙
仙遊寺
愛媛県今治市玉川町別所甲483
→
国
国分寺
愛媛県今治市国分4-1-33
→
大
大寶寺
愛媛県上浮穴郡久万高原町菅生1173
→
岩
岩屋寺
愛媛県上浮穴郡久万高原町七鳥1468
→
内
内子座
愛媛県喜多郡内子町内子2102
→
龍
龍光寺
愛媛県北宇和郡三間町戸雁173
→
浄
浄瑠璃寺
愛媛県松山市浄瑠璃町282
→
八
八坂寺
愛媛県松山市浄瑠璃町八坂773
→
西
西林寺
愛媛県松山市高井町1007
→
浄
浄土寺
愛媛県松山市鷹子町376
→
繁多寺
愛媛県松山市畑寺町32
→
太
太山寺
愛媛県松山市太山寺町1730
→
円
円明寺
愛媛県松山市和気町1-182
→
伊
伊佐爾波神社
愛媛県松山市桜谷町173
→
道後温泉
愛媛県松山市道後湯之町5-6
→
他 57 件
島根県(76)
松
松江武家屋敷
島根県松江市北堀町305
→
月
月照寺
島根県松江市外中原町179
→
旧大社駅
島根県出雲市大社町北荒木441-3
→
石
石見銀山遺跡
島根県大田市大森町
→
龍源寺間歩
島根県大田市大森町銀山
→
大
大森代官所跡
島根県大田市大森町ハ51-1
→
石
石見銀山五百羅漢
島根県大田市大森町イ804
→
森鴎外旧宅
島根県鹿足郡津和野町町田イ230
→
安来節演芸館
島根県安来市古川町534
→
足立美術館
島根県安来市古川町320
→
玉
玉若酢命神社
島根県隠岐郡隠岐の島町下西701
→
隠岐神社
島根県隠岐郡海士町海士1784
→
松江城堀川遊覧
島根県松江市黒田町507-1
→
島根県立古代出雲歴史博物館
島根県出雲市大社町杵築東99-4
→
宍
宍道湖
島根県松江市・出雲市
→
津
津和野町並み
島根県鹿足郡津和野町後田・殿町
→
浜
浜田城跡
島根県浜田市殿町
→
石
石見国分寺跡
島根県浜田市下府町
→
石見畳ヶ浦
島根県浜田市国分町
→
佐志武神社
島根県浜田市
→
他 56 件
佐賀県(75)
多
多良嶽神社
佐賀県藤津郡太良町多良
→
太
太良嶽神社
佐賀県藤津郡太良町大字多良
→
多
多良岳遍照院
佐賀県藤津郡太良町多良
→
大
大山祇神社(伊万里)
佐賀県伊万里市大川内町
→
伊
伊万里神社
佐賀県伊万里市伊万里町甲555
→
三
三船神社
佐賀県神埼市神埼町田道ヶ里
→
神
神埼神社
佐賀県神埼市神埼町的
→
吉
吉野ヶ里遺跡
佐賀県神埼郡吉野ヶ里町田手1843
→
唐
唐津神社
佐賀県唐津市南城内2-18
→
唐津城
佐賀県唐津市東城内8-1
→
鏡
鏡神社
佐賀県唐津市鏡山1番地
→
宝
宝当神社
佐賀県唐津市高島523
→
浜
浜崎住吉神社
佐賀県唐津市浜玉町浜崎
→
田
田島神社
佐賀県唐津市呼子町加部島3956-1
→
名
名護屋城跡
佐賀県唐津市鎮西町名護屋1931-3
→
鹿
鹿島城跡
佐賀県鹿島市大字鹿島
→
白
白石稲荷大明神
佐賀県杵島郡白石町
→
江
江北諏訪神社
佐賀県杵島郡江北町
→
大
大興善寺
佐賀県三養基郡基山町大字園部3628
→
基
基山草場神社
佐賀県三養基郡基山町大字園部
→
他 55 件
滋賀県(71)
宝
宝厳寺
滋賀県長浜市早崎町(竹生島)
→
石
石山寺
滋賀県大津市石山寺1-1-1
→
三
三井寺
滋賀県大津市園城寺町246
→
善
善水寺
滋賀県湖南市岩根白山寺164
→
常
常楽寺
滋賀県湖南市西寺6-5-1
→
長
長寿寺
滋賀県湖南市東寺5-1-11
→
沖
沖島
滋賀県近江八幡市沖島町
→
百
百済寺
滋賀県東近江市百済寺町323
→
永
永源寺
滋賀県東近江市永源寺高野町41
→
彦
彦根城
滋賀県彦根市金亀町1-1
→
龍
龍潭寺
滋賀県彦根市古沢町1104
→
玄
玄宮園
滋賀県彦根市金亀町3
→
多賀大社
滋賀県犬上郡多賀町多賀604
→
金
金剛輪寺
滋賀県愛知郡愛荘町松尾寺874
→
西
西明寺
滋賀県犬上郡甲良町池寺26
→
水
水口城跡
滋賀県甲賀市水口町本丸4-80
→
甲
甲賀の里忍術村
滋賀県甲賀市甲賀町隠岐394
→
櫟
櫟野寺
滋賀県甲賀市甲賀町櫟野1377
→
長
長浜城
滋賀県長浜市公園町10-10
→
渡
渡岸寺観音堂
滋賀県長浜市高月町渡岸寺50
→
他 51 件
岡山県(67)
由
由加山蓮台寺
岡山県倉敷市玉島柏島3800
→
備
備前長船刀剣博物館
岡山県瀬戸内市長船町長船966
→
伊
伊部地区
岡山県備前市伊部
→
天
天津神社
岡山県備前市伊部629
→
白
白雲大社
岡山県笠岡市笠岡958-4(応神山ふもと)
→
旧
旧閑谷学校
岡山県備前市閑谷784
→
倉
倉敷美観地区
岡山県倉敷市本町・中央一丁目
→
阿
阿智神社
岡山県倉敷市本町12-1
→
大
大原美術館
岡山県倉敷市中央1-1-15
→
鶴
鶴形山公園
岡山県倉敷市本町
→
蒜
蒜山高原
岡山県真庭市蒜山
→
勝
勝山の町並み
岡山県真庭市勝山
→
湯
湯原温泉
岡山県真庭市湯原温泉
→
備
備中高松城跡
岡山県岡山市北区高松
→
吉備津神社
岡山県岡山市北区吉備津931
→
吉
吉備津彦神社
岡山県岡山市北区一宮1043
→
最
最上稲荷
岡山県岡山市北区高松稲荷712
→
岡
岡山城
岡山県岡山市北区丸の内
→
造
造山古墳
岡山県岡山市北区新庄下地内
→
浦
浦間茶臼山古墳
岡山県岡山市東区浦間地内
→
他 47 件
福島県(65)
さざえ堂
福島県会津若松市一箕町八幡弁天下
→
飯
飯盛山
福島県会津若松市一箕町八幡弁天下
→
二本松神社
福島県二本松市本町1
→
白水阿弥陀堂
福島県いわき市内郷白水町広畑221
→
相
相馬中村神社
福島県南相馬市原町区
→
鶴
鶴ヶ城
福島県会津若松市追手町1-1
→
天
天寧寺
福島県会津若松市東山町大字石山天寧
→
阿弥陀寺
福島県会津若松市七日町4-20
→
会
会津武家屋敷
福島県会津若松市東山町石山院内1
→
興
興徳寺
福島県会津若松市栄町2-12
→
會
會津藩校日新館
福島県会津若松市河東町南高野字高塚山10
→
会
会津藩祖松平家廟所
福島県会津若松市東山町大字石山字院内
→
梁
梁川城跡
福島県伊達市梁川町字城の内
→
福
福島稲荷神社
福島県福島市宮町1-29
→
勿
勿来関跡
福島県いわき市勿来町関田
→
塩屋埼灯台
福島県いわき市平薄磯宿崎36
→
い
いわき湯本温泉
福島県いわき市常磐湯本町
→
大國魂神社
福島県いわき市平菅波字宮前26
→
安積国造神社
福島県郡山市清水台1-6-23
→
開成山公園
福島県郡山市開成1-5
→
他 45 件
和歌山県(65)
道成寺
和歌山県日高郡日高川町鐘巻1738
→
粉河寺
和歌山県紀の川市粉河2787
→
金剛峯寺
和歌山県伊都郡高野町高野山132
→
根来寺
和歌山県岩出市根来2286
→
円
円満寺
和歌山県海南市別所1
→
熊
熊野那智大社
和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山1
→
那智山 青岸渡寺
和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山8
→
那智の滝
和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山
→
那
那智山三重塔
和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山
→
大門坂
和歌山県東牟婁郡那智勝浦町市野々
→
青
青岸渡寺
和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山8
→
高
高野山奥之院
和歌山県伊都郡高野町高野山550
→
高
高野山壇上伽藍
和歌山県伊都郡高野町高野山152
→
高野山霊宝館
和歌山県伊都郡高野町高野山306
→
慈尊院
和歌山県伊都郡九度山町慈尊院832
→
丹生都比売神社
和歌山県伊都郡かつらぎ町上天野230
→
丹
丹生酒殿神社
和歌山県伊都郡かつらぎ町三谷631
→
円
円月島
和歌山県西牟婁郡白浜町臨海
→
三段壁
和歌山県西牟婁郡白浜町2927-52
→
熊野速玉大社
和歌山県新宮市新宮1
→
他 45 件
岩手県(57)
中尊寺
岩手県西磐井郡平泉町平泉衣関202
→
毛越寺
岩手県西磐井郡平泉町平泉字衣関58
→
花
花巻温泉稲荷神社
岩手県花巻市湯口第7地割
→
盛岡八幡宮
岩手県盛岡市内丸1-42
→
花
花巻城跡
岩手県花巻市花城町
→
宮
宮沢賢治記念館
岩手県花巻市矢沢1-1-36
→
大
大沢温泉
岩手県花巻市湯口字大沢181
→
厳美渓
岩手県一関市厳美町
→
猊鼻渓
岩手県一関市東山町長坂字町467
→
盛岡城
岩手県盛岡市内丸1-37
→
三ツ石神社
岩手県盛岡市名須川町2-1
→
報
報恩寺
岩手県盛岡市名須川町31-5
→
桜
桜山神社
岩手県盛岡市内丸1-42
→
九
九戸城跡
岩手県二戸市福岡城ノ内
→
達
達谷窟毘沙門堂
岩手県西磐井郡平泉町平泉北沢16
→
中
中尊寺
岩手県西磐井郡平泉町平泉衣関202
→
無
無量光院跡
岩手県西磐井郡平泉町平泉花立
→
観自在王院跡
岩手県西磐井郡平泉町平泉志羅山
→
高館義経堂
岩手県西磐井郡平泉町平泉字柳御所14
→
柳之御所遺跡
岩手県西磐井郡平泉町平泉字柳御所
→
他 37 件
山口県(51)
萩城
山口県萩市堀内
→
松
松陰神社
山口県萩市椿東1537
→
松下村塾
山口県萩市椿東1537
→
吉
吉田松陰生誕地
山口県萩市椿東1537-1
→
伊
伊藤博文旧宅
山口県萩市椿東1511-1
→
高
高杉晋作誕生地
山口県萩市南古萩町23
→
大
大照院
山口県萩市椿4132
→
東
東光寺
山口県萩市椿東1647
→
菊
菊屋家住宅
山口県萩市呉服町1-1
→
熊
熊谷美術館
山口県萩市今魚店町47
→
防府天満宮
山口県防府市松崎町14-1
→
周防国分寺
山口県防府市国分寺町2-67
→
毛
毛利氏庭園
山口県防府市多々良1-15-1
→
阿
阿弥陀寺
山口県防府市大字牟礼1869
→
岩国城
山口県岩国市横山
→
錦帯橋
山口県岩国市岩国1-17-13
→
吉香公園
山口県岩国市横山2丁目
→
白
白山比咩神社
山口県岩国市日の出町1-1
→
秋吉台
山口県美祢市秋芳町秋吉
→
秋芳洞
山口県美祢市秋芳町秋吉
→
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HISTORICAL FIGURES
人物一覧
日本史を彩った 714 人を時代別に一覧。各人物のゆかりの寺社・史跡へ辿れます。
飛鳥・奈良
ANCIENT
— 42
神
神武天皇
初代天皇
日本の初代天皇とされる伝説的な君主。日本書紀・古事記によれば、天照大神の子孫であり、高千穂から東方へ遠征し(神武東征)、熊野・吉野を経て大和国(現在の奈良)に入
日
日本武尊
伝説の英雄皇子
『古事記』『日本書紀』に記される第12代景行天皇の皇子。本名は小碓命(おうすのみこと)。生まれた時には双子の兄・大碓命ともに誕生したとも伝わる。幼少期に兄・大碓
卑
卑弥呼
邪馬台国の女王
3世紀の倭国に君臨した邪馬台国の女王。中国の正史『三国志』魏書の「魏志倭人伝」に詳細な記録が残る。生涯独身で宮室に籠もり、鬼道(呪術・シャーマニズム)を用いて人
大
大伴金村
大連・継体擁立の立役者
6世紀前半の大伴氏当主。武烈天皇没後の継承危機で越前から継体天皇を迎え、安閑・宣化・欽明三代に大連として仕えた。任那四県割譲で批判を浴び失脚。
物
物部尾輿
物部氏当主・廃仏派
6世紀中葉の物部氏当主。蘇我稲目の崇仏に対し中臣氏とともに廃仏を主張し、伝来した仏像を難波の堀に投げ捨てたと伝わる。
物
物部守屋
物部氏最後の当主
尾輿の子。蘇我馬子と仏教受容を巡って対立し、587年丁未の乱で蘇我・聖徳太子連合軍と戦って敗死。これにより物部氏は事実上滅亡した。
蘇
蘇我馬子
飛鳥仏教の擁護者
蘇我稲目の子。物部守屋を倒して仏教を国教化し、推古天皇を擁立、聖徳太子と協力して飛鳥朝廷を運営した。日本初の本格的伽藍・飛鳥寺を建立。
推
推古天皇
初の女帝
日本初の女性天皇(在位593-628年)。欽明天皇の皇女として生まれ、敏達天皇の皇后となった後、崇峻天皇暗殺を受けて即位した。甥の聖徳太子(厩戸皇子)を摂政に立
小
小野妹子
遣隋使
近江国の豪族・小野氏の出身。607年、推古天皇・聖徳太子の命を受けて第1回遣隋使として隋に渡った外交官。「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無きや
聖
聖徳太子
摂政・十七条憲法
574年、用明天皇の皇子として生まれ、幼名を厩戸皇子という。叔母・推古天皇の摂政として国政を主導し、日本初の本格的な中央集権国家建設に尽力した。603年に冠位十
聖
聖徳太子
十七条憲法の聖人
574年、用明天皇の第二皇子として生まれ、本名は厩戸皇子(うまやどのみこ)。母が宮殿の馬屋(厩)の前で産んだという伝説からこの名がある。幼少より聡明で、仏教・儒
蘇
蘇我蝦夷
大臣・蘇我氏全盛期の当主
蘇我馬子の子。推古朝後の朝廷で大臣として実権を握り、息子入鹿とともに上宮王家(聖徳太子一族)を滅ぼすなど専横を極めた。乙巳の変で自邸を焼いて自刃した。
阿
阿倍比羅夫
7世紀の蝦夷・粛慎征討将軍
斉明朝の越国守。658-660年に水軍を率いて日本海沿岸の蝦夷を服属させ、北海道方面の粛慎(ミシハセ)とも戦った。663年白村江の戦いには後将軍として参戦。
蘇
蘇我入鹿
蘇我氏の専横
蘇我蝦夷の子として生まれ、祖父・馬子以来三代にわたって蓄積された蘇我氏の権勢を背景に、幼い頃から権力の中枢に身を置いた。父・蝦夷が大臣として朝廷を掌握すると、入
中
中大兄皇子
大化の改新の立役者・天智天皇
626年、舒明天皇と皇極天皇(後の斉明天皇)の皇子として生まれた。若くして蘇我氏の専横に危機感を抱き、中臣鎌足と秘密裏に協力して打倒蘇我の謀議を進めた。645年
額
額田王
万葉の歌人
630年頃に生まれ、7世紀を代表する女流歌人として名を馳せた。若くして大海人皇子(後の天武天皇)と結ばれ、十市皇女をもうけた。しかしその後、兄の中大兄皇子(後の
大
大海人皇子
壬申の乱の覇者・天武天皇
631年頃、天智天皇(中大兄皇子)の弟として生まれた。兄・天智の死後、吉野に隠棲して出家の姿を示したが、671年末に挙兵を決意。天武元年(672年)に壬申の乱を
天
天武天皇
壬申の乱の勝者・律令国家の建設者
生年は不詳だが630年代ごろとされる。天智天皇の弟(異説あり)として大海人皇子と呼ばれた。671年に兄・天智天皇が崩御すると、皇位継承をめぐって天智天皇の子・大
役
役行者
修験道の開祖・役小角
舒明天皇6年(634年)大和国葛城上郡茅原に生まれ、俗名を役小角(えんのおづぬ)という。幼少より山岳修行に励み、葛城山・大峰山・熊野など紀伊半島の霊山を開いた。
持
持統天皇
藤原京を造営した女帝
飛鳥時代の女性天皇(在位686-697年)。天智天皇の娘で、天武天皇の皇后。壬申の乱(672年)では夫・天武天皇を助けて戦陣に同行したとされる。天武崩御後に称制
柿
柿本人麻呂
歌聖・万葉集の最高歌人
飛鳥時代を代表する歌人。「万葉集」に133首が収録され、古来「歌聖(うたのひじり)」と称される。天武・持統・文武天皇に仕えた宮廷歌人で、天皇や皇族を讃える「讃歌
大
大伴旅人
太宰帥・万葉歌人
大伴安麻呂の子、家持の父。太宰帥として赴任した九州で「梅花の宴」を主催し、その序文の「初春令月、気淑風和」が令和の元号の出典となった。
行
行基
民衆の僧・大僧正
奈良時代の僧。河内国(現大阪府)の生まれ。法相宗を学び24歳で受戒したのち、各地を遊行しながら民衆への仏法布教に努めた。ため池・溝渠・橋梁・布施屋(福祉施設)な
行
行基
民衆救済の僧・大仏建立勧進
河内国の出。法相宗を学び、布教を禁じる律令を犯して諸国を遊行。橋・池・道を作り民衆に絶大な信望を得た。聖武天皇に登用され大仏建立の勧進に当たり、日本初の大僧正と
泰
泰澄
白山開山・越の大徳
天武天皇11年(682年)越前国麻生津に生まれた。11歳で出家し、越知山で修行を積んだ。養老元年(717年)に白山の主峰・御前峰に登頂して瞑想中に白山妙理大菩薩
鑑
鑑真
唐招提寺開山
唐(中国)の揚州江陽県に生まれた高僧。14歳で出家し、洛陽・長安で律宗・天台・禅など各宗を修めた後、揚州大明寺の住持として戒律の大家となった。742年、来日した
道
道鏡
称徳天皇の寵僧
弓削氏の出。看病禅師として孝謙上皇に近侍し、重祚して称徳天皇となると太政大臣禅師・法王に登った。宇佐八幡神託事件で皇位を狙ったが和気清麻呂に阻まれ、称徳没後に下
大
大伴家持
万葉集の最後の編者
奈良時代の歌人・官人。万葉集(760年頃)の最後の編者とされ、「春の野に霞たなびきうら悲しこの夕かげにうぐひす鳴くも」など473首もの和歌が万葉集に収録されてお
和
和気清麻呂
忠臣・護王神社の祭神
奈良時代後期から平安時代初期の公卿。道鏡の天皇即位を阻止した忠臣として名高い。769年、宇佐八幡宮から「道鏡を天皇にせよ」という神託が下ったとされ(宇佐神宮神託
桓
桓武天皇
第50代天皇・平安京遷都の主
光仁天皇の皇子。781年に即位し、784年長岡京、794年平安京へ遷都して奈良仏教の影響から朝廷を解放した。坂上田村麻呂を征夷大将軍に任じて蝦夷征討を進め、律令
最
最澄
天台宗開祖・伝教大師
近江国滋賀郡(現在の滋賀県大津市)の渡来系氏族の家に生まれた。7歳頃から神童と呼ばれ、12歳で比叡山に登り行賀のもとで修行を始めた。785年に東大寺で具足戒を受
空
空海
真言宗開祖・弘法大師
讃岐国多度郡(現在の香川県善通寺市)の豪族・佐伯氏に生まれた。幼名は真魚(まお)。15歳頃に上京し、大学で儒学を学ぶが、やがて私度僧として山野で苦行を重ねた。1
藤
藤原冬嗣
北家興隆の祖
内麻呂の子。嵯峨天皇に重用され蔵人頭・左大臣に進み、藤原北家の地位を不動のものとした。氏寺興福寺、氏院勧学院を整え、子孫繁栄の基礎を築いた。
嵯
嵯峨天皇
第52代天皇・弘仁文化の中心
桓武天皇の皇子。809年即位。薬子の変を抑え蔵人所・検非違使を設置し官制を整備した。書・漢詩に秀で空海と並び「三筆」に数えられる文人天皇。
淳
淳和天皇
第53代天皇
桓武天皇の皇子。823年即位。兄嵯峨天皇から譲位を受け、令義解の編纂など律令の補修に努めた。譲位後は西院に住み「西院帝」と称された。
北
北条時継
北条一族
北条氏の傍流に属する武士。鎌倉幕府の御家人として活動し、幕府行政機構の中で役職を担った。北条氏は源頼朝による鎌倉幕府の成立以来、嫡流である得宗家を頂点として多く
工
工藤祐経
頼朝の側近
伊豆の豪族で源頼朝の側近。所領争いから従兄弟の河津祐泰を暗殺したことが、後の曽我兄弟の仇討ちの原因となった。頼朝の信任厚く、富士の巻狩りにも随行したが、1193
岡
岡崎義実
相模の御家人
相模国の豪族で、源頼朝の挙兵に初期から参じた忠実な御家人。1180年の石橋山の戦いでは劣勢の頼朝軍に加わり奮戦した。子の佐奈田義忠は石橋山の戦いで討死しており、
源
源頼茂
源氏の一族
源氏の一族で、院御所の警護を担う右馬権頭(うまごんのかみ)を務めた武将。源頼朝の流れを汲む傍流として、鎌倉幕府成立後も京都にあって朝廷との接点を持ち続けた。12
明
明石全登
キリシタン武将
生年不詳。備前国の武将で、宇喜多秀家の重臣として仕えた。洗礼名はジョアン。熱心なキリシタンであり、領内での布教活動にも尽力した。1600年の関ヶ原の戦いでは宇喜
佐
佐々木小次郎
巌流の剣士
生年不詳。越前国(現・福井県)の出身とされるが、経歴の多くは伝説に包まれている。中条流(または富田流)の剣術を学び、長刀「備前長船長光」(通称「物干し竿」)を愛
風
風魔小太郎
後北条の影の軍団を率いた忍者頭領
生年不詳。風魔一族の五代目頭領で、代々後北条氏に仕えた乱波(忍者)集団の首領を務めた。北条氏政・氏直の時代に活躍し、ゲリラ戦術と夜襲を得意とした。『北条五代記』
平安
HEIAN
— 130
円
円仁
天台宗第三代座主・慈覚大師
延暦13年(794年)下野国に生まれ、15歳で比叡山に登り最澄に師事した。838年に最後の遣唐使船で入唐し、9年6ヶ月にわたり五台山・長安で密教・天台を学んだ。
小
小野篁
平安初期の漢学者・冥府の役人伝説
小野氏の出。漢詩・和歌に優れ参議に進んだが、遣唐副使を辞して隠岐に流された逸話で知られる。夜は閻魔庁に仕えるという奇怪な伝説が残る。
藤
藤原良房
人臣初の摂政
冬嗣の子。承和の変で政敵を一掃し、娘明子を文徳天皇の后に入れて清和天皇の外祖父となる。866年応天門の変で伴善男を失脚させ、人臣として初めて摂政に就任した。
仁
仁明天皇
第54代天皇
嵯峨天皇の皇子。833年即位。承和の変で藤原良房が政敵を排除し、外戚としての藤原北家の権勢が確立する転機となった治世を送った。
円
円珍
智証大師・天台寺門宗の祖
弘仁5年(814年)讃岐国(香川県)に生まれた。母は弘法大師空海の姪にあたる。15歳で比叡山に登り、天台座主初代の義真に師事した。承和5年(838年)に入唐を志
小
小野小町
六歌仙・絶世の美女
生没年不詳ながら825年頃に生まれたとされる平安時代前期の女流歌人。出羽国(秋田県)の郡司・小野良真の娘という説が有力だが、出自の詳細は不明。六歌仙・三十六歌仙
在
在原業平
歌の貴公子
平安時代前期を代表する歌人・貴族。平城天皇の孫として生まれ、六歌仙・三十六歌仙の一人に数えられる。「伊勢物語」の主人公「昔男」のモデルとされ、その生涯は情熱的な
在
在原業平
六歌仙・伊勢物語の主人公
平城天皇の孫。容姿端麗で和歌の名手として知られ、六歌仙・三十六歌仙に数えられる。『伊勢物語』の主人公とされ、二条后高子との悲恋伝説が有名。
藤
藤原基経
初代関白
良房の養子(実は甥)。陽成天皇を廃して光孝天皇を立て、宇多天皇の代に「阿衡事件」を経て関白となった。摂政・関白を兼ね、藤原氏全盛の道筋を確立した。
菅
菅原道真
学問の神・天神様
845年、代々文章博士を輩出した学者の家・菅原氏に生まれた。幼少から神童と呼ばれ、11歳で漢詩を作ったと伝わる。文章博士・讃岐守・蔵人頭などを歴任し、宇多天皇の
菅
菅原道真
学問の神・右大臣
平安時代中期の貴族・学者・漢詩人。幼少より神童と称され、33歳で文章博士に就任した。宇多天皇に深く信任され、894年に遣唐使廃止を建議して東アジアの文化的自立を
紀
紀長谷雄
平安期の漢詩文の達人
紀貫之の伯父。菅原道真に師事し漢詩文に通じ、参議に至る。道真の左遷後も影響力を保ち、平安初期の文人層の中心人物として活動した。
清
清和天皇
第56代天皇・清和源氏の祖
文徳天皇の皇子で、外祖父藤原良房の擁立により9歳で即位。日本史上初の幼帝で、良房は事実上の摂政として権力を振るった。源経基ら清和源氏の祖となった。
宇
宇多天皇
第59代天皇・寛平の治
光孝天皇の皇子。887年即位。藤原氏外戚を排し菅原道真を登用、寛平の治と称される刷新を行った。897年退位後も法皇として政治に影響を残した。
藤
藤原時平
左大臣・道真左遷の主謀
基経の長男。901年、政敵菅原道真を太宰府に左遷した「昌泰の変」で知られる。延喜格式の編纂を主導したが、39歳で急死し、道真の祟りと噂された。
紀
紀貫之
古今集の撰者・土佐日記の作者
平安時代前期の歌人・官人。905年に醍醐天皇の命で「古今和歌集」を撰進し、仮名序を執筆した。この仮名序は日本語で書かれた最初の文学論・詩学論として、日本文学史上
藤
藤原忠平
延喜・天暦の治の補佐
基経の四男、時平の弟。兄の死後、関白・摂政として朱雀・村上両朝を支え、延喜格式の完成や承平・天慶の乱への対処にあたった。
醍
醍醐天皇
第60代天皇・延喜の治
宇多天皇の皇子。897年即位。延喜格式の編纂、古今和歌集の勅撰、班田の励行など「延喜の治」と称される親政を行ったが、菅原道真を太宰府に左遷したことでも知られる。
藤
藤原純友
瀬戸内海の海賊王
平安時代中期の貴族・武将。藤原氏の一族として生まれ、伊予国(現・愛媛県)の役人として赴任したのち、瀬戸内の海賊集団を統率して反乱を起こした(承平・天慶の乱、93
藤
藤原純友
瀬戸内の海賊大将
伊予掾として赴任後、瀬戸内海の海賊を糾合して939年に反乱(天慶の乱)を起こす。一時は大宰府を陥落させたが、941年小野好古・源経基に博多湾で討たれた。
平
平将門
新皇
平安時代中期の武将。桓武天皇の玄孫にあたる関東の豪族で、坂東を根拠地に勢力を築いた。939年、常陸・下野・上野の国府を次々と攻略し(承平・天慶の乱)、自ら「新皇
空
空也
市聖・念仏を民衆に広めた遊行僧
延喜3年(903年)に生まれたとされるが出自には諸説あり、醍醐天皇の皇子という説もある。若くして出家し、諸国を遍歴しながら道路・橋の整備や井戸掘りなどの社会事業
平
平貞盛
将門を討った武将
平国香の子。940年、藤原秀郷とともに従兄弟の平将門を討って乱を平定し、官位を進めた。子孫から伊勢平氏が出て、清盛・頼盛らへ続く。
丹
丹波康頼
平安期の医師・『医心方』撰者
912年生まれ。平安中期の宮廷医で、針博士・丹波宿禰の祖。984年、円融・花山両朝の命により医書『医心方』全30巻を撰進した。これは現存する日本最古の医学書で、
源
源満仲
清和源氏興隆の祖
経基の子。摂津国多田に居館を構え多田源氏を起こす。藤原氏に密着して中央政界に勢力を築き、子孫の頼光・頼信を通じて武家源氏発展の礎となった。
良
良源
元三大師・天台中興の祖
近江の出。比叡山延暦寺の天台座主となり、火災後の伽藍を再興、僧兵制の整備、教学振興により衰退していた天台宗を中興した。「角大師」「魔除けの大師」として庶民信仰も
安
安倍晴明
陰陽師
921年頃、大阪・阿倍野付近に生まれたと伝わる。若くして陰陽道の大家・賀茂忠行に師事し、師の旅の供をしながら陰陽道の奥義を学んだという。師の子・保憲からもさらに
安
安倍晴明
陰陽師の最高峰
平安時代中期の陰陽師・天文博士。陰陽寮に仕え、天文・占星・呪術に通じた当代随一の陰陽師として朝廷に重用された。師・賀茂忠行・保憲父子から陰陽道の奥義を伝授され、
村
村上天皇
第62代天皇・天暦の治
醍醐天皇の皇子。946年即位。摂政関白を置かず親政を行い、後撰和歌集を編纂させ、和歌・管弦に優れた文化天皇として「天暦の治」と称される。
源
源信
恵心僧都・浄土教の先駆者
天慶5年(942年)大和国に生まれ、幼くして比叡山に登り良源(慈慧大師)に師事した。比叡山横川の恵心院に住したことから「恵心僧都」と呼ばれる。寛和元年(985年
源
源頼光
大江山の鬼退治
948年、清和源氏の嫡流・源満仲の長男として摂津国多田(現・兵庫県川西市)に生まれた。正式な名は「よりみつ」だが、後世には「らいこう」の通称で広く知られる。藤原
源
源頼光
酒呑童子退治の英雄
満仲の長男。摂津源氏の祖。藤原道長に仕え、四天王(渡辺綱・坂田金時ら)を率いて大江山の酒呑童子を退治したという伝説で名高い。
藤
藤原道隆
中関白家の祖
兼家の長男。990年関白となり、娘定子を一条天皇の中宮に立てた。豪奢な邸宅と陽気な性格で「中関白家」の繁栄を築いたが、糖尿病で43歳で死去。
赤
赤染衛門
平安の女流歌人・栄花物語の著者
平安中期の女流歌人・作家。藤原道長の妻・倫子に仕えた女房で、紫式部・和泉式部・清少納言らと同時代を生きた「平安の四才女」の一人。「栄花物語」(えいがものがたり)
藤
藤原実資
小右記の著者・賢人右府
小野宮流の名門。有職故実に通じ、道長の専横にも筋を通したことから「賢人右府」と称えられた。日記『小右記』は摂関期最重要の史料。
藤
藤原道兼
七日関白
兼家の三男、道隆の弟。花山天皇を出家させて一条天皇を立てる謀略を主導。長兄道隆の没後995年に関白となるが、就任わずか7日で疫病により急死した。
清
清少納言
枕草子の作者
歌人・清原元輔の娘として生まれ、幼少期から漢詩・和歌に親しんだ才女。一条天皇の皇后・藤原定子のもとに女房として出仕し、宮廷の華やかな日々を過ごした。その経験や季
藤
藤原道長
摂関政治の頂点
966年、藤原兼家の五男として生まれ、当初は権力継承の本命ではなかった。しかし長兄・道隆、次兄・道兼が相次いで早世し、弟・道長が権力の座に就いた。996年に左大
藤
藤原道長
摂関政治の頂点・望月の歌
平安時代中期の公卿・政治家。藤原兼家の五男として生まれながら、兄たちの相次ぐ死によって藤原氏の頂点に立った。4人の娘を天皇や皇太子の后・妃として入内させ、外祖父
源
源頼信
河内源氏の祖
満仲の三男。河内国壷井に拠点を置き河内源氏の祖となる。1028年平忠常の乱を戦わずして降伏させ、東国における源氏の名声を高めた。
紫
紫式部
源氏物語の作者
973年頃、漢学者・藤原為時の娘として京都に生まれた。幼少期から漢籍に親しみ、弟の講義を聞くうちに先に内容を理解してしまうほどの秀才ぶりに、父が「この子が男であ
藤
藤原伊周
中関白家の御曹司
道隆の嫡男。父の死後、叔父道長と政権を争うが、996年「長徳の変」で花山法皇に矢を放った嫌疑で太宰府に左遷され失脚した。
和
和泉式部
情熱の女流歌人
平安中期の代表的な女流歌人。藤原道長から「浮かれ女」と批判されながらも、類いまれな歌才で「歌の聖(うたのひじり)」とも呼ばれた。為尊親王・敦道親王という二人の親
紫
紫式部
源氏物語の作者・平安の才女
藤原為時の娘として生まれた。正確な生没年は不明で、978年ごろ生まれ、1014年から1025年の間に没したとされる。漢籍にも通じた父の薫陶を受け、当時女性には珍
和
和泉式部
恋の歌人
平安時代中期の女性歌人。父・大江雅致、母は越前守・平保衡の娘とされる。「和泉式部」の名は夫・橘道貞の任国「和泉守」と父の官職「式部丞」を組み合わせた呼称。敦道親
一
一条天皇
第66代天皇・摂関期の文化君主
円融天皇の皇子。986年即位。藤原道隆・道長らが政権を握る中、中宮定子・彰子のサロンを通じて清少納言・紫式部らが文学を花開かせた華やかな時代の中心。
源
源頼義
前九年の役を平定した将
頼信の子。陸奥守として安倍頼時・貞任の反乱を鎮圧する前九年の役(1051-1062)を戦い、12年に及ぶ激戦の末これを平定。鎌倉に鶴岡八幡宮を勧請した。
藤
藤原頼通
関白・平等院鳳凰堂の建立者
道長の長男。50年以上にわたり関白・摂政として三代の天皇に仕えたが、外戚の地位を得られず藤原氏の権勢は陰り始めた。1052年宇治の別業を寺とし、翌年鳳凰堂を建立
安
安倍頼時
陸奥俘囚の長
陸奥国奥六郡の俘囚の長。源頼義に従っていたが対立し前九年の役を起こす。戦中に流れ矢で戦死した。子の貞任・宗任が抵抗を継いだ。
菅
菅原孝標女
更級日記の作者
平安中期の女流文学者。菅原道真の後裔で、父が上総介(千葉県)に赴任したため幼少期を関東で過ごした。「源氏物語」への熱狂的な愛読が知られ、「更級日記」には「この世
安
安倍貞任
前九年の役の悲劇の武将
頼時の長男。父の死後、源頼義・義家父子と戦い続けたが厨川柵の戦いで敗れ討死。逃走中に追ってきた義家との和歌のやりとり「衣のたては綻びにけり」「年を経し糸の乱れの
源
源義家
八幡太郎・後三年の役の英雄
頼義の長男。石清水八幡宮で元服し八幡太郎と称した。後三年の役(1083-1087)で清原氏内紛を平定。私財で家臣を労ったことで東国武士の信望を集め、武家棟梁の理
白
白河天皇
第72代天皇・院政の創始者
後三条天皇の皇子。1072年即位。1086年に幼少の堀河天皇に譲位し、上皇として実権を握る「院政」を始めた。北面の武士を組織し、武家台頭の素地をつくった。
覚
覚猷
鳥羽僧正・鳥獣戯画の伝説的作者
源隆国の子。天台僧として園城寺・四天王寺に住し、最高位の大僧正に昇る。鳥羽の地に住んだので鳥羽僧正と称される。日本最古の漫画とされる『鳥獣人物戯画』の作者と伝承
清
清原家衡
後三年の役の主役
出羽の豪族清原氏の一族。兄真衡・甥清衡との内紛から後三年の役を引き起こし、源義家に攻められて金沢柵で敗死。これにより奥州藤原氏興隆の道が開かれた。
良
良忍
融通念仏宗の開祖
延久4年(1072年)尾張国知多郡に生まれた。比叡山に登り天台声明(しょうみょう)を極め、大原に隠棲して念仏三昧の修行を積んだ。天治元年(1124年)阿弥陀如来
鳥
鳥羽天皇
第74代天皇・院政期の中心
堀河天皇の皇子。1107年即位。白河院死後は上皇として院政を行い、平忠盛・清盛父子を重用して武家政治への道を開いた。死後まもなく保元の乱が勃発した。
源
源頼政
以仁王の挙兵・弓の名人
長治元年(1104年)、摂津源氏の名門に生まれた。和歌と弓術に優れ、仁安3年(1168年)に77歳で従三位に叙せられ、源氏で初めて公卿の地位に達した武士として知
源
源頼政
以仁王令旨に呼応した老将
摂津源氏。武勇と歌才を兼ね備え、保元・平治の乱を生き延びて従三位に昇進。1180年、77歳で以仁王の令旨に応じて挙兵するが宇治の平等院で敗れ自刃。源平合戦の口火
藤
藤原俊成
千載和歌集撰者・幽玄の祖
御子左家の歌人。後白河院の命で『千載和歌集』を撰進。「幽玄」の美意識を打ち立て、息子定家とともに新古今調の中世和歌の基礎を作った。
千
千葉常胤
下総の大御家人
1118年、下総国の大豪族・千葉氏の棟梁として生まれた。1180年8月、石橋山の戦いで大敗した源頼朝が安房に逃れてくると、当時63歳の常胤はいち早く一族を率いて
西
西行
歌僧・花と月の歌聖
俗名は佐藤義清(のりきよ)。北面の武士として鳥羽院に仕えたが、23歳で突如出家した。以後、日本各地を漂泊しながら生涯に約2300首の和歌を詠んだ。桜と月を殊に愛
平
平清盛
平家の棟梁・太政大臣
平忠盛の長男として生まれ、武家出身者として初めて太政大臣に就任した平安末期最大の権力者。保元の乱(1156年)・平治の乱(1159年)で源義朝らを破り、平氏政権
西
西行法師
漂泊の歌人
俗名佐藤義清。北面の武士から23歳で出家し、桜と月を愛して諸国を行脚。家集『山家集』『新古今和歌集』に94首入集し、後世の俳人や芭蕉に深い影響を与えた。
重
重源
東大寺再建の大勧進
1121年(異説あり)、紀伊国出身の僧。若くして出家し、入宋を三度果たして宋朝の最新仏教・建築技術を学んだ。帰国後は各地で修行を続け、熊野・高野山・四天王寺など
藤
藤原秀衡
奥州藤原氏3代当主
基衡の子。陸奥守・鎮守府将軍として平泉に金色堂を中心とする黄金文化を花開かせた。源義経を庇護し、頼朝の脅威を跳ね返すことなく没する。
源
源義朝
源氏棟梁・下野守
源為義の長男として生まれ、若くして坂東武者の棟梁として頭角を現した。父・為義が保元の乱(1156年)において崇徳上皇方に与したのに対し、義朝は後白河天皇方に属し
三
三浦義澄
相模の大御家人
1127年、三浦半島を本拠とする三浦一族の一員として生まれた。父・義明は1180年、源頼朝の挙兵に応じて衣笠城に籠城し、一族の脱出を助けるために討ち死にした。義
後
後白河法皇
日本第一の大天狗
1127年、鳥羽天皇の第四皇子として生まれた。皇位継承の見込みは低かったが、1155年に近衛天皇が後継ぎなく急死したため即位した。在位わずか3年で二条天皇に譲位
後
後白河天皇
第77代天皇・治天の君
鳥羽天皇の皇子。1155年即位。3年で譲位後は5代34年にわたり院政を行い、保元・平治の乱、平氏全盛、源平合戦、鎌倉幕府成立まで激動の時代を生き抜いた。今様を愛
足
足立遠元
武蔵の御家人
武蔵国足立郡を本拠とする御家人。源頼朝の挙兵に初期から参加し、鎌倉幕府の成立に貢献した武将の一人である。軍功だけでなく行政能力にも優れ、幕府の中枢機関である公文
上
上総広常
関東最大の実力者
上総国の大豪族で、関東随一ともいわれる2万騎を率いた最大の実力者。1180年、源頼朝が挙兵すると参陣したが到着が遅れ、頼朝から烈しく叱責された。広常は怒りを抑え
土
土肥実平
頼朝を救った忠臣
相模国土肥郷(現・神奈川県湯河原町)を本拠とする御家人。平安末期から相模の豪族として地盤を持ち、1180年の源頼朝挙兵に当初から参加した功臣の一人である。石橋山
法
法然
浄土宗開祖
1133年、美作国(現・岡山県)の押領使・漆間時国の子として生まれた。9歳のとき、父が夜討ちで命を落とすという悲劇を経験した。父は臨終に「仇を憎まず、仏道に入れ
平
平頼盛
清盛の異母弟・池禅尼の子
平忠盛の子で清盛の異母弟。母は池禅尼(藤原宗子)。池禅尼はかつて平治の乱(1159年)の際、処刑されるはずだった源頼朝の助命を清盛に嘆願し、伊豆への流罪に減刑さ
常
常盤御前
義経の母・三大美人
生没年は不詳だが、平安時代末期に都随一の美女として名声を博し、近衛天皇の中宮に女房として仕えた才媛。源義朝の側室となり、今若(後の阿野全成)・乙若(後の円仏)・
北
北条時政
初代執権
1138年、伊豆国の在地豪族として生まれた。娘・政子が源頼朝と結ばれたことが人生の転機となり、1180年の頼朝挙兵を経済的・軍事的に全力で支援した。平家滅亡後の
平
平重盛
平家の嫡男・内大臣
平清盛の長男として生まれ、平家繁栄の最盛期を生きた。1156年の保元の乱・1159年の平治の乱では父に従って戦い、平家の地位向上に貢献した。容姿端麗で仁徳に優れ
文
文覚
頼朝挙兵を促した怪僧
1139年、北面の武士・遠藤盛遠として生まれた。伝説によれば、恋した人妻・袈裟御前(渡辺渡の妻)を誤って殺害し(1167年頃)、その衝撃と悔恨から出家したとされ
寂
寂蓮
新古今歌人
俊成の甥。和歌の道に専念するため出家し、新古今和歌集の選者の一人に選ばれたが完成前に没した。三夕の歌の一首「さびしさはその色としもなかりけり」が名高い。
三
三善康信
問注所執事・十三人の合議制
鎌倉幕府の問注所初代執事で、十三人の合議制の一人。京都の下級貴族の出身で、母が源頼朝の乳母の妹であった縁から、頼朝の挙兵以前から京都の政治情勢を手紙で頼朝に知ら
梶
梶原景時
頼朝の右腕・侍所所司
相模国梶原(現・神奈川県鎌倉市梶原)を本拠とした桓武平氏鎌倉氏流の武将。父・梶原景清は源義朝に従ったとされる。治承4年(1180)8月、源頼朝の挙兵に対しては当
栄
栄西
臨済宗の祖・茶祖
備中国(現在の岡山県)の神官・賀陽重兼の家に生まれ、幼くして仏道に進み14歳で比叡山に登った。天台教学を修める傍ら禅への関心を深め、1168年(27歳)に初めて
比
比企能員
鎌倉幕府の有力御家人
鎌倉時代初期の有力御家人。源頼朝の乳母・比企尼の養子として頼朝と深い縁を結び、鎌倉幕府草創期の重鎮となった。娘・若狭局が二代将軍・源頼家の側室となり、嫡男・一幡
平
平宗盛
清盛死後の平家総帥
平清盛の三男で、清盛の嫡男重盛の死後に平家の事実上の棟梁となった。母は清盛の正室・時子(二位尼)。1181年に清盛が没すると平家一門を率いて源氏との戦いに臨んだ
源
源頼朝
鎌倉幕府初代将軍
1147年、源義朝の三男として尾張国で生まれる。1159年の平治の乱で父が敗死し、わずか14歳で伊豆国蛭ヶ小島に配流された。20年に及ぶ流人生活の中で北条時政の
九
九条兼実
摂政関白・『玉葉』の著者
1149年、藤原忠通の六男として摂関家の名門に生まれた。幼少より学問・詩歌に秀で、長じて摂政・関白を歴任した。源頼朝との協力関係を積極的に築き、頼朝が武家政権を
運
運慶
天才仏師・慶派の巨匠
生年不詳(1150年頃)、仏師・康慶の長子として慶派(奈良仏師)の名門に生まれた。父・康慶に師事して彫刻技法を体得し、若くして慶派を代表する仏師となった。従来の
以
以仁王
源氏挙兵の発端
後白河天皇の第三皇子。母は藤原成子。聡明で和歌に優れ、本来なら皇位継承の有力候補であったが、平清盛の政治介入により即位の機会を奪われた。治承4年(1180年)4
平
平知盛
平家の最後の柱石
1152年、平清盛の四男として生まれた。平家一門の中でも特に冷静沈着な武将として知られ、感情に流されず戦局を見極める判断力に優れていた。1183年の木曾義仲追討
阿
阿野全成
頼朝の異母弟・僧侶
1153年、源義朝の七男として生まれた頼朝の異母弟。今若と呼ばれた幼少期に醍醐寺に入り僧侶として育てられ、全成(阿闍梨全成)の名を得た。1180年、頼朝の挙兵の
木
木曾義仲
旭将軍
1154年、源義賢の子として生まれた。源頼朝・義経の従兄弟にあたる。幼少期に父・義賢が源義平(頼朝の兄)に討たれ、遺児として信濃国木曾(現・長野県木曽町)の中原
亀
亀の前
頼朝の愛妾
良橋太郎入道の娘とされる女性で、源頼朝の愛妾。頼朝が伊豆に流されていた時代から寵愛を受けていたとされ、流人時代の孤独な生活の中で頼朝にとって大切な存在となった。
鴨
鴨長明
『方丈記』著者・歌人
1155年頃、下鴨神社(賀茂御祖神社)の神官の家に生まれた歌人・随筆家。父・長継は下鴨神社の禰宜であったが、長明の幼少期に没した。長じて和歌の研鑽を積み、俊恵の
武
武蔵坊弁慶
義経の忠臣・怪力の僧兵
源義経に仕えた伝説的な僧兵。伝承では熊野別当の子とされ、比叡山で修行した後に武芸に秀でた荒法師となった。京都五条大橋(一説に五条天神)で通行人から太刀を奪い99
慈
慈円
天台座主・『愚管抄』著者
鎌倉時代初期の天台宗の高僧で歴史家。摂政関白・九条兼実の弟(異説あり)として公家社会に生まれ、天台座主(天台宗の最高位)を4度務めた。歴史書『愚管抄』を著し、神
源
源範頼
鎌倉幕府の武将・蒲冠者
源義朝の六男として遠江国蒲御厨(現・静岡県浜松市付近)で生まれたとされ、「蒲冠者」と呼ばれた。父が平治の乱(1159年)で敗死した後は各地を転々とし、兄・頼朝の
北
北条政子
尼将軍
伊豆の豪族・北条時政の長女として1157年に生まれた。源頼朝が伊豆に流されていた頃に深く愛し合い、父の反対を押し切って結婚。1180年の頼朝挙兵をともに乗り越え
巴
巴御前
木曽義仲の女武者
生没年不詳ながら1157年頃の生まれとされる。木曽義仲(源義仲)の愛妾にして女武者。「平家物語」巻九「木曽の最期」によれば「色白く髪長く、容顔まことに優れたり。
巴
巴御前
女武将・木曾義仲の側室
平安時代末期・鎌倉時代初期の女性武将。木曾義仲(源義仲)の側室として知られ、義仲とともに平家打倒の戦いに参加した。平家物語によれば、「たぐひなき強弓精兵、馬の上
平
平維盛
光源氏に喩えられた美将
平重盛の嫡男で、平清盛の孫にあたる。その容姿の美しさから「光源氏の再来」と称された。1180年、源頼朝挙兵の報を受けて追討軍の大将として東国に向かったが、富士川
源
源義経
悲劇の英雄・平氏を滅ぼした天才武将
源義朝の九男として京都で生まれ、牛若丸と呼ばれた。1159年の平治の乱で父が敗死し、鞍馬寺に預けられて少年期を過ごした。成長すると奥州藤原氏の元を頼り、平泉(現
佐
佐々木高綱
宇治川先陣の勇将
1160年、近江国(現・滋賀県)の御家人・佐々木秀義の四男として生まれた。幼少期に父は源義朝に仕えていたが、平治の乱(1159年)後に相模国に逃れ、頼朝配流の地
平
平教経
平家最強の猛将
1160年、平清盛の甥にあたる平教盛の嫡男として生まれた。弓の達人にして平家随一の猛将と称えられ、その勇名は源氏陣営にも轟いていた。1184年の一ノ谷の戦いでは
間
間宮信繁
比企氏の忠臣
鎌倉時代の武士で、比企能員に仕えた忠臣。建仁3年(1203年)の比企能員の変において、北条時政の謀略により比企一族が滅ぼされた際、主君・比企能員と運命を共にした
梶
梶原景季
宇治川の好敵手
1162年生まれ、梶原景時の長男。父と同様に源頼朝に仕え、武勇に優れた武将として知られた。1184年1月の宇治川の先陣争いでは、頼朝から賜った名馬「磨墨(するす
藤
藤原定家
新古今・百人一首の撰者
1162年、「幽玄」の美学を確立した歌人・藤原俊成の子として生まれた。父の手ほどきを受けながら幼少より和歌の英才教育を受け、若くして御子左家の後継者として期待さ
聖
聖光
鎮西上人・浄土宗鎮西派の祖
応保2年(1162年)筑前国(福岡県)に生まれた。字は弁阿、号は聖光房。はじめ天台宗を学んだが、建久8年(1197年)に上洛して法然を訪ね、その日のうちに弟子と
藤
藤原定家
新古今・百人一首の撰者
俊成の子。後鳥羽院に重用され『新古今和歌集』を撰進。「有心」の美を理論化し、晩年に小倉百人一首を撰した。日記『明月記』も歴史史料。
北
北条義時
二代執権
北条時政の次男として1163年に伊豆国で生まれた。源頼朝の挙兵当初から従軍し、平家追討・奥州征伐など鎌倉幕府草創期の主要な合戦に参加した。頼朝の死後は姉・政子と
三
三浦義村
策略の御家人
1168年生まれ、三浦義澄の嫡男として三浦半島の雄族を継いだ。北条義時とは同世代で若い頃から盟友関係にあった一方、常に権力の中枢に接近し自氏の利益を最大化する老
実
実衣(阿波局)
幕府の女性実力者
生年不詳、北条時政の娘で姉・政子の年近い妹。幼少より姉と共に伊豆で育ち、頼朝の挙兵後は鎌倉に移った。源義朝の七男・阿野全成と結婚し、北条氏と源氏の血筋を結ぶ政治
平
平敦盛
笛の名手・悲劇の若武者
1169年、平清盛の弟・経盛の末子として生まれた。幼い頃から笛の才を示し、祖父・忠盛が鳥羽院より賜ったとされる名笛「小枝(こえだ)」を手放さず愛用した。平家一門
那
那須与一
扇の的の名射手
生年は1169年頃とされる下野国那須(現・栃木県那須郡)の武士。那須資隆の11人の息子の末子とも伝わり、幼名は与一宗高。弓の稽古に励み、若くして名手の誉れを得た
快
快慶
安阿弥陀仏・繊細な仏師
生年不詳(1170年頃)、運慶と同じ慶派の仏師・康慶の弟子として修業し、運慶とは兄弟弟子の間柄にある。若くして独自の様式を確立し、重源が進める東大寺復興事業の中
西
西園寺公経
朝幕の仲介者・太政大臣
鎌倉時代の公卿で、西園寺家の実質的な始祖。太政大臣にまで昇進した。承久の乱(1221年)に際しては幕府側に内通し、後鳥羽上皇の挙兵計画を鎌倉に密告したとされる。
曽
曽我祐成
曽我兄弟の兄・十郎
河津祐泰の長男。父が工藤祐経に暗殺された後、母の再婚先・曽我家で育てられた。弟の五郎(時致)とともに18年間父の仇を討つ機会を窺い、1193年の富士の巻狩りの夜
親
親鸞
浄土真宗開祖
1173年、京都日野の下級貴族・藤原有範の子として生まれた。幼名は松若丸。9歳で天台宗の比叡山に入り、慈円のもとで20年間修行した。しかし修行を重ねるほどに自身
明
明恵
華厳の行者・夢を記録した僧
承安3年(1173年)紀伊国有田郡に生まれた。法名は高弁(こうべん)、明恵上人・栂尾上人とも呼ばれる。幼くして両親を失い、高雄山神護寺で出家した。華厳宗を基礎と
曽
曽我時致
曽我兄弟の弟・五郎
河津祐泰の次男。幼くして箱根権現に預けられ僧になる予定だったが、兄の十郎とともに父の仇討ちを決意。1193年の富士の巻狩りで兄とともに工藤祐経を討ち取った。その
北
北条時房
初代連署
1175年、北条時政の子として生まれた。母が時政の後妻であったため義時とは異母弟にあたる。幼少期から武芸に励み、蹴鞠の名手としても知られ公家文化にも通じた。源頼
虎
虎御前
曽我十郎の恋人
大磯の遊女で、曽我十郎祐成の恋人。十郎とは仇討ち前から深い契りを結んでいた。1193年の仇討ち後、十郎の死を知り深く悲しんだ。十郎の菩提を弔うために19歳で出家
証
証空
西山上人・西山浄土宗の祖
治承元年(1177年)に生まれた。加賀守源親季の嫡男であり、公卿の久我通親の猶子となった。14歳で出家し法然に師事した。21年間にわたり法然のもとで浄土教を学び
大
大姫
悲恋の姫
1178年、源頼朝と北条政子の長女として鎌倉に生まれた。1182年頃、父・頼朝と木曾義仲が対立する中、政治的和解の一環として義仲の嫡男・義高(当時9歳ほど)が人
安
安徳天皇
壇ノ浦に沈んだ幼帝
1178年、高倉天皇と平徳子(後の建礼門院)の皇子として生まれた。外祖父は平清盛である。わずか1歳で践祚し、1180年(数え年3歳)に正式に即位した。しかしこの
畠
畠山重保
陰謀に散った忠臣の子
武蔵国の名族・畠山重忠の長男として生まれた。父・重忠は「坂東武者の鑑」と称えられた鎌倉幕府随一の清廉の武将であり、重保もその父の薫陶を受けて育った。1205年、
和
和田常盛
和田義盛の長男
和田義盛の長男として生まれた。父・義盛は源頼朝以来の宿老で初代侍所別当を務め、幕府の軍事を統括する有力御家人であった。常盛は父の下で武将として成長し、各地の合戦
後
後鳥羽上皇
承久の乱の首謀者
1180年、高倉天皇の第四皇子として生まれた。壇ノ浦の戦い(1185年)で安徳天皇が平家と共に入水すると、三種の神器を持たないまま異例の形式で即位した。武芸・和
源
源頼家
鎌倉幕府第二代将軍
鎌倉幕府第2代将軍(在職1202-1203年)。源頼朝の嫡男として鎌倉で生まれ、幼少から武芸を磨いた。父の死後、18歳で家督を継いだが、北条時政・北条政子ら外祖
北
北条泰時
三代執権・御成敗式目
北条義時の長男として1183年に生まれた。幼少期から父に従って武芸と政務を学び、承久の乱(1221年)では幕府軍の総大将として大軍を率いて上洛し、後鳥羽上皇の朝
鎌倉
KAMAKURA
— 61
源
源実朝
歌人将軍・鎌倉幕府第三代将軍
源頼朝と北条政子の次男として鎌倉に生まれる。1203年に兄・頼家が北条氏によって廃されると、11歳で第三代将軍に就任した。実権は外祖父・北条時政そして叔父・北条
一
一幡
頼家の長男
1198年、二代将軍・源頼家の長男として生まれた。母は有力御家人・比企能員の娘・若狭局であり、一幡は将軍家の嫡男として比企一族の期待を一身に背負っていた。120
公
公暁
実朝暗殺の僧
1200年、二代将軍・源頼家の次男として生まれた。幼くして母方の縁を通じて鶴岡八幡宮別当・定暁の弟子となり出家、僧侶として育てられた。しかし父・頼家が1204年
道
道元
曹洞宗開祖・只管打坐
1200年、内大臣・久我通親の子とされる(異説あり)。幼くして両親を失い、13歳で比叡山に入って天台教学を学んだが、「本来本法性、天然自性身」という教義に「なぜ
叡
叡尊
興正菩薩・真言律宗の中興
建仁元年(1201年)大和国に生まれた。戒律の衰退を憂い、嘉禎2年(1236年)に東大寺で自誓受戒を行い、西大寺に移って真言律宗の復興に尽力した。「興法利生」(
竹
竹御所
源氏最後の血筋
1202年頃、二代将軍・源頼家の娘として生まれた。母は賀茂重長の娘とされる。北条氏がその権力を固める中で源氏将軍の一族は次々と命を絶たれ、竹御所は頼朝の血を直接
円
円爾
聖一国師・東福寺開山
建仁2年(1202年)駿河国(静岡県)に生まれた。諱は弁円。若くして出家し、天台・真言・禅を学んだ後、仁治2年(1241年)に入宋して径山の無準師範に師事した。
北
北条時氏
泰時の嫡男・早世の期待
鎌倉幕府第3代執権・北条泰時の長男。母は三浦義村の娘(矢部禅尼)。父泰時の後継者として将来を嘱望され、若くして幕政に参画した。武芸にも秀で、承久の乱(1221年
三
三浦泰村
三浦氏最後の棟梁
1204年生まれ、三浦義村の嫡男として三浦氏を継いだ。父ほどの策謀の才はなく、温厚で義理堅い人柄とされる。鎌倉幕府内では四代将軍・藤原頼経と親しく交わり、その取
北
北条政村
七代執権
1205年、二代執権・北条義時の子として生まれた。母は伊賀氏とされる。幼少期より幕政の中枢に近い環境で育ち、評定衆・連署(れんしょ)などの要職を歴任した。五代執
蘭
蘭渓道隆
建長寺開山・渡来禅僧
1213年、南宋の四川省出身。若くして臨済宗の修行を積み、宋代禅の一流の指導者となった。1246年に来日し、鎌倉に入って第5代執権・北条時頼の厚い帰依を受けた。
蘭
蘭渓道隆
建長寺開山・日本禅宗の礎
嘉定6年(1213年)南宋の蜀(四川省)涪江に生まれ、13歳で出家して各地の禅刹で修行した。1246年(寛元4年)に弟子とともに来日し、北条時頼の帰依を受けた。
忍
忍性
良観房・鎌倉の社会福祉僧
建保5年(1217年)大和国に生まれた。字は良観房。1245年に叡尊より別受戒を受けて比丘となり、師の「興法利生」の精神を受け継いだ。文永4年(1267年)に鎌
藤
藤原頼経
第4代将軍・摂家将軍
九条道家の子で、源頼朝の妹の曾孫にあたる。実朝暗殺後の1226年、わずか2歳で鎌倉に迎えられ、1226年に正式に第4代将軍に就任した初の摂家将軍。当初は北条政子
日
日蓮
日蓮宗開祖・不屈の行者
安房国長狭郡(現在の千葉県鴨川市)の漁師の家に生まれ、12歳で近くの清澄寺に入り出家した。比叡山・奈良・高野山・四天王寺などを遍歴して諸宗を学び、20年余の研鑽
北
北条経時
第4代執権
鎌倉幕府第4代執権。北条時氏の長男で、祖父泰時の死後1242年にわずか19歳で執権に就任した。在職中は藤原頼経を将軍職から退け、その子の藤原頼嗣を第5代将軍に擁
北
北条実時
金沢文庫の創設者
北条実時は鎌倉幕府の有力御家人で、北条氏の一門である金沢流北条氏の祖。元仁元年(1224年)に北条実泰の子として生まれる。幼少より学問を好み、和漢の書籍を広く蒐
無
無学祖元
円覚寺開山・元寇の導師
1226年、南宋の明州(現・浙江省寧波市)出身の臨済宗僧侶。若くして禅の修行に入り、師から師へと法を受け継いで一流の禅僧となった。南宋末期、元軍が南宋に侵攻した
無
無学祖元
円覚寺開山・元寇を見据えた禅僧
宝慶2年(1226年)南宋の慶元府(浙江省寧波)に生まれ、7歳で学問を始め、13歳で出家した。各地の禅刹で修行を積み、元軍が南宋を侵攻した際には温州の能仁寺で元
北
北条時頼
五代執権
北条時氏の次男として1227年に生まれた。1246年、19歳で五代執権に就任した。就任翌年の宝治合戦(1247年)では有力御家人・三浦泰村の一族を鎌倉法華堂で滅
北
北条長時
第6代執権
鎌倉幕府第6代執権。北条氏極楽寺流の北条重時の子。1256年、第5代執権北条時頼が病のため出家・辞任した際に後任として執権に就任した。時頼は出家後も実質的な権力
安
安達泰盛
霜月騒動の当事者・幕政改革者
鎌倉幕府の有力御家人・安達氏の当主。外祖父は北条泰時。娘の覚山尼は第8代執権北条時宗の正室であり、北条得宗家と深い姻戚関係を持った。時宗の信任を受けて幕政に参画
北
北条宣時
連署・北条時房の孫
北条時房の孫にあたる北条氏の有力者。北条時房は北条義時の弟にして初代連署を務めた人物であり、宗宣はその家系に属する。宗宣は幕政において評定衆・引付衆の要職を長年
一
一遍
時宗開祖・踊り念仏
伊予国(現在の愛媛県)の豪族・河野通広の子として1239年に生まれた。10歳で出家し、九州・太宰府に赴いて浄土宗の聖達のもとで念仏の修行を積んだ。いったん故郷に
藤
藤原頼嗣
第5代将軍
藤原頼経の子として1239年に生まれた。1244年、第4代将軍・藤原頼経が北条経時の意向により将軍職を解かれると、わずか6歳で第5代将軍に就任した。最後の摂家(
宗
宗尊親王
第6代将軍・初の皇族将軍
1242年、後嵯峨天皇の皇子として生まれた。摂家(藤原氏)から将軍を迎える慣例を廃し、皇族を将軍とする方針に切り替えた北条時頼の求めで、1252年(宗尊10歳)
北
北条時宗
八代執権・元寇
北条時頼の次男として1251年に生まれた。1268年(18歳)に八代執権に就任した直後から、モンゴル帝国(元)の使者が次々と来日し服属を要求してくるという未曾有
北
北条宗宣
第10代執権
北条氏大仏流(おさらぎりゅう)の出身。大仏流は北条泰時の弟・朝直を祖とする一族で、鎌倉・大仏付近に所領を持っていたことからその名がある。宗宣は幼少期より幕政に関
惟
惟康親王
第7代将軍
宗尊親王の子として1264年に生まれた。1266年、父・宗尊親王が幕府に謀反の嫌疑をかけられて将軍職を解かれ京都に送還されると、わずか3歳で第7代将軍に就任した
日
日像
京都法華宗の開拓者
文永6年(1269年)に生まれ、7歳の時に日朗上人に連れられて日蓮聖人に弟子入りした。日蓮の遺命である京都布教を果たすべく、鎌倉で百日の荒行を修めた後、永仁元年
北
北条貞時
九代執権
1271年、八代執権・北条時宗の子として生まれた。父・時宗が1284年に34歳で急死すると、わずか13歳で九代執権に就任した。就任翌年の霜月騒動(1285年)で
夢
夢窓疎石
七朝帝師・庭園の天才
1275年、伊勢国(現・三重県)に生まれた。8歳で出家し、比叡山・奈良諸寺で学んだ後、鎌倉の建長寺・円覚寺などで禅を修行した。師を求めて各地を遍歴する中で悟りを
北
北条師時
十代執権
1275年生まれ。北条義時の曾孫にあたる北条氏傍流・名越流(なごえりゅう)の出身とされる。幼少期より評定衆などの幕府要職に就き、幕政の実務を担ってきた。1301
夢
夢窓疎石
七朝帝師・作庭の禅僧
建治元年(1275年)伊勢国に生まれ、幼少で出家し天台・真言を学んだ後、禅に転向した。各地を遍歴して修行を重ね、甲斐・鎌倉・京都で多くの禅寺を開いた。後醍醐天皇
久
久明親王
第8代将軍
後深草天皇(持明院統)の皇子として1276年に生まれた。1289年、惟康親王の後任として第8代将軍に就任するため13歳で鎌倉に下向した。在任中は第9代執権・北条
赤
赤松円心
播磨の守護・倒幕の功臣
播磨国の武将で、本名は赤松則村。法名の円心で広く知られる。後醍醐天皇の倒幕の呼びかけに応じて1333年に挙兵し、播磨国を中心に幕府軍と戦った。苔縄城に拠り、六波
北
北条貞顕
金沢貞顕・第15代執権
北条氏金沢流の当主で、金沢文庫の発展に尽力した教養人。1326年に第15代執権に就任したが、わずか10日で辞任。1333年、新田義貞の鎌倉攻めにより北条一族とと
北
北条煕時
十二代執権
1279年生まれ。北条義時の曾孫にあたる赤橋流(あかはしりゅう)北条氏の出身。赤橋流は北条義時の子・重時の系統であり、後に最後の執権・北条守時や足利尊氏の正室・
吉
吉田兼好
『徒然草』著者・兼好法師
卜部(うらべ)氏の出身で、本名は卜部兼好。後二条天皇に仕えた後に出家し兼好法師と称した。1330年頃に随筆『徒然草』を著し、人生・自然・無常・処世など多岐にわた
北
北条基時
十三代執権
1286年生まれ。北条義時の曾孫・赤橋久時の子にあたる赤橋流北条氏の出身。もともと評定衆・引付衆として幕政に参与した後、1311年に十二代執権・北条煕時の後任と
後
後醍醐天皇
建武の新政・倒幕の旗手
1288年、後宇多天皇の皇子として生まれた。即位後から院政を廃止して天皇親政の復活を強く志し、幕府打倒計画を秘密裏に進めた。1324年の正中の変では事前に露見し
千
千種忠顕
後醍醐天皇の側近・倒幕の功臣
後醍醐天皇に仕えた公家の武将。六条有房の子とも伝えられる。元弘の変(1331年)に際して後醍醐天皇の倒幕計画に参画し、天皇の隠岐配流後も各地で倒幕活動を続けた。
名
名和長年
伯耆の豪族・後醍醐天皇の忠臣
伯耆国(現在の鳥取県中西部)の豪族・海運業者。1333年、隠岐に配流されていた後醍醐天皇が脱出した際、名和長年は天皇を船上山に迎え入れて挙兵した。幕府の追討軍を
北
北畠親房
『神皇正統記』著者・南朝の重臣
南北朝時代の公卿で、南朝方の中心的な理論家・政治家。村上源氏の名門に生まれ、後醍醐天皇に仕えた。建武の新政崩壊後、吉野の南朝を支え、常陸国(茨城県)の小田城で『
楠
楠木正成
太平記の忠臣
1294年頃、河内国(大阪府)赤坂の武将の家に生まれた。出自は楠木一族の棟梁であるが、それ以前の詳細は不明。1331年、後醍醐天皇の倒幕の呼びかけに真っ先に応じ
楠
楠木正成
大楠公・忠臣の鑑
鎌倉末期・南北朝時代の武将。河内国の豪族として生まれ、1331年の元弘の乱で後醍醐天皇の倒幕運動に呼応して挙兵した。千早城・赤坂城などの山城に籠もり、圧倒的な幕
北
北条守時
最後の執権・第16代
鎌倉幕府最後の第16代執権。北条氏赤橋流の出身で、妹の赤橋登子は後に足利尊氏の正室となった。1326年に執権に就任したが、この頃の執権職はすでに形骸化しており、
長
長崎高資
内管領・得宗被官の権勢
鎌倉幕府末期に権勢を振るった得宗被官(北条得宗家の家臣)で、内管領を務めた。父は長崎高綱(円喜)。第14代執権北条高時の側近として幕政の実権を掌握し、執権や連署
新
新田義貞
鎌倉攻めの英雄
1301年頃、上野国新田荘(現・群馬県太田市)を本拠とする源氏の名門・新田氏の棟梁として生まれた。1333年5月、後醍醐天皇の命を奉じて上野国生品明神で挙兵する
守
守邦親王
第9代将軍・最後の鎌倉将軍
久明親王の子として1301年に生まれた。1308年、父の後を継いで7歳で第9代将軍に就任し、鎌倉幕府最後の将軍となった。在職期間は25年余りと歴代最長クラスであ
新
新田義貞
鎌倉幕府を倒した武将
鎌倉末期・南北朝時代の武将。上野国新田荘(現・群馬県太田市周辺)を本拠とする新田氏の当主。1333年、後醍醐天皇の倒幕の綸旨を受け挙兵。武蔵野を経て稲村ヶ崎で刀
北
北条高時
第14代執権
1304年、第9代執権・北条貞時の子として生まれた。父・貞時が1311年に没すると、わずか9歳で第14代執権に就任した。幼少ゆえ政務は大人の宿老に委ねられ、成長
足
足利尊氏
室町幕府初代将軍
室町幕府の初代征夷大将軍。源氏の名門・足利氏の当主で、正室は北条守時の妹・赤橋登子。当初は鎌倉幕府の有力御家人として後醍醐天皇の討幕運動を鎮圧する側にあったが、
足
足利尊氏
室町幕府初代将軍
足利貞氏の次男として下野国に生まれ、鎌倉幕府の有力御家人として育った。後醍醐天皇の倒幕運動(元弘の変、1331年)に当初は幕府側として対応したが、1333年に六
佐
佐々木道誉
バサラ大名の先駆け
1306年、近江国の守護大名・佐々木氏(京極氏)の当主として生まれた。本名は佐々木高氏(後に道誉と号した)。幼い頃から武芸・文雅に優れ、鎌倉幕府末期には六波羅探
北
北条仲時
六波羅探題北方
北条氏普恩寺流。六波羅探題北方として京都の治安維持と朝廷監視を担った。1333年、後醍醐天皇方の挙兵により六波羅が陥落。光厳天皇を奉じて東国へ落ち延びようとした
護
護良親王
悲運の征夷大将軍
1308年、後醍醐天皇の皇子として生まれた。幼くして天台宗の門に入り、延暦寺座主(天台宗の最高位)にまで上り詰めた。父・後醍醐天皇が鎌倉幕府打倒を決意すると還俗
護
護良親王
後醍醐天皇の皇子・鎌倉宮祭神
後醍醐天皇の皇子。幼少期に比叡山に入り天台座主となったが、父帝の倒幕運動に呼応して還俗し、大塔宮と称して吉野・熊野の山岳地帯を拠点にゲリラ戦を展開した。楠木正成
北
北畠顕家
若き天才武将・南朝の流星
北畠親房の長男。建武の新政において、わずか16歳で陸奥守・鎮守府大将軍に任じられ、義良親王(後の後村上天皇)を奉じて奥州に下向した。足利尊氏が建武政権に叛いた際
北
北条時行
高時の遺児・中先代の乱
鎌倉幕府最後の得宗・北条高時の遺児。1333年に鎌倉幕府が滅亡した際、まだ幼少であったため家臣の諏訪頼重らに守られて信濃国に逃れた。1335年、北条氏の再興を目
楠
楠木正行
小楠公・四條畷の戦いの主役
楠木正成の長男。父が湊川で討死した際、桜井の別れで11歳のまま河内へ帰された。後に南朝の主力武将として高師直の北朝軍と戦い、四條畷で奮戦の末に弟正時とともに自刃
南北朝・室町
NANBOKUCHO / MUROMACHI
— 197
足
足利義満
室町幕府三代将軍・金閣寺建立
足利義詮の子として生まれ、10歳で三代将軍に就任した。管領・細川頼之に補佐されながら成長し、親政を開始すると幕府権力の強化に尽力した。1392年に南北朝の合一を
世
世阿弥
能の大成者
室町時代の能役者・能作者・能の理論家。父・観阿弥とともに「観世座」を率い、能を芸術として大成した。幼少の頃から義満に寵愛され、京の文化人・公家らとの交流を通じて
赤
赤松満祐
嘉吉の乱の主謀
播磨守護赤松氏当主。1441年、所領削減を恐れ将軍足利義教を自邸に招いて暗殺(嘉吉の乱)。山名持豊らに討伐され播磨城山城で自刃、赤松宗家は一時断絶した。
一
一休宗純
破戒の風狂僧
1394年に生まれ、後小松天皇の落胤とされる。幼くして安国寺(京都)に入り出家したが、やがて禅宗の形式主義を嫌って破天荒な遍歴の修行の道を歩んだ。臨済宗大徳寺派
一
一休宗純
破戒の禅僧・詩人
室町時代の臨済宗の禅僧。後小松天皇の落胤とも伝えられる。6歳で京都・安国寺に入り出家。厳しい修行の末、堺の禅僧・謙翁宗為に師事し、さらに大徳寺の華叟宗曇に参じて
足
足利義教
万人恐怖・六代将軍
応永元年(1394年)、四代将軍・足利義持の弟として生まれ、出家して天台座主となっていた。兄・義持が嗣子なく没すると、くじ引きによって六代将軍に選ばれた(142
蓮
蓮如
本願寺第八世・浄土真宗中興の祖
応永22年(1415年)2月25日、京都東山の大谷本願寺で本願寺第七世存如の長子として生まれた。当時の本願寺は親鸞の血脈を継ぎながらも衰微の極にあり、堂舎は荒廃
雪
雪舟
日本水墨画の最高峰
1420年頃、備中国(岡山県)に生まれた。幼い頃から絵を好み、京都の相国寺に入って修行した。幼少期の伝説として語り継がれるのが「涙でネズミを描いた話」だ——絵ば
村
村田珠光
わび茶の創始者
奈良の称名寺の僧として出家したが、強い茶の湯への傾倒から還俗した。その後、大徳寺の一休宗純のもとで参禅し、禅の精神と茶を融合させた「わび茶」を創始した。当時の茶
朝
朝倉孝景
越前朝倉氏の祖・朝倉孝景条々
応仁の乱で当初は西軍だったが東軍に寝返り越前守護代から守護に昇った下剋上の典型。家臣統制と城下町集住を定めた『朝倉孝景条々』は戦国分国法の先駆。
細
細川勝元
室町幕府管領・応仁の乱東軍総帥
細川持之の子。三度管領を務め室町幕府を主導。義政の継嗣問題で山名宗全と対立し、1467年応仁の乱の東軍総帥となるが戦中に病没。乱は11年に及び戦国時代の幕を開け
北
北条早雲
戦国最初の下剋上大名
1432年頃、京都の伊勢氏の出身とされる(近年の研究で「浪人」説は否定された)。室町幕府の申次衆として仕える家柄であったが、姉の婿・今川義忠の死後(1476年)
太
太田道灌
江戸城築城者
永享4年(1432年)、扇谷上杉氏の家宰・太田資清の子として生まれる。幼名は鶴千代。足利学校で学び、文武両道の教養を身につけた。 長禄元年(1457年)、25歳
北
北条早雲
後北条氏の祖・伊勢新九郎盛時
備中国(現岡山県)出身とされ、本名は伊勢盛時(伊勢新九郎)。幕府の申次衆として働いた後、姉が今川義忠の妻であった縁から今川家に仕えた。義忠の死後に起きた今川家の
足
足利義政
銀閣寺を建てた室町第八代将軍
室町幕府第六代将軍・足利義教の子として京都に生まれ、1449年に第八代将軍に就任した。将軍在職中は政治的に無能とも評される施政を行い、財政難・飢饉・一揆が頻発す
大
大内政弘
応仁の乱西軍の主力
大内氏当主。応仁の乱で山名宗全方の西軍主力として上洛し10年間京都で戦う。乱後は山口に戻り「西の京」の文化基盤を整え、雪舟ら文化人を庇護した。
尼
尼子経久
山陰の謀将
1458年、出雲国の守護代・尼子家に生まれた。1478年に守護・京極氏から守護代の地位を剥奪され、月山富田城から追放された。しかし1484年の元旦の深夜、少数の
田
田代三喜
後世派医学の祖
1465年、武蔵国の生まれ。若くして僧となり医学を志し、1487年から12年間明に渡って中国医学を学んだ。特に金元医学——李東垣(李杲)の脾胃論と朱丹渓の滋陰論
朝
朝倉宗滴
戦国越前の名将
1477年、越前朝倉氏の一族として生まれた。第5代当主・朝倉貞景の兄弟として、そして第6・7・8・9代の四代の当主に軍事顧問として仕えた。加賀の浄土真宗門徒によ
寿
寿桂尼
今川氏の女戦国大名
中御門宣胤の娘、今川氏親の正室。氏親・氏輝・義元・氏真の四代に及び駿府の政務を補佐。義元戦死後も氏真を支え、駿河今川家最後の屋台骨となった。
塚
塚原卜伝
剣聖
1489年、常陸国鹿島(現・茨城県鹿嶋市)の鹿島神宮の神官・卜部覚賢の子として生まれ、のちに塚原城主・塚原安幹の養子となった。幼少より鹿島の太刀を学び、17歳で
長
長野業正
上州の黄斑
1491年(延徳3年)、上野国の豪族・長野氏の当主として生まれた。箕輪城(現・群馬県高崎市)を本拠とし、関東管領・上杉氏に仕えた。上杉氏の衰退後も上野国西部の実
斎
斎藤道三
美濃国主・マムシの道三
山城国(一説に近江国)の出身で、油売り商人の子として生まれたとも、法蓮房という僧侶だったとも伝えられる(近年の研究では、下剋上は道三とその父・長井新左衛門尉の二
毛
毛利元就
中国地方の覇者
1497年、安芸国吉田郡山城主・毛利弘元の次男として生まれた。幼少期に父・弘元と母を相次いで失い、孤独な少年時代を送った。兄・興元も早死にしたため、15歳頃に家
毛
毛利元就
三矢の訓・中国地方の覇者
戦国時代の大名。安芸国吉田郡山城(現・広島県安芸高田市)を本拠とする毛利氏の当主。幼少時に父・弘元を失い、兄・興元の死後に家督を継いだ。謀略・外交・戦略を駆使し
山
山本勘助
信玄の伝説的軍師
生年は明応2年(1493年)説や文亀元年(1501年)説があり定かでない。三河国または駿河国の出身とされる。隻眼・跛足で風采の上がらぬ容貌だったが、兵法・築城術
武
武野紹鴎
わび茶の大成者・利休の師
堺の豪商・武野家に生まれ、若くして和歌・連歌を三条西実隆に学んだ。堺を通じて入ってきた村田珠光系のわび茶を学び、歌道で磨いた美意識を加えてさらに洗練・体系化した
フ
フランシスコ・ザビエル
キリスト教伝来の使徒
1506年、スペイン・ナバラ王国のザビエル城に生まれた。パリ大学でイグナチオ・デ・ロヨラと出会い、1534年にイエズス会の創設メンバーの一人となった。インド・ゴ
大
大内義隆
西国の名門・大寧寺の変で滅ぶ
大内氏31代当主。山口を「西の京」と称される文化都市として繁栄させ、フランシスコ・ザビエルの布教を許可。陶晴賢の謀反「大寧寺の変」で長門大寧寺にて自刃し、名門大
上
上泉信綱
剣聖・新陰流祖
1508年、上野国(現・群馬県)大胡の豪族・上泉氏の当主として生まれた。幼名は秀綱、のちに信綱と改名。上泉氏は箕輪城主・長野業正に仕える国人領主であり、信綱は武
松
松永久秀
梟雄
1510年頃、出自不詳ながら三好長慶に仕えて頭角を現し、大和国(奈良県)の支配を確立するまでに成り上がった戦国の梟雄。1565年に将軍・足利義輝を三好三人衆と共
真
真田幸隆
調略の達人
真田幸村(信繁)の祖父。武田信玄に仕え、難攻不落とされた砥石城を調略(内部からの切り崩し)で攻略した「砥石崩れ」で名を馳せた。武力よりも知略・調略を得意とし、信
立
立花道雪
雷神の異名を持つ大友家の重臣
豊後大友家の重臣。落雷を斬って雷神を退けたという伝説から雷神の異名を持つ。下半身不随となった後も輿に乗って指揮を執り、九州の島津・龍造寺勢と渡り合った。
尼
尼子晴久
尼子氏第4代当主
出雲を本拠とする戦国大名・尼子氏の第4代当主。祖父・経久が築いた尼子氏の勢力をさらに拡大し、山陰・山陽11カ国を支配する中国地方最大の大名となった。毛利元就と激
馬
馬場信春
不死身の鬼美濃
武田四天王の一人。40年以上の合戦で一度も傷を負わなかったという伝説から「不死身の鬼美濃」と呼ばれた。築城の名手としても知られ、深志城(現・松本城)などの改修を
北
北条氏康
相模の獅子
戦国時代の後北条氏第3代当主。父・氏綱から家督を継ぎ、関東の覇権確立に向けて積極的に版図を拡大した。1545年の河越夜戦では上杉朝定・上杉憲政・古河公方足利晴氏
稲
稲葉一鉄
美濃三人衆
美濃の国人。斎藤氏に仕えた後、信長に降り氏家卜全・安藤守就と共に「美濃三人衆」と呼ばれた。剛直な性格で頑固一徹の語源とされる。秀吉政権下まで領地を保った。
朝
朝山日乗
織田信長の御伽衆
法華僧。毛利氏との交渉、朝廷工作、外国宣教師との折衝など、信長の外交参謀として活躍。フロイスとの天皇御前討論で論破された逸話も伝わる。
今
今川義元
海道一の弓取り
1519年、駿河今川氏の第10代当主・氏親の三男として生まれた。長兄の死により今川家11代当主となり、名参謀・太原雪斎の補佐のもとで天文法華の乱や花倉の乱などの
今
今川義元
東海道の覇者・駿河守護
駿河国の守護大名・今川氏親の五男として生まれ、僧侶として育てられたが兄の急死により今川家の当主となった。優れた内政手腕で今川仮名目録を制定して領国支配を整備し、
今
今井宗久
天下三宗匠・堺の豪商
1520年に堺の有力商人今井家に生まれた。師・武野紹鴎の娘を娶り、紹鴎から多くの名物茶道具を受け継いだことで、茶の湯における地位を確立した。天下統一を目指す織田
武
武田信玄
甲斐の虎
1521年、甲斐武田氏の第18代当主・信虎の嫡男として生まれた。1541年、家臣団と結託して父・信虎を駿河今川氏の下に追放し、甲斐の支配権を掌握。以後、信濃への
武
武田信玄
甲斐の虎・風林火山
1521年、甲斐国躑躅ヶ崎館で武田信虎の嫡男として生まれ、幼名を太郎と称した。父・信虎は猛将だったが苛政で家臣の不満を招いており、1541年に信玄はそれを利用し
柴
柴田勝家
瓶割柴田・織田筆頭家老
1522年頃、尾張の武士の家に生まれた。織田信長の父・信秀の頃から仕え、当初は信長に反抗したが後に帰服し、信長の最も信頼される筆頭家老となった。「瓶割柴田」の異
三
三好長慶
信長以前の天下人
阿波・讃岐・淡路・摂津・河内・山城などを支配した戦国大名。将軍・足利義輝を追放して畿内を制圧し、信長以前で最初に「天下人」の地位に近づいた人物と評される。松永久
内
内藤昌秀
武田の副将
武田四天王の一人。派手な武勲こそ少ないが、信玄から「内藤がいれば軍議は安泰」と絶大な信頼を寄せられた調整役。内政にも手腕を発揮し、上野国(群馬)の統治を任された
千
千利休
わび茶の大成者
堺の魚問屋・田中与兵衛の子として生まれ、幼少より茶の湯に親しんだ。北向道陳・武野紹鴎に師事して茶道を深め、やがて「わび茶」の美学を極限まで洗練させた。1568年
内
内藤昌豊
武田四名臣・西上野守備
武田信玄四天王の一人。西上野の箕輪城代として国境警備にあたり、信玄死後は勝頼に仕えた。長篠の戦いで奮戦の末討死し、武田家衰退の象徴となった。
滝
滝川一益
織田の関東管領代
1525年頃、近江か伊賀の出身と伝わる。出自については諸説あるが、鉄砲の名手として織田信長に仕え、重用された。北伊勢12万石の大名となり、関東支配のために上野厩
武
武田信繁
古典厩
1525年(大永5年)、甲斐武田氏当主・武田信虎の次男として生まれた。兄は後の武田信玄。父・信虎は弟の信繁を溺愛し家督を譲ろうとしたが、1541年に信玄が父を追
蜂
蜂須賀小六(正勝)
秀吉最古参の忠臣
1526年、尾張国海東郡の土豪の家に生まれた。木曽川・長良川流域を根城とする川並衆(川の武士・水運業者集団)の頭領として、独自の勢力を誇っていた。1558年頃に
斎
斎藤義龍
美濃の大蛇
1527年、美濃の戦国大名・斎藤道三の長男として生まれた。ただし出生については道三の実子ではないとする説も古くから存在する。幼少期から体格に優れ、身長は六尺を超
酒
酒井忠次
徳川四天王の筆頭
1527年、三河の武士・酒井正親の長男として生まれた。幼少期から徳川家康(当時は松平元康)に仕え、家康の父・広忠の代から仕える古参の重臣であった。1560年の桶
高
高坂昌信
逃げ弾正
武田四天王の一人。無謀な戦いを避け、鮮やかな撤退戦を得意とした知将で「逃げ弾正」と呼ばれた。第四次川中島の戦いでは上杉軍の背後を突く別動隊を指揮。信玄の戦略を記
明
明智光秀
本能寺の変を起こした謀反人
美濃国の土岐氏一族の出とされるが、前半生は不詳な点が多い。足利義昭に仕えた後、織田信長に取り立てられ急速に出世した。比叡山焼き討ち(1571年)・長篠の戦い(1
宇
宇喜多直家
備前の梟雄
1529年、備前国(岡山県)の豪族・宇喜多家に生まれた。祖父・能家が主家の浦上村宗に謀殺された後、父と共に流浪の生活を余儀なくされた。父の死後、再び浦上氏に仕え
龍
龍造寺隆信
肥前の熊
1529年(享禄2年)2月15日、肥前国佐嘉郡水ヶ江(現・佐賀県佐賀市)に龍造寺氏の一族として生まれた。1536年、7歳で出家し法名「円月」を称した。しかし15
山
山県昌景
赤備えの猛将
武田四天王の一人。兵の軍装を赤で統一した「赤備え」の創始者として知られる。小柄ながら「山県が動けば敵が逃げる」と恐れられた猛将。信玄の死後も武田軍の中核を担い、
柳
柳生宗厳(石舟斎)
柳生新陰流の祖
1529年、大和国柳生庄(現・奈良県奈良市柳生町)の領主・柳生家厳の子として生まれた。幼少より武芸を学び、最初は新当流(鹿島系の剣術)を修めた。やがて戸田一刀斎
上
上杉謙信
越後の龍・軍神
享禄3年(1530年)、越後守護代・長尾為景の四男として春日山城に生まれた。幼名は虎千代。7歳で林泉寺に入り、天室光育に学んで禅と学問に励んだ。兄・晴景に代わっ
津
津田宗及
天下三宗匠・天王寺屋
堺の豪商・天王寺屋の当主として生まれた。父・宗達の代から茶の湯に通じた家風を受け継ぎ、武野紹鴎から茶を学んだとされる。自ら主催した数多くの茶会の様子を細かく書き
大
大友宗麟
九州の覇者
1530年、豊後国(現大分県)の守護大名・大友義鑑の嫡男として生まれた。1550年、父義鑑が家臣に暗殺される「二階崩れの変」が起こり、混乱の中で21歳の宗麟が当
上
上杉謙信
越後の龍・義の武将
1530年、越後国春日山城で長尾為景の四男として生まれ、幼名を虎千代と称した。幼少期に林泉寺で学問・禅を修め、深い信仰心と文武の素養を身につけた。1548年に病
由
由布姫
武田信玄側室・諏訪御料人
諏訪頼重の娘。父が信玄に攻め滅ぼされた後、信玄の側室となり武田勝頼を産む。25歳で早世したが、その悲劇的境涯は新田次郎『武田信玄』により広く知られる。
ル
ルイス・フロイス
戦国日本を記録したポルトガル人宣教師
1532年、ポルトガル・リスボンに生まれた。イエズス会に入会し、1548年にインドのゴアに渡り、1563年に日本に到着した。以後34年間にわたり日本に滞在し、布
朝
朝倉義景
越前の文化大名
1533年、越前朝倉氏の当主・朝倉孝景の嫡男として生まれた。1548年に家督を継ぎ、越前の支配者となった。文化・芸術を愛する風雅な大名として知られ、一乗谷に優れ
前
前田慶次
戦国最強の傾奇者・花の慶次のモデル
前田利家の甥(養子とも)として生まれた慶次は、加賀前田家の武将でありながら、主君・利家に対して前代未聞の「嫌がらせ」を仕掛けて出奔するという破天荒な行動で知られ
小
小早川隆景
毛利両川・五大老
毛利元就の三男。小早川家の養子となり、兄吉川元春とともに「毛利両川」として毛利家を支えた。本能寺の変直後、秀吉の中国大返しを巧妙な外交で見送ったとされる。秀吉の
細
細川藤孝(幽斎)
文武両道の大名・古今伝授の継承者
戦国・江戸初期の大名で、細川ガラシャの舅にあたる細川忠興の父。足利義輝・義昭に仕えた後、織田信長に属した。関ヶ原の戦い直前、本拠・田辺城を西軍に囲まれたが、「古
雑
雑賀孫市
紀州の鉄砲大将
生没年不詳(1534年頃〜1589年頃とされる)。本名は鈴木重秀と伝わるが、「雑賀孫市」は雑賀衆の頭領が代々名乗った通称であり、複数の人物の事績が混同されている
織
織田信長
天下布武の革命児
1534年、尾張国那古野城で織田信秀の嫡男として生まれる。幼少期は奇抜な行動から「尾張の大うつけ(大馬鹿者)」と呼ばれたが、父の死後に家督を継ぎ、尾張統一を果た
蒲
蒲生賢秀
近江日野城主・氏郷の父
近江日野の領主。六角氏に仕えていたが信長に降り重用される。本能寺の変直後、信長の妻子を安土から日野へ無事に避難させた忠義で名高い。
島
島津義弘
鬼島津
1535年、薩摩島津氏の当主・貴久の二男として生まれた。兄・義久が第17代当主となり、義弘は弟として島津軍の最前線を担い続けた。1572年の木崎原の戦いでは伊東
荒
荒木村重
摂津の反逆者
1535年頃、摂津の土豪の家に生まれた。池田氏に仕えた後、織田信長に見出されて重用された。摂津一国の支配を任され、有岡城(現在の兵庫県伊丹市)を拠点とした。しか
丹
丹羽長秀
「米五郎左」織田の行政官
1535年、尾張の土豪・丹羽長政の子として生まれた。若くして織田信長に仕え、その実直な仕事ぶりから「米五郎左(こめごろうざ)」の異名を持った。これは「米(食料)
濃
濃姫
美濃の蝶
1535年(天文4年)頃、美濃の戦国大名・斎藤道三と正室・小見の方の娘として生まれたとされる。別名は帰蝶。1549年(天文18年)、政略結婚として尾張の織田信長
島
島津義弘
鬼島津
戦国・安土桃山時代の武将、島津氏第17代当主・島津義久の弟。薩摩を拠点に九州統一を目指した島津氏の中核を担い、耳川の戦い(1578年)では大友氏を大破するなど数
佐
佐々成政
厳冬の立山を越えた豪将
1536年、尾張の武士・佐々盛政の子として生まれた。織田信長に仕えて武功を挙げ、越中富山の支配を任された。信長の死後、柴田勝家と共に豊臣秀吉に対抗したが、賤ヶ岳
井
井伊直虎
おんな城主
生年不詳(1530年代半ば頃と推定)。遠江国井伊谷(現・静岡県浜松市北区)の国衆・井伊氏の当主の娘として生まれた。井伊氏は今川義元の支配下にあり、父・井伊直盛は
足
足利義輝
剣豪将軍
1536年(天文5年)3月10日、室町幕府第12代将軍・足利義晴の嫡男として生まれた。1546年、父の譲位により11歳で第13代将軍に就任した。しかし実権は管領
天
天海
黒衣の宰相・徳川幕府の参謀僧
天文5年(1536年)会津に生まれたとされるが、出自には諸説ある。天台宗の僧として修行を積み、慶長年間に徳川家康の信任を得て政治・宗教の顧問となった。家康の死後
池
池田恒興
織田家宿老・小牧長久手で戦死
信長の乳母兄弟として近侍し、清洲会議では宿老の一人として三法師擁立に賛成。秀吉方として小牧長久手の戦いに参戦し、長久手で徳川軍に討たれた。
下
下間頼廉
本願寺軍師・石山合戦の英雄
1537年、本願寺重臣・下間家の出身として生まれた。下間氏は鎌倉時代以来本願寺に仕えてきた筆頭家臣の家柄で、代々「頼」の字を名乗る。頼廉は若くして本願寺第11世
豊
豊臣秀吉
太閤・天下人
1537年、尾張国中村の下級武士(農民とも)の子として生まれ、幼名を日吉丸と称した。身分の低い出自ながら若くして織田信長に仕え、機転・弁舌・行動力で急速に頭角を
足
足利義昭
室町幕府最後の将軍
室町幕府第15代・最後の将軍(在職1568-1573年)。13代将軍・足利義輝の弟で、兄の暗殺後に還俗し織田信長に擁立されて将軍となった。信長に京を回復してもら
今
今川氏真
蹴鞠の名手・戦国を生き抜いた公家大名
1538年、駿河・遠江・三河を支配する東海道最大の戦国大名・今川義元の嫡男として生まれた。1560年、父・義元が桶狭間の戦いで織田信長に討たれると家督を継いだ。
本
本多正信
徳川の謀臣
1538年、三河の徳川家臣・本多俊正の子として生まれた。若き日に一向一揆に加担して徳川家康のもとを出奔し、各地を流浪した。しかし後に許されて再び家康に仕え、その
北
北条氏政
小田原の覇者
1538年(天文7年)、後北条氏第3代当主・北条氏康の次男として生まれた。兄の早世により嫡男となり、1559年に父の隠居を受けて第4代当主となった。武田信玄の娘
前
前田利家
加賀百万石の祖
天文7年(1538年)、尾張国荒子村に生まれた。幼少期から織田信長に仕え、その槍術の腕から「槍の又左」と呼ばれた。1560年に一時出奔したが信長に赦免され、以降
長
長宗我部元親
四国の覇者
1539年、土佐国の国人領主・長宗我部国親の嫡男として生まれた。幼少期は色白で大人しく「姫若子」とからかわれたが、1560年の初陣(長浜の戦い)で壮絶な武勇を発
鳥
鳥居元忠
伏見城に散った忠臣
1539年、三河の武士・鳥居忠吉の嫡男として生まれた。幼少期から徳川家康に仕え、家康と共に人質時代の苦労を共にした古参の忠臣であった。多くの合戦で武功を挙げ、家
長
長谷川等伯
「松林図屏風」の巨匠・長谷川派の祖
1539年、能登国七尾(現・石川県七尾市)の染物屋・奥村家の子として生まれた。幼名は又四郎、後に信春。長谷川宗清の養子となり長谷川姓を称した。若年期は能登で日蓮
長
長宗我部元親
四国統一を果たした土佐の英雄
戦国時代の武将・大名。土佐国(現・高知県)の長宗我部氏の当主。幼少時は色白で大人しかったことから「姫若子」と揶揄されたが、初陣の長浜の戦い(1560年)で勇猛な
島
島左近(勝猛)
三成に過ぎたる物
石田三成の筆頭家老にして最強の軍師。もともと筒井順慶の家臣だったが主家が衰退して浪人となっていたところを、三成が自分の禄高の半分(二万石)を与えて招いたという逸
豊
豊臣秀長
大和大納言
1540年、秀吉の異父弟として尾張国に生まれた。幼名は小一郎、後に秀長と名乗った。兄・秀吉が織田家に仕えて台頭し始めると、早くからその側に立ち続け、墨俣一夜城の
奥
奥村助右衛門
前田家随一の忠臣
1541年、尾張国中島郡(現・愛知県一宮市)に生まれた。通称は助右衛門、名は永福(ながとみ)。前田利家に仕え、加賀藩の重臣として活躍した。1584年(天正12年
九
九鬼嘉隆
戦国最強の海賊大名
1542年、志摩国の国人領主・九鬼泰隆の嫡男として生まれた。志摩半島を拠点とした水軍(海賊衆)の頭目として頭角を現し、織田信長に仕えた。信長の命により日本初の大
服
服部半蔵
鬼半蔵
1542年(天文11年)、三河国に伊賀出身の服部半蔵保長の子として生まれた。本名は正成。16歳で初陣を飾り、以後徳川家康に仕えて数々の戦場で槍の武功を挙げ、「鬼
本
本願寺顕如
石山の法主
1543年(天文12年)、本願寺第10世証如の嫡男として京都山科に生まれた。幼名は茶々丸、諱は光佐。1554年(天文23年)、父の急逝により11歳(数え12歳)
徳
徳川家康
江戸幕府初代将軍
1543年、三河国岡崎城で松平広忠の嫡男として生まれ、幼名を竹千代と称した。6歳のとき今川氏の人質として駿府に送られ、その後今川・織田と次々に人質生活を強いられ
伊
伊達輝宗
伊達家第16代当主
1544年、伊達家第15代当主・晴宗の嫡男として生まれ、1565年に21歳で第16代当主を継いだ。政宗の父として知られるが、自身も文武両道に優れた名君であり、家
竹
竹中半兵衛(重治)
秀吉の天才軍師
1544年(天文13年)、美濃国大野郡大御堂城主・竹中重元の子として生まれた。本名は竹中重治。1564年(永禄7年)、主君・斎藤龍興の暗愚を諌めるため、わずか1
山
山上宗二
利休の高弟・茶書の著者
堺の商人の家に生まれ、千利休に師事して茶の湯を深く学んだ。利休の高弟として頭角を現し、その茶の湯の教えや名物道具の来歴・鑑定を詳細に記録した『山上宗二記』を著し
古
古田織部
織部焼の祖・利休後の天下の茶頭
1544年に美濃国の武将の家に生まれた。若くして千利休に入門し、利休七哲の一人として数えられた。1591年に利休が切腹を命じられた後は、豊臣秀吉・徳川家康に茶頭
浅
浅井長政
義を貫いた北近江の将
1545年、近江の戦国大名・浅井久政の嫡男として生まれた。1560年頃に家督を継ぎ、北近江を支配する浅井氏の当主となった。織田信長と同盟を結び、1567年に信長
増
増田長盛
五奉行
近江国の出身で、生年は不詳。若くして秀吉に仕え、その卓越した行政能力から早くに頭角を現した。豊臣秀長の補佐役として大和国の統治に携わり、秀長没後の1591年には
浅
浅井長政
信長の妹婿・義の武将
天文14年(1545年)、近江国の浅井家に生まれた。父・久政から家督を受け継ぎ北近江を支配した。1567年、織田信長の妹・お市の方と政略結婚し、織田家との同盟を
板
板倉勝重
初代京都所司代
徳川家康に仕えた寺侍出身。1601年から京都所司代を勤め、朝廷・公家・西国大名・寺社の監視と京都町奉行を兼務。公平な裁きで「板倉裁き」の名を残した。
黒
黒田官兵衛
秀吉の軍師
1546年、播磨国姫路の小寺家に仕えた黒田家に生まれた。父・職隆は姫路城代。若くして小寺政職の家老として頭角を現し、1567年に荒木村重の謀反の際には単身で説得
最
最上義光
出羽の梟雄
出羽国の大名。最上義守の長男として生まれ、父の代から続いた家中の内紛(最上家の内乱)を実力で鎮圧し、最上家の当主として確固たる地位を築いた。妹・義姫を伊達輝宗に
南
南部信直
南部氏当主・盛岡藩の祖
陸奥国三戸郡(現・青森県三戸町)を本拠とする南部氏の当主。南部氏は「南部八万騎」と称されるほど勇猛な騎馬武者を擁し、陸奥国北部から北東北にかけての広大な領域を支
山
山内一豊
土佐藩の礎を築いた武将
1546年、尾張の豪族・山内盛豊の次男として生まれた。父の死後、主君を転々とした後に豊臣秀吉に仕え、功績を積んで掛川城主となった。妻・千代は名馬を夫に贈るための
千
千少庵
千家再興の祖
千利休の後妻・宗恩の連れ子として1546年頃に生まれた。利休の娘・お亀と結婚し利休の養子となったことで、茶道の家元千家の一員となる。1591年に利休が豊臣秀吉の
千
千道安
利休の実子・堺千家
千利休の実子(先妻・宝心妙樹の子)として1546年に生まれた。幼少より父に茶の湯を学び、厳格で直截な独自の茶風を磨いた。利休の茶風を純化し、不要な装飾を徹底的に
黒
黒田官兵衛
秀吉の軍師・知将
戦国・安土桃山時代の武将・軍師。播磨国(現・兵庫県姫路市)の小寺氏の家老・黒田職隆の子として生まれた。織田信長の配下となった羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)に仕え、その
武
武田勝頼
武田氏当主・甲斐守護
武田信玄の四男として甲斐国で生まれた。母は諏訪頼重の娘であったため、当初は諏訪氏を継ぐ立場だったが、長兄・義信が廃嫡・死亡したため武田家の後継者となった。157
佐
佐竹義重
鬼義重・北関東の覇者
常陸国水戸の大名。「鬼義重(おによししげ)」と恐れられた北関東最大の実力者。武勇と知略を兼ね備え、常陸・下野・上野など関東北部に広大な支配圏を構築した。次男・佐
ま
まつ
加賀百万石を守った賢妻
1547年、尾張国海東郡に生まれた。篠原一計の娘で、幼い頃から前田家に養育された。12歳の時に前田利家に嫁ぎ、以後約21年間で2男9女をもうけた。利家の出世を内
織
織田有楽斎
有楽流の祖
1547年に織田信長の実弟・長益として生まれた。1582年の本能寺の変の際には京都にいたが、混乱の中を脱出して生き延びた。その後、豊臣秀吉・徳川家康に仕えながら
浅
浅野長政
五奉行筆頭
1547年、尾張国の安井重継の子として生まれ、後に浅野長勝の養子となった。養父の娘・やや(秀吉の正室ねねの妹とも伝わる)を娶ったことで、秀吉との義兄弟の関係が生
前
前田まつ(芳春院)
加賀百万石の賢夫人
1547年、尾張国(現愛知県)の武士・篠原一計の娘として生まれた。幼名は「まつ」。12歳のとき、織田信長の家臣として頭角を現しつつあった前田利家に嫁いだ。利家は
お
お市の方
戦国一の美女・信長の妹
戦国時代の女性。織田信長の妹として生まれ、「戦国一の美女」と称された。政略結婚により近江国の大名・浅井長政に嫁ぎ、茶々(淀殿)・初・江の三姉妹を産んだ。1573
真
真田昌幸
真田家の知将・上田城主
武田信玄・勝頼に仕えた真田幸隆の三男として信濃国に生まれた。武田氏滅亡後は自立して真田氏の存続を図り、織田・北条・上杉・徳川といった大勢力の間を巧みに渡り歩く外
本
本多忠勝
家康四天王・無傷の猛将
1548年、三河国の本多家に生まれた。父・忠高(忠義)は忠勝が幼い頃に戦死しており、家康の父・松平広忠に代々仕えた武家の血筋を受け継いだ。13歳で初陣を飾り、以
義
義姫
政宗の母・最上義光の妹
出羽国山形城主・最上義守の娘として生まれ、最上義光の妹。伊達輝宗に嫁いで伊達政宗と伊達小次郎を産んだ。兄・義光と甥・政宗の関係が険悪になるにつれ、義姫は兄・最上
相
相馬義胤
相馬中村城主
陸奥国相馬郡の大名で相馬家第16代当主。相馬氏は下総国相馬郡を発祥とする武士の名家で、奥州南部(現・福島県浜通り地方)に広大な所領を持つ有力大名であった。相馬野
榊
榊原康政
徳川四天王の一人
1548年、三河の武士・榊原長政の嫡男として生まれた。幼少期から徳川家康に小姓として仕え、成長とともに武将としての才覚を発揮した。1575年の長篠の戦いでは奮戦
本
本多忠勝
徳川四天王・不敗の猛将
天文17年(1548年)、三河国に生まれた。13歳から徳川家康に仕え始め、以来生涯にわたって家康の傍らで戦い続けた。三方ヶ原の戦い(1572年)・長篠の戦い(1
鬼
鬼庭綱元
伊達の外交官
1549年、伊達家の武将・鬼庭良直の子として生まれた。後に「茂庭綱元」と改姓した。父・良直は伊達氏の宿老として知られ、その子として輝宗・政宗二代にわたって仕えた
筒
筒井順慶
大和の戦国大名・洞ヶ峠の順慶
大和国を支配した戦国大名。幼少期から激しい抗争を生き抜き、松永久秀と争いながら大和を統一した。織田信長に属し、その後豊臣秀吉の傘下に入った。本能寺の変(1582
ね
ねね(北政所)
高台院
1549年頃、尾張国の杉原定利の娘として生まれた(一説には生年が1546年とも)。杉原家は浅野家とも縁戚にあたる。18歳頃に木下藤吉郎(後の秀吉)に嫁ぎ、まだ織
栗
栗山善助
黒田家筆頭家老
播磨国出身。黒田官兵衛(孝高)が有岡城に幽閉された際、主君不在の間も黒田家を守り抜いた忠義の臣として名高い。官兵衛が荒木村重に捕らわれた約1年間、織田信長から官
伊
伊藤一刀斎
一刀流の祖
1550年頃、伊豆大島に生まれた。本名は前田景久(まえだかげひさ)。幼少期を離島で過ごし、島を出て剣の道を志した。諸国を遍歴して真剣勝負33回をすべて無敗で切り
畠
畠山義継
二本松城主・粟ノ巣の変の主役
陸奥国二本松城主。二本松畠山氏の末裔として陸奥国安達郡を支配した。伊達政宗の父・伊達輝宗が奥州諸大名を次々と従えていくにつれ、二本松家の所領は次第に侵食され、義
高
高山右近
キリシタン大名・利休七哲
1552年頃、摂津高槻城主の家に生まれた。父・高山図書の影響で幼少期にキリスト教に入信し、洗礼名はジュスト(ジュスティノ)。高槻城主として領内のキリスト教布教を
毛
毛利輝元
西軍総大将
1553年(天文22年)1月22日、毛利隆元の嫡男として生まれた。祖父は中国地方の覇者・毛利元就。1563年に父が急死し、11歳で毛利家当主となった。祖父・元就
堀
堀秀政
名人久太郎
美濃の出。織田信長の小姓から取り立てられ、本能寺の変後は秀吉に仕えて若年で18万石を得る。武勇・知略・人柄すべてに優れ「名人久太郎」と称されたが、小田原征伐中に
井
井上九郎右衛門
黒田三老・黒田家の知恵袋
播磨国出身の黒田家臣。本名は之房。知略に長けた文武両道の武将で、黒田家の内政・外交において重要な役割を果たした。官兵衛の有岡城幽閉時には栗山善助と共に黒田家を守
上
上杉景虎
北条氏康七男・御館の乱の主役
北条氏康の七男として生まれ、相越同盟の証として上杉謙信の養子となり景虎を名乗る。1578年謙信急死後、もう一人の養子景勝と家督を争う「御館の乱」が勃発、敗れて自
弥
弥助
信長の黒人侍
弥助は、日本の戦国時代に織田信長に仕えたアフリカ出身の男性である。出身地はモザンビークとも東アフリカとも言われるが、正確な出自は不明。1581年(天正9年)、イ
小
小西行長
キリシタン大名
1555年頃、堺の大富豪・薬種商の小西隆佐の子として生まれた。商人の子弟でありながら武芸を磨き、秀吉の馬廻衆として仕えて頭角を現した。秀吉の九州征伐(1587年
蒲
蒲生氏郷
会津若松城主・キリシタン大名
近江国日野(現・滋賀県蒲生郡日野町)の大名・蒲生賢秀の長男。幼少より織田信長に小姓として仕え、その器量を見出した信長の娘(冬姫)を妻として賜わるほどの信任を得た
藤
藤堂高虎
築城の名人・七度主君を替えた武将
1556年、近江の土豪の家に生まれた。浅井長政・磯野員昌など七人の主君を渡り歩いたとされ、「七度主君を替えた男」として知られる。最終的に豊臣秀長に仕え、その死後
上
上杉景勝
謙信の後継者・寡黙なる義将
1556年(弘治元年)、越後国魚沼郡上田庄の坂戸城にて、上田長尾氏当主・長尾政景の次男として生まれた。母は上杉謙信の異母姉・仙洞院。1564年に父・政景が溺死す
蒲
蒲生氏郷
文武兼備のキリシタン大名
1556年(弘治2年)、近江国日野城主・蒲生賢秀の嫡男として生まれた。幼名は鶴千代。13歳で織田信長に人質として出されたが、信長はその聡明さを見抜き、娘の冬姫を
母
母里太兵衛
黒田三老・日本号の豪傑
播磨国出身の黒田家臣。本名は友信。身長六尺(約180cm)を超える偉丈夫で、武勇に優れた猛将として知られる。最も有名なエピソードは福島正則との酒宴での出来事。正
ヤ
ヤン・ヨーステン
八重洲の名の由来となったオランダ人航海士
1556年頃、オランダ・デルフト近郊のローデンスタインに生まれた。1598年、リーフデ号に航海士として乗船し、ウィリアム・アダムス(三浦按針)らとともにアジアを
片
片倉小十郎
伊達の智将
1557年、出羽国の生まれ。本名は片倉景綱。政宗の母・義姫に仕えた後、幼い政宗の傅役(教育係)として仕えた。政宗が家督を継いだ1584年以降、片腕として奥州制覇
安
安藤重信
徳川家臣・上野高崎藩主
三河譜代。家康に仕えて武功を重ね、関ヶ原・大坂の陣に参加。秀忠政権下で老中に列し、上野高崎5万6千石の大名となる。
別
別所長治
三木城主・悲劇の若武将
播磨・三木城主。羽柴秀吉(豊臣秀吉)の播磨侵攻に抵抗し、毛利方に属して籠城。秀吉による「三木の干し殺し」と呼ばれる兵糧攻めを受けた。1578年から1580年まで
教
教如
東本願寺開基
1558年、本願寺第11世・顕如の長男として生まれた。石山合戦では強硬派を率い、1580年に父・顕如が正親町天皇の勅命により織田信長との和睦を受諾して石山本願寺
本
本阿弥光悦
万能の天才
1558年、京都の刀剣鑑定の名家・本阿弥家に生まれた。家業の刀剣鑑定・研磨を担う傍ら、書道・陶芸・蒔絵・漆芸・茶の湯など多方面に天才的な才能を発揮した。書は近衛
大
大谷吉継
義に殉じた名将
1559年頃、近江国の出身とされ、若くして羽柴秀吉に仕えて頭角を現した。五奉行に準じる宰相的地位を得て、太閤検地の実務や朝鮮出兵の兵站など豊臣政権の重要な職務を
松
松平信康
悲劇の徳川嫡男
1559年、徳川家康の嫡男として生まれた。母は築山殿(瀬名姫)。幼少期から聡明で武勇にも優れ、徳川家の将来を担う若武者として将来を嘱望されていた。1568年に織
石
石田三成
関ヶ原西軍の統率者
1560年、近江国(滋賀県)の地侍の家に生まれた。少年時代に長浜城主・羽柴秀吉に才能を見出され小姓として仕え、以後豊臣政権の中枢で文治派官僚として頭角を現した。
後
後藤又兵衛基次
槍の又兵衛・大坂の陣の猛将
黒田家の筆頭家老として知られた猛将。「槍の又兵衛」の異名を持つ。黒田長政との確執から浪人となり、大坂の陣(1614-1615年)で豊臣方として戦った。大坂冬の陣
後
後藤又兵衛
黒田の猛将
1560年(永禄3年)、播磨国に後藤基国の子として生まれた。本名は基次。黒田孝高(官兵衛)に養育され、黒田家に仕えて数々の戦功を挙げた。朝鮮出兵や関ヶ原の戦いで
直
直江兼続
愛の兜の名家老
永禄3年(1560年)、越後国魚沼郡の樋口兼豊の長男として生まれた。幼名は与六。幼少より上杉謙信の姉・仙桃院に見出されて春日山城に仕え、景勝の小姓・側近として育
石
石田三成
関ヶ原西軍の総帥・豊臣家の忠臣
近江国坂田郡(現滋賀県長浜市)に生まれ、少年時代に豊臣秀吉に見出されて小姓として仕えた。三成を見出した際の「三杯の茶」の逸話は有名で、茶を三回に分けて温度を調整
直
直江兼続
愛の兜を纏った智将
戦国・江戸時代初期の武将。上杉謙信・景勝に仕えた上杉家の家老・軍師。兜の前立てに大きく「愛」の字を掲げた武将として広く知られる。謙信の死後は景勝を補佐し、豊臣政
福
福島正則
賤ヶ岳七本槍
1561年、尾張国の出身で秀吉の遠縁。幼少期から秀吉に近侍し、1583年の賤ヶ岳の戦いで敵将・拝郷五左衛門を討ち取る一番槍の功績を挙げ、「七本槍」の筆頭として武
井
井伊直政
井伊の赤備え・徳川四天王
1561年、遠江井伊谷の井伊直親の遺児として生まれた。父が謀殺されたため井伊家は一時断絶の危機に瀕したが、徳川家康に見出されて仕えることになった。家康に最も寵愛
井
井伊直政
徳川四天王・赤備えの将
永禄4年(1561年)、遠江国の井伊家に生まれたが、幼くして父を失い苦難の幼少期を過ごした。1575年頃から徳川家康に仕え始め、その才覚を認められて異例の速さで
加
加藤清正
虎退治の猛将
1562年、尾張国中村(愛知県名古屋市)に生まれ、秀吉の母・大政所の従姉妹の子という遠縁にあたる。幼少期から秀吉に近侍し、1583年の賤ヶ岳の戦いでは七本槍筆頭
前
前田利長
加賀百万石の二代目
1562年、加賀百万石の礎を築いた前田利家の嫡男として生まれた。豊臣秀吉の小姓として仕え、各地の戦で武功を挙げた。1599年に父・利家が死去すると家督を継ぎ、前
加
加藤清正
虎退治の猛将・肥後の国主
尾張国愛知郡中村(現名古屋市中村区)に生まれ、豊臣秀吉と同郷の縁から幼少より小姓として仕えた。賤ヶ岳の戦い(1583年)では七本槍のひとりとして活躍し武名を上げ
細
細川忠興
三斎流茶道の祖、嫉妬深き武将
1563年、細川藤孝(幽斎)の嫡男として生まれた。明智光秀の娘・玉(後のガラシャ)を正室に迎えた。1582年の本能寺の変で義父・光秀が主君・信長を討つと、忠興は
細
細川ガラシャ
明智光秀の娘・キリシタン
永禄6年(1563年)、明智光秀の三女として越前国で生まれた。幼名は玉(たま)。天正6年(1578年)、織田信長の仲介により16歳で細川忠興に嫁ぎ、二男二女をも
細
細川三斎
三斎流の祖・ガラシャの夫
1563年、細川藤孝(幽斎)の嫡男として生まれ、本名は忠興。17歳の頃に明智光秀の娘・玉(後のガラシャ)を正室に迎えた。1582年の本能寺の変では岳父・光秀の誘
上
上田宗箇
武人茶人
1563年、丹羽長秀の家臣の家に生まれ、やがて豊臣秀吉に直接仕える武将となった。千利休・古田織部の両師に茶を学び、文禄・慶長の役(朝鮮出兵)では槍一本で武功を挙
細
細川ガラシャ
明智光秀の娘・細川忠興の妻
明智光秀の三女として生まれ、細川忠興に嫁いだ。本能寺の変(1582年)で父・光秀が信長を討った後、反逆者の娘として夫から幽閉され数年間の蟄居生活を余儀なくされた
水
水野勝成
鬼日向・福山藩初代藩主
永禄7年(1564年)、三河国刈谷城主・水野忠重の嫡男として生まれた。徳川家康の従弟にあたる名門の出だが、その気性は荒く、16歳の初陣で敵15人を斬り倒した。小
三
三浦按針
青い目の侍
ウィリアム・アダムスは1564年、イングランド南東部ケント州ジリンガムに生まれた。12歳で船大工の親方に弟子入りし、造船術と航海術を身につけた。イギリス海軍に入
水
水野勝成
備後福山藩祖
家康の従兄弟。父と不和で諸国を流浪して仕官を重ねた波乱の前半生を経て徳川家に復帰。関ヶ原・大坂の陣で武功を立て、備後福山10万石を与えられ初代藩主となった。
池
池田輝政
姫路城を築いた西国将軍
1565年、織田信長の重臣・池田恒興の次男として生まれた。1584年の小牧・長久手の戦いで父・恒興と兄・元助が戦死した後、家督を継いだ。豊臣秀吉に仕えて各地を転
森
森蘭丸
信長の忠臣
1565年(永禄8年)、織田信長の家臣・森可成の三男として美濃国に生まれた。本名は成利で、「蘭丸」は通称。1577年(天正5年)、13歳で兄弟と共に信長の小姓に
督
督姫
徳川家康次女・池田輝政正室
家康次女。北条氏直に嫁ぎ後北条氏滅亡の際に離別。1594年池田輝政の継室となり姫路藩の繁栄を支えた。家康の有力な政略結婚カードとして二度の婚姻を経た。
真
真田信之
真田の守護者
1566年(永禄9年)、真田昌幸の長男として生まれた。弟は真田信繁(幸村)。本多忠勝の娘で家康の養女である小松殿を正室に迎え、徳川家との絆を築いた。1600年の
真
真田幸村
日本一の兵
1567年、信濃の戦国大名・真田昌幸の次男として生まれた。本名は信繁で、「幸村」は後世の呼び名。幼少期から文武に優れ、豊臣秀吉のもとで人質生活を送る中で中央の政
伊
伊達政宗
独眼竜
1567年、出羽国米沢の伊達家第16代当主・輝宗と義姫の嫡男として生まれた。幼名は梵天丸。10歳頃に天然痘で右目を失い、後年「独眼竜」と呼ばれることになった。1
立
立花宗茂
西国一の侍
1567年、筑後岩屋城主・高橋紹運の長男として生まれた。豊後の名将・立花道雪に見出されてその養子となり、道雪の娘・誾千代を娶って立花家を継いだ。1586年の島津
伊
伊達政宗
奥州の独眼竜
出羽国米沢(現山形県)に伊達輝宗の嫡男として生まれる。幼少期に疱瘡で右目を失い、「独眼竜」と呼ばれるようになった。18歳で家督を継ぐと苛烈な拡張政策を推し進め、
真
真田幸村
日本一の兵・大坂方の英雄
戦国・安土桃山時代の武将。信濃国(現・長野県)の真田氏の二男として生まれ、本名は真田信繁。父・昌幸・兄・信之とともに武田氏滅亡後の信濃を生き抜き、父・昌幸の策謀
伊
伊達成実
伊達の猛将
1568年、伊達輝宗の弟・伊達実元の長男として生まれ、伊達政宗の従兄弟にあたる。幼少期から政宗と共に育ち、両者は兄弟以上の絆で結ばれた。「鬼の成実」の異名を持つ
愛
愛姫
伊達政宗の正室
陸奥国田村郡の有力大名・田村清顕の一人娘として生まれた。幼名は「めご姫」(「めご」は奥州方言で愛しい・可愛いの意)。1579年、12歳で伊達輝宗の嫡男・政宗と婚
黒
黒田長政
筑前福岡藩初代藩主
1568年、豊臣秀吉の軍師・黒田官兵衛(如水)の嫡男として生まれた。幼少期に豊臣秀吉の人質となり、父が荒木村重に捕らえられた際も秀吉に仕え続けた。成長するにつれ
豊
豊臣秀次
関白
1568年、秀吉の姉・日秀尼の子として生まれた。幼名は孫七郎。秀吉の養子となり、1584年の小牧・長久手の戦いでは初陣を飾るも織田信雄・徳川家康連合軍に大敗を喫
淀
淀殿(茶々)
淀の方
1569年頃、浅井長政とお市の方(織田信長の妹)の長女として近江国に生まれた。幼名は茶々。1573年に父・長政が信長に小谷城で滅ぼされ、5歳で悲劇を体験した。1
淀
淀殿
豊臣秀吉の側室
安土桃山時代の女性。浅井長政とお市の方の娘として生まれ、幼名は茶々。父・長政が信長に滅ぼされ、のちに母・お市の方も柴田勝家の敗北とともに自害。数奇な運命のなか、
岩
岩城常隆
岩城氏当主
陸奥国磐前郡を支配する岩城氏の当主。岩城氏は陸奥国いわき地方(現・福島県いわき市周辺)に勢力を張った中世以来の名族であった。伊達政宗の妹・於東の方(おとのかた)
俵
俵屋宗達
琳派の祖
生没年・出身地など詳しい経歴が謎に包まれた天才絵師。京都で「俵屋」という扇絵・料紙などを手がける絵屋を営んでいたとされ、大徳寺や豊国神社の修復事業にも携わった。
初
初姫
常高院・浅井三姉妹の次女
浅井長政と市の次女。茶々(淀殿)の妹、江の姉。京極高次の正室となり、大坂冬の陣・夏の陣では豊臣・徳川の和議調停に奔走した。
支
支倉常長
慶長遣欧使節
1571年頃、陸奥国の武士として生まれ、伊達政宗の家臣となった。1613年10月、政宗の命により慶長遣欧使節の正使として出立した。スペイン人フランシスコ会宣教師
柳
柳生宗矩
徳川将軍家指南役・剣禅一致
元亀2年(1571年)、大和国柳生郷(奈良県)に生まれた。父・石舟斎(柳生宗巌)から新陰流を学び、徳川家康・秀忠・家光の三代にわたって将軍家の剣術指南役を務めた
出
出雲阿国
歌舞伎の創始者
1572年頃、出雲国に生まれた。出雲大社の巫女であったという伝承があるが、出自の詳細には謎が多い。出雲大社の修繕料を集めるため全国を巡った「勧進聖」の一人とする
宇
宇喜多秀家
備前宰相
1572年、備前国岡山城主・宇喜多直家の嫡男として生まれる。1581年に父が病死すると、わずか10歳で広大な備前・美作・備中の領国を継いだ。秀吉はこの有力大名の
出
出雲阿国
歌舞伎の創始者
出雲国の出身とされ、出雲大社の巫女であったとも伝えられる。生没年はともに不詳だが、1572年頃の生まれとする説が有力である。1603年頃に京都の四条河原において
戦国・安土桃山
SENGOKU
— 25
沢
沢庵宗彭
剣禅一味の僧
1573年、但馬国出石(現・兵庫県豊岡市)に生まれた。臨済宗大徳寺派の僧として修行を積み、大徳寺の住持に就任した高僧。1629年の「紫衣事件」では、朝廷が従来の
沢
沢庵宗彭
剣禅一致の禅僧
天正元年(1573年)但馬国出石(兵庫県)に生まれた。10歳で出家し、臨済宗大徳寺で修行を積んだ。37歳で大徳寺住持となったが、幕府による「紫衣事件」(1629
結
結城秀康
家康の次男・越前福井藩祖
1574年、徳川家康の次男として生まれた。幼少期に豊臣秀吉の養子として差し出され、関東の名家・結城氏の養子ともなった。このため「結城秀康」を名乗った。1600年
羽
羽柴秀康
徳川家康の次男・結城家養子
家康の次男。秀吉の養子となり羽柴姓を受けたが後に結城晴朝の養子となる。武勇に優れ朝鮮出兵・関ヶ原の上杉抑えで活躍。越前北ノ庄67万石を得たが34歳で病没。
蘆
蘆名義広
蘆名家最後の当主
常陸国の有力大名・佐竹義重の次男として生まれた。会津の名門・蘆名氏の当主・蘆名亀王丸が幼くして夭逝したため、蘆名家臣団の要請を受けて1584年に会津蘆名家の養子
毛
毛利勝永
大坂の隠れた名将
1577年(天正5年)、毛利勝信の子として尾張国に生まれた。豊臣秀吉に仕え、父と共に九州の小倉6万石を領した。関ヶ原の戦いでは西軍に属して敗北し、所領を没収され
准
准如
本願寺第十二世
1577年、本願寺第11世・顕如の三男として生まれた。長兄・教如が石山合戦の和睦に反対して父と袂を分かったため、顕如は教如を義絶し、准如を後継者に指名した。15
千
千宗旦
乞食宗旦・三千家の祖
千利休の孫、少庵の子として1578年に生まれた。父・少庵が利休切腹後の千家再興を果たした後、その跡を継ぎ、祖父利休のわび茶の精神をさらに純化することに生涯を捧げ
徳
徳川秀忠
律儀者の将軍
1579年(天正7年)、徳川家康の三男として遠江国に生まれた。母は側室の西郷局。1600年の関ヶ原の戦いでは中山道を進軍中、真田昌幸の上田城攻めに手間取り、本戦
小
小堀遠州
綺麗さびの大成者
1579年、近江国小堀氏の嫡男として生まれた。本名は政一。若くして古田織部に茶を学び、師の没後は利休・織部に続く「天下の茶匠」と称された。侘びの質素さに公家的な
春
春日局
徳川家光の乳母・大奥の実力者
美濃国の武士・斎藤利三の娘として生まれた。父・利三は明智光秀の重臣であったため、本能寺の変後に処刑され、春日局は幼少期に複雑な境遇に置かれた。1604年に徳川家
鈴
鈴木正三
武士から禅僧への転身者
三河の旗本。関ヶ原・大坂の両陣に従軍した後、42歳で出家し独自の「仁王禅」を提唱。職分を仏行とする世俗的禅を説き、島原天草の戦後復興にも携わった。
松
松平忠吉
家康四男・尾張清洲52万石
家康の四男。井伊直政の娘婿。関ヶ原合戦では舅とともに先鋒を担い島津豊久を討ち取る武功を立てたが、その時の傷が癒えず28歳で没。
小
小早川秀秋
関ヶ原の裏切り者
豊臣秀吉の正室・ねねの甥。小早川隆景の養子として小早川家を継ぎ、豊臣政権下で57万石の大大名となった。関ヶ原の戦い(1600年)当日まで松尾山に陣取って様子を見
松
松花堂昭乗
寛永の三筆
1582年頃、堺の生まれとも摂津の生まれとも伝わる。幼くして出家し、石清水八幡宮(山城国、現・京都府八幡市)の社僧・滝本坊の住持となった。真言宗の僧として宗教的
林
林羅山
徳川幕府御用儒学者・朱子学を官学に
1583年、京都の浪人の家に生まれた。幼名・菊松丸、名・信勝、号・羅山。建仁寺で学ぶも禅僧になることは拒み、独学で儒学・史学・文学の広範な知識を身につけた。16
宮
宮本武蔵
剣聖
播磨国(または美作国)に生まれたとされる剣豪。幼名・弁之助。13歳で有馬喜兵衛との最初の決闘に勝利し、以後60余度の真剣勝負で生涯一度も敗れなかったと伝わる。二
金
金森宗和
姫宗和
1584年、飛騨高山藩主・金森可重の嫡男として生まれ、本名は重近。父との不和が深まり藩主継承権を失って廃嫡され、京都に隠棲して茶の湯に没頭した。千道安・古田織部
隠
隠元
黄檗宗の開祖・明の渡来僧
万暦20年(1592年)明の福建省福州府福清県に生まれた。福建の黄檗山萬福寺の住持となり、高名な禅僧として知られた。明清交代の動乱期、長崎の華僑の招きに応じて承
千
千宗守(一翁)
武者小路千家・官休庵の祖
1593年に千宗旦の次男として生まれた。号は一翁。若い頃に讃岐高松藩の松平家に茶頭として仕えたが、後に京都に戻り、武者小路の地に官休庵という茶室を構えて武者小路
豊
豊臣秀頼
大坂城主
1593年、豊臣秀吉の次男(事実上の嫡男)として大坂城に生まれた。長男・鶴松は夭折していたため、57歳の秀吉にとって待望の後継者であった。秀吉は秀頼の将来のため
五
五郎八姫
政宗の長女
伊達政宗の長女として1594年頃に生まれた。幼名は「五郎八姫(いろはひめ)」。1601年、徳川家康の六男・松平忠輝との婚約が成立し、1609年に正式に婚儀が執り
小
小笠原忠真
小倉藩初代藩主
小笠原秀政の子。母は徳川秀忠の養女。大坂の陣で初陣。播磨明石を経て1632年豊前小倉15万石へ転封され、九州の押さえとして幕府の信任を得た。
本
本多忠刻
千姫の夫・姫路藩世子
本多忠政の長男。1616年大坂落城後の千姫を妻に迎え、姫路で穏やかな結婚生活を送る。容姿端麗で世子として将来を嘱望されたが結核により31歳で早世した。
千
千姫
徳川秀忠長女・豊臣秀頼正室
秀忠と崇源院の長女。7歳で従兄弟の豊臣秀頼に嫁ぐ。大坂城落城時に救出され、後に本多忠刻と再婚し穏やかな生活を送った。忠刻死後は江戸城内で隠棲。
江戸
EDO
— 200
徳
徳川家光
江戸幕府三代将軍
徳川秀忠の長男として江戸で生まれたが、母・お江と父秀忠は弟・忠長を溺愛したため、乳母の春日局が代わりに家光を養育した。1623年に三代将軍に就任し、幕府の権威確
片
片桐石州
将軍家茶道師範
1605年、大和国小泉藩主・片桐貞隆の子として生まれた。本名は貞昌、後に藩主となり石見守(石州)の官名を持つことから「石州」と呼ばれた。桑山宗仙に茶を学び、さら
柳
柳生十兵衛
隻眼の剣豪
1607年(慶長12年)、柳生新陰流の達人にして将軍指南役・柳生宗矩の嫡男として生まれた。幼少より剣術の才に恵まれ、父・宗矩から新陰流を学んだ。若くして右目の視
中
中江藤樹
近江聖人・日本陽明学の祖
1608年、近江国高島郡小川村(現・滋賀県高島市)の農家・中江吉次の長男として生まれた。9歳で祖父に伴われ米子の加藤家に仕え、のち大洲藩(伊予国)に移る。朱子学
山
山崎闇斎
崎門学派・垂加神道創始者
1619年、京都の針医者の家に生まれた。幼くして比叡山・妙心寺に入り禅を学ぶも、土佐で朱子学者・谷時中に師事し儒学に転じた。1655年、京都に戻り私塾を開設。厳
千
千宗左(江岑)
表千家・不審菴の祖
1619年に千宗旦の三男として生まれた。号は江岑。父・宗旦が晩年に隠居するにあたり、1656年頃に千家の本拠である不審菴を譲り受け、表千家の初代家元となった。紀
天
天草四郎
島原の乱のカリスマ
1621年(元和7年)頃、肥後国天草郡(現・熊本県天草市)に生まれたとされる(1623年生説もあり)。本名は益田四郎時貞。父は小西行長の旧臣・益田甚兵衛。幼少時
千
千宗室(仙叟)
裏千家・今日庵の祖
1622年に千宗旦の四男として生まれた。号は仙叟。父・宗旦が今日庵を譲ってくれたことにより、裏千家の初代家元となった。「裏千家」の名は千家の「裏側」に位置する今
伊
伊藤仁斎
古義学派創始者・京都堀川古義堂
1627年、京都堀川の材木商・鶴屋七右衛門の長男として生まれた。幼名・源吉。11歳より朱子学を学び始めたが、28歳の時に病気を機に家業を弟に譲り、学問に専念する
徳
徳川光圀
水戸黄門
徳川家康の孫にあたる水戸藩第2代藩主。幼少期は放蕩な生活を送ったが、中国の史書『史記』の伯夷・叔斉の列伝を読んで深く感動し、「大義」の重さを悟って学問に目覚めた
徳
徳川光圀
水戸藩第2代藩主・大日本史編纂
江戸時代前期の水戸藩第2代藩主。徳川頼房の三男として生まれ、1661年に家督を継いだ。若年期に司馬遷の『史記』に感銘を受け、日本版の正史編纂を志した。1657年
鉄
鉄眼道光
黄檗宗・鉄眼版大蔵経の刊行者
肥後の出。黄檗の隠元・木庵に学び、生涯を費やして6956巻の大蔵経を版刻(鉄眼版)。途中二度の飢饉で集めた寄進をすべて救済に投じ、それでも刊行を成し遂げた逸話で
貝
貝原益軒
養生訓の著者
筑前福岡藩の儒者。朱子学を基礎に博物・本草・教育・養生の分野で多くの著作を残す。特に85歳で著した『養生訓』は江戸期の健康書として広く読まれ、現代でも再評価され
野
野々村仁清
色絵陶器の完成者
生没年不詳。丹波国野々村(現・京都府船井郡)の出身とされることから「野々村」の姓を持つ。京都の粟田口や美濃・瀬戸で陶芸修行を積んだ後、京都の仁和寺門前に窯を開き
徳
徳川家綱
四代将軍・文治政治の始まり
寛永18年(1641年)、三代将軍・徳川家光の長男として生まれ、1651年に10歳で四代将軍に就任した。幼少での就任のため、酒井忠清ら大老・老中が実権を握った。
松
松尾芭蕉
俳聖
伊賀国上野(三重県伊賀市)に下級武士の子として生まれる。藤堂家の若殿・蝉吟に仕えながら俳諧を学び、主君の死後に江戸に出て俳諧師として身を立てた。深川に「芭蕉庵」
松
松尾芭蕉
俳聖・蕉風俳諧の祖
江戸時代前期の俳人。伊賀国上野(現三重県伊賀市)の生まれ。幼少より俳諧に親しみ、江戸に出て北村季吟に師事した。独自の「蕉風俳諧」(侘び・寂び・軽み・不易流行)を
徳
徳川綱吉
犬将軍
江戸幕府第5代将軍(在職1680-1709年)。徳川家光の四男として生まれ、館林藩主を経て将軍となった。儒学・仏教への深い造詣を持ち、湯島聖堂の再建や和歌・能へ
近
近松門左衛門
日本のシェイクスピア
越前国に武士の子として生まれたとされるが、出自には諸説ある。若くして京都の公家に仕えた後、浄瑠璃の世界に入り、竹本義太夫と組んで大坂・竹本座を拠点に人形浄瑠璃の
近
近松門左衛門
浄瑠璃・歌舞伎の大作家
江戸時代前期の劇作家。越前(現・福井県)に生まれ、若くして京都に出て公家や武家に仕えた後、劇作家の道へ進んだ。人形浄瑠璃と歌舞伎の両方で作品を書き、竹本義太夫と
新
新井白石
正徳の治の儒者・政治家
木下順庵に朱子学を学び、6代徳川家宣・7代家継の侍講として「正徳の治」を主導。貨幣改鋳や朝鮮通信使待遇改革を断行。著『折たく柴の記』『西洋紀聞』など。
尾
尾形光琳
琳派の大成者・「燕子花図屏風」「紅白梅図屏風」
1658年(万治元年)、京都の高級呉服商「雁金屋」の次男として生まれた。父・尾形宗謙は本阿弥光悦の縁戚にあたり、光琳は幼少期から絵画・能・書・茶の湯など一流の文
室
室鳩巣
正徳・享保期の儒者
木下順庵門下、新井白石と兄弟弟子。正徳新例の起草に参画し、徳川吉宗にも侍講として仕える。著『駿台雑話』は儒教倫理を平易に説いた江戸期の修養書として広く読まれた。
大
大石内蔵助
忠臣蔵の首領
播磨国赤穂藩の筆頭家老として主君・浅野内匠頭を支えた。1701年、浅野が江戸城松之廊下で高家肝煎の吉良上野介に刃傷に及んだ。幕府は浅野に即日切腹を命じ、赤穂藩は
徳
徳川家宣
正徳の治の立役者
1662年(寛文2年)、甲府藩主・徳川綱重の長男として生まれた。1709年、5代将軍・綱吉の死後に48歳で第6代将軍に就任。就任直後、綱吉が制定した生類憐れみの
尾
尾形乾山
洒脱な茶陶の名手
1663年、京都の裕福な呉服商・雁金屋の四男として生まれた。5歳上の兄は琳派の巨匠・尾形光琳。20代から書と禅に傾倒し、野々村仁清に陶芸を学んで1699年に京都
荻
荻生徂徠
古文辞学派・蘐園塾主宰
1666年、江戸で5代将軍綱吉の侍医・荻生方庵の次男として生まれた。14歳の時、父が綱吉の怒りを買って上総国本納村に流罪となり、貧困の中で独学で学問に励んだ。2
大
大岡越前(忠相)
名奉行
1677年(延宝5年)、旗本・大岡忠高の四男として生まれた。1712年に伊勢山田奉行、1717年に40歳の若さで江戸南町奉行に抜擢された。第8代将軍・徳川吉宗の
徳
徳川吉宗
第8代将軍・享保の改革
江戸幕府第8代将軍。紀州藩主から将軍となった(1716年就任)。就任当初の幕府は財政逼迫に陥っており、吉宗は「享保の改革」を断行した。上米の制(大名に米を献上さ
白
白隠慧鶴
臨済禅中興の祖
駿河の出。15歳で出家し諸国を行脚、独自の公案体系(隻手の声など)を整備して衰退していた臨済宗を再興。多数の墨蹟と『坐禅和讃』を残し、現代臨済宗はすべて白隠の系
賀
賀茂真淵
国学四大家・万葉集研究の祖
遠江浜松の神官の家の出。荷田春満に学び『万葉集』研究を大成。「ますらをぶり」を理想とし、田安宗武・本居宣長らに国学を伝えた。著『冠辞考』『万葉考』など。
徳
徳川家継
史上最年少の将軍
1709年(宝永6年)、第6代将軍・徳川家宣の四男として江戸城で生まれた。兄たちが早世していたため、1713年に数え5歳(満3歳)で第7代将軍に就任。歴代征夷大
徳
徳川家重
言葉なき将軍
1712年(正徳元年)、第8代将軍・徳川吉宗の長男として生まれた。生来、脳性麻痺と見られる障害があり、言語が極めて不明瞭であった。吉宗は次男・宗武を後継にするこ
伊
伊藤若冲
江戸中期の奇想の絵師、動植綵絵
1716年(正徳6年)、京都・錦小路の青物問屋「枡屋」の長男として生まれた。本名・伊藤源左衛門、若冲は雅号で、相国寺の禅僧・大典顕常から授かった「大盈若冲」(大
与
与謝蕪村
俳人・南画の大家
摂津毛馬の出。江戸で俳諧を学び、京に上って文人画を究める。蕉風復興運動を推進し、絵画的・幻想的な句風で芭蕉に並ぶ江戸俳諧の二大巨匠とされる。
川
川上不白
江戸千家の祖・茶人にして俳人
享保4年(1719年)、紀州新宮藩士・川上五郎作の次男として生まれた。幼名・梅之助、通称・彦兵衛。16歳で表千家七世・如心斎の内弟子となり、表千家茶道の奥義を極
田
田沼意次
田沼時代・重商主義
享保4年(1719年)、下級旗本の家に生まれた。将軍・徳川家重に小姓として仕え、その寵愛を受けて出世した。1772年には側用人から老中に昇進し、幕政の実権を掌握
前
前野良沢
『解体新書』主任翻訳者
1723年、豊前中津藩の医師として生まれた。青年期から蘭学に関心を持ち、47歳で蘭学の先駆者・青木昆陽に弟子入りして本格的にオランダ語を学び始めた。さらに長崎遊
池
池大雅
南画の双璧
京都の出。柳沢淇園に学び南画(文人画)を大成。妻の池玉瀾も画家で「夫婦南画家」として知られる。蕪村と並んで江戸期文人画の双璧。
平
平賀源内
江戸のダ・ヴィンチ
1728年、讃岐国(香川県)の高松藩の足軽の家に生まれた。長崎に遊学してオランダの博物学・医学・工学を吸収し、江戸に出てからは本草学(薬草・博物学)の第一人者と
本
本居宣長
国学の大成者・『古事記伝』著者
1730年、伊勢国松坂(現・三重県松阪市)の木綿商・小津家の次男として生まれた。幼名・富之助。11歳で父を失い、家業を継ごうとしたが商才に乏しく、母の勧めで京都
杉
杉田玄白
解体新書の翻訳者・蘭学の父
1733年、若狭国小浜藩(福井県)の藩医の家に生まれた。江戸に出てオランダ医学を学ぶうち、オランダ語の解剖学書「ターヘル・アナトミア」に出会う。1771年3月4
円
円山応挙
円山派の祖・写生画の革新者
丹波の出。狩野派・洋画・中国画を学び、徹底した写生に基づく写実画風を確立。京都画壇の主流となり、四条派とともに近世絵画の二大潮流を成した。
徳
徳川家治
将棋将軍
1737年(元文2年)、第9代将軍・徳川家重の長男として生まれた。祖父・吉宗に溺愛され、その期待を一身に受けて育った。1760年に第10代将軍に就任。聡明で学問
伊
伊能忠敬
日本地図の父
上総国山辺郡(千葉県)に生まれ、下総国佐原(千葉県香取市)の伊能家に婿養子に入った。酒造・醤油醸造業で商才を発揮して財を成す一方、天文学や数学を独学で研究した。
塙
塙保己一
盲目の国学者・『群書類従』編纂者。ヘレン・ケラーが「私の先生」と仰いだ人物
武蔵国児玉郡(現・埼玉県本庄市)に生まれた塙保己一は、5歳のころから眼病を患い、7歳で完全に失明した。しかし絶望には沈まなかった。15歳で江戸に出て検校(盲目の
塙
塙保己一(盲目の碩学)
群書類従の編纂者
武蔵児玉郡の出。7歳で失明するも江戸で国学を学び、和学講談所を設立。古代中世の文献1273種を集めた『群書類従』666冊・『続群書類従』1150冊を40余年かけ
蔦
蔦屋重三郎
江戸のメディア王
1750年、江戸・吉原の遊郭の中で生まれた。父は吉原の引手茶屋を営んでおり、幼い重三郎は遊廓の華やかさと哀愁、そして人間の欲望と夢が交差する空気の中で育った。2
松
松平不昧
茶道復興の功労者
1751年、出雲国松江藩の第7代藩主として生まれた。本名は治郷。若くして深刻な財政難に陥っていた松江藩の再建に取り組み、厳格な倹約令の実施と産業振興(雲州そろば
喜
喜多川歌麿
美人画の浮世絵師
生地・出自不詳。版元蔦屋重三郎に見出され、寛政期に大首絵の美人画で一世を風靡。理想美と心理表現を融合した作風で世界的に評価される。1804年筆禍事件で手鎖の刑を
良
良寛
越後の遊行僧・歌人
越後出雲崎の名主の家に生まれ、曹洞宗大忍国仙に師事。出家後も寺を持たず五合庵に住み、子供たちと手毬で遊ぶ無欲恬淡の生活を送った。書・和歌・漢詩に優れ、貞心尼との
松
松平定信
寛政の改革
宝暦9年(1759年)、八代将軍・徳川吉宗の孫として生まれた。白河藩主となり、藩政改革に成功して名君の誉れを得た。1787年に老中首座に就任し、田沼意次の後継と
華
華岡青洲
世界初の全身麻酔手術を成功させた外科医
1760年、紀伊国那賀郡平山(現・和歌山県紀の川市)の医家に生まれた。京都で古医方と蘭方の両方を学び、故郷で開業した。華陀の「麻沸散」の記述に触発され、全身麻酔
葛
葛飾北斎
浮世絵の巨匠
江戸時代後期の浮世絵師。江戸本所(現・墨田区)に生まれ、14歳で木版画彫師に弟子入り後、勝川春章に絵を学んだ。生涯に93回もの転居を行い、30以上の画号を使い分
小
小林一茶
弱者に寄り添う江戸の俳人
1763年(宝暦13年)5月5日、北信濃の北国街道の宿場町・柏原(現・長野県上水内郡信濃町柏原)に中農の長男として生まれた。本名・小林弥太郎、通称信之。3歳で母
小
小林一茶
庶民派俳人
信濃柏原の貧しい農家の出。継母との不和で江戸へ出て俳諧修行。生涯2万句を残し、小動物への慈しみと自己卑下のユーモアで芭蕉・蕪村と並ぶ近世俳諧三大家とされる。
谷
谷文晁
江戸南画の大家
江戸の出。松平定信に仕え「集古十種」の作画を担当、古画の模写に努め諸流派を統合した和漢折衷の画風を確立。門弟に渡辺崋山・立原杏所ら。
徳
徳川家斉
半世紀の大御所
1773年(安永2年)、一橋治済の長男として生まれた。1787年に15歳で第11代将軍に就任し、1837年に将軍職を家慶に譲るまで在職50年。鎌倉・室町を含む歴
平
平田篤胤
復古神道・気吹舎主宰・幕末尊皇思想の源流
1776年、出羽国久保田藩(現・秋田県)の下級藩士・大和田清兵衛の四男として生まれた。幼名・正吉、のち胤行、篤胤。20歳で出奔して江戸に出、苦学の末1800年、
間
間宮林蔵
樺太探検・間宮海峡
常陸国(茨城県)筑波郡の農家に生まれる。測量への関心を持ち、幕府の蝦夷地御用雇として蝦夷地(北海道)に渡った。現地で伊能忠敬の測量隊と行動を共にし、その下で精密
頼
頼山陽
日本外史の著者
安芸広島藩の儒学者の家に生まれる。20余年の歳月をかけて武家興亡の漢文史書『日本外史』を著し、幕末志士の愛読書となって尊王思想に大きな影響を与えた。
広
広瀬淡窓
咸宜園主宰・日本最大の私塾教育者
1782年、豊後国日田(現・大分県日田市)の富商・博多屋の長男として生まれた。幼少より学問に秀でたが病弱のため家業を継がず学問に専念。福岡の亀井南冥・昭陽親子に
二
二宮尊徳
報徳思想家・農村復興の聖人
1787年、相模国足柄上郡栢山村(現・神奈川県小田原市)の農家に生まれた。幼名・金次郎。14歳で父、16歳で母を亡くし、叔父の家に身を寄せた。田畑を奪われ極貧に
江
江馬細香
江戸後期の女流漢詩人・南画家
美濃大垣の医家の娘。頼山陽に学び終生独身を貫いて漢詩・南画に専念。「湘夢遺稿」など漢詩集を残し、男性中心の漢学世界で第一級の評価を得た稀有な女性。
徳
徳川家慶
黒船前夜の将軍
1793年(寛政5年)、第11代将軍・徳川家斉の次男として生まれた。1837年に45歳で第12代将軍に就任。歴代将軍で最高齢の就任であった。父・家斉が大御所とし
ペ
ペリー提督
黒船来航——日本を開国させた男
1794年、アメリカ・ロードアイランド州ニューポートに海軍士官の家に生まれた。兄オリバー・ハザード・ペリーも著名な海軍軍人であった。海軍に入隊後、蒸気船海軍の近
水
水野忠邦
天保の改革
寛政6年(1794年)、浜松藩主・水野忠光の長男として生まれた。1834年に老中となり、1841年には老中首座に就任して天保の改革を断行した。奢侈禁止・物価抑制
シ
シーボルト
オランダ商館医・鳴滝塾主宰
1796年、ドイツ・ヴュルツブルクの医家に生まれた。ヴュルツブルク大学で医学・自然科学を学び、オランダ軍医としてジャワ島を経て1823年、長崎出島のオランダ商館
歌
歌川広重
浮世絵師・東海道五十三次の作者
江戸八代洲河岸(現東京都中央区)に幕府定火消の与力・安藤重右衛門の嫡男として生まれる。本名は安藤重右衛門(後に徳太郎)。幼少期に両親を相次いで失い、13歳で家督
葛
葛飾応為
光の天才・北斎の娘
生没年は諸説あるが、1800年前後に浮世絵師・葛飾北斎の次女として生まれたとされる。幼い頃から父の傍らで絵を学び、その才能は北斎自身が「自分より上手い」と認めた
徳
徳川斉昭
水戸藩第9代藩主
水戸藩第9代藩主。尊王攘夷思想の精神的支柱として幕末の政局に多大な影響を与えた。弘道館を設立して文武両道の人材育成に努め、水戸学の発展に貢献した。後に将軍となる
伊
伊東玄朴
幕府奥医師・お玉ヶ池種痘所創設者
1801年、肥前国佐賀藩領の農家に生まれた。若くして医学を志し、佐賀で古賀穀堂に学んだ後、長崎でシーボルトの鳴滝塾に入門、蘭学と西洋医学を修めた。江戸で開業し、
高
高野長英
蛮社の獄に倒れた蘭学者
1804年、陸奥国水沢(現・岩手県奥州市)に生まれた。江戸で杉田伯元・吉田長淑に学んだ後、長崎でシーボルトの鳴滝塾に入門、蘭学と西洋医学を深く修めた。江戸に戻っ
タ
タウンゼント・ハリス
日米修好通商条約を締結した初代駐日米国総領事
1804年、ニューヨーク州に生まれた。実業家として成功した後、1856年に初代駐日アメリカ合衆国総領事に任命され、伊豆下田の玉泉寺に領事館を構えた。当初は幕府か
島
島津斉彬
幕末四賢侯・近代化の先駆け
薩摩藩第11代藩主。幼少より蘭学・西洋科学に深い関心を持ち、藩主就任後(1851年)は殖産興業・富国強兵を積極的に推進した。西洋式軍艦・大砲・鉄砲の製造、紡績業
横
横井小楠
幕末の開明的儒学者・政治思想家
肥後国熊本藩(現・熊本市)に生まれ、熊本藩校時習館で学んだ後、独自の実学思想を発展させた。水戸学の尊王思想と西洋の科学技術・政治思想を融合させ、「富国強兵・殖産
緒
緒方洪庵
蘭医・適塾の創設者
備中国(現・岡山県浅口市)に生まれ、大坂・江戸で蘭学・医学を修めた後、長崎でシーボルトの元を訪れて西洋医学を深く学んだ。1838年に大坂・船場に「適適塾(のちの
国
国定忠治
「赤城の山も今宵限り」で知られる義賊・侠客
上野国(現・群馬県)伊勢崎の農家に生まれた忠治は、若くして博徒の世界に入り、20代で上州一帯を仕切る親分となった。しかし彼が後世に語り継がれるのは博徒としての凄
佐
佐久間象山
開国論の先駆者
信濃国松代藩(現・長野県長野市松代)の藩士。幼少より神童と呼ばれ、江戸で佐藤一斎に儒学を学んだ。ペリー来航(1853年)以前から西洋の科学技術と軍事力の優位を認
ヘ
ヘボン
医療宣教師・明治学院創立・ヘボン式ローマ字
1815年3月13日、米国ペンシルベニア州ミルトンに生まれた。プリンストン大学、ペンシルベニア大学医学部を卒業。一度は清国(中国)への宣教医師として渡航したが妻
井
井伊直弼
大老
彦根藩主・井伊直中の十四男として生まれ、長年「部屋住み」の身で「埋木舎(うもれぎのや)」と名付けた屋敷に暮らした。この苦境の時代に茶道・国学・詩歌・武術に励み、
島
島津久光
薩摩藩実力者
第11代薩摩藩主・島津斉彬の弟で、甥の忠義が藩主になった後も実父として藩の実権を握り続けた。生涯藩主にならなかったが、幕末期において最も政治力を行使した薩摩の実
勝
勝海舟
江戸無血開城の立役者
江戸本所の貧しい旗本の家に生まれ、蘭学・兵学を独学で修めた苦労人である。1860年、幕府の派遣で咸臨丸(かんりんまる)の艦長として太平洋を横断し、日本人のみで太
板
板倉勝静
幕府老中首座・最後の幕閣指導者
備中国松山藩(現・岡山県高梁市)の藩主。儒学者・山田方谷を藩の指南役として登用して藩政改革を成功させ、財政再建・軍備近代化を実現した名君として知られる。山田方谷
勝
勝海舟
江戸無血開城
文政6年(1823年)、旗本・勝小吉の長男として江戸本所に生まれる。幼名は麟太郎。貧しい下級旗本の家に育ちながら、独学で蘭学と兵学を修めた。 安政2年(1855
徳
徳川家定
病弱の将軍
1824年(文政7年)、第12代将軍・徳川家慶の四男として生まれた。幼少時から病弱で、脳性麻痺とも推測される障害を持っていた。1853年に第13代将軍に就任。ペ
大
大村益次郎
近代日本陸軍の創設者
周防国(現・山口県)の村医者の家に生まれ、大坂・緒方洪庵の適塾で蘭学・医学を学んだ。さらに長崎でシーボルトから西洋医学・兵学を学び、宇和島藩・幕府に仕えて兵学と
岩
岩倉具視
明治維新の公家指導者
京都の下級公家・堀河康親の次男として生まれ、岩倉具慶の養子となった。尊王攘夷論が高まる中、和宮降嫁(1861年)を主導して公武合体派の中心人物となったが、これが
芹
芹沢鴨
新選組初代筆頭局長
常陸国の神道無念流の達人。文久3年(1863年)に幕府が浪士組を募った際、近藤勇・土方歳三らと共に上洛した。水戸藩出身の浪士を率いる芹沢は試衛館一派と並ぶ筆頭局
楠
楠本イネ
日本初の女性産科医
1827年、シーボルトと長崎丸山の遊女・楠本タキの娘として長崎に生まれた。父はイネ2歳の時に国外追放となり、以後は母と祖母に育てられた。父の弟子で宇和島藩医・二
河
河井継之助
長岡藩家老・武装中立の志士
越後国長岡藩の中級藩士の家に生まれ、備中松山藩の山田方谷に師事して陽明学・経世済民の学を修めた。帰藩後は藩政改革を推し進め、財政再建・軍備増強・洋式砲兵部隊の整
山
山内容堂
幕末四賢侯・大政奉還を実現した土佐藩主
土佐藩第15代藩主。号は容堂、「鯨海酔侯(げいかいすいこう)」とも称された。松平春嶽・島津斉彬・伊達宗城と並ぶ「幕末四賢侯」の一人で、将軍継嗣問題では一橋慶喜を
ジ
ジョン万次郎(中浜万次郎)
日本初の公認渡米者・幕末の通訳
土佐国幡多郡中浜村(現・高知県土佐清水市)の漁師の家に生まれた。1841年、14歳の時に漁に出て嵐に遭遇し、仲間とともに無人島(鳥島)に漂着した。143日間の漂
小
小栗上野介忠順
幕府の近代化推進者
幕末期の幕臣で、「明治の父」とも呼ばれる近代化の先駆者。1860年に遣米使節の一員として渡米し、西洋文明を直接体験した。帰国後は勘定奉行・外国奉行として幕府の近
ジ
ジョン万次郎
漁師から翻訳者に
土佐国(高知県)幡多郡中ノ浜村の貧しい漁師の子として生まれる。1841年(天保12年)、14歳の時に漁に出て嵐に遭い、五名の仲間とともに無人島・鳥島に漂着した。
松
松平春嶽
幕末四賢侯
田安徳川家に生まれ、11歳で越前福井藩主を継いだ。橋本左内・横井小楠といった卓越した藩士・学者を登用し藩政改革を推進した。その開明的な姿勢と政治手腕が評価され、
西
西郷隆盛
維新の三傑・西南戦争の英雄
薩摩藩下級武士の家に鹿児島で生まれた。島津斉彬に才能を見出されて藩政の中枢に関わり、斉彬死後は島津久光のもとで活動した。一橋派の活動に関わったことで安政の大獄に
西
西郷隆盛
維新三傑・陸軍大将
薩摩藩(現鹿児島県)出身。島津斉彬に見出され藩政に参画。安政の大獄後に一時配流されたが、文久の改革で復帰した。1868年の戊辰戦争では官軍の最高指揮官として江戸
西
西周
「哲学」「科学」等の訳語創出者・明六社
1829年、石見国津和野藩(現・島根県津和野町)の漢方医・西時義の長男として生まれた。幼名・経太郎。神童と称され、4歳で『孝経』、6歳で四書五経を読んだ。藩校養
武
武市半平太
土佐勤王党の盟主
土佐藩上士。号は瑞山。土佐勤王党を結成し、尊王攘夷運動を土佐で主導した幕末の理想主義者。1861年に土佐勤王党を結成し、坂本龍馬・岡田以蔵らも参加した。参政・吉
吉
吉田松陰
松下村塾の主宰者
長州藩の下級武士・杉家の次男として生まれ、叔父・玉木文之進が主宰する松下村塾で幼少より兵学を学んだ。天才的な記憶力と理解力で藩校・明倫館の兵学師範代を務めるほど
大
大久保利通
維新の三傑・明治政府の指導者
薩摩藩士の家に鹿児島で生まれ、下級藩士として苦労しながらも頭角を現した。島津斉彬・久光のもとで薩摩藩の政治中枢に深く関わり、薩長同盟締結と王政復古の大号令実現に
吉
吉田松陰
松下村塾の師・倒幕思想の先駆者
幕末期の思想家・教育者。長州藩(現・山口県)出身。藩校明倫館で山鹿流兵学を学び、21歳で全国遊学。佐久間象山に洋学・兵学を学び、1853年のペリー来航に衝撃を受
大
大久保利通
維新三傑・近代日本の設計者
幕末・明治の薩摩藩士・政治家。西郷隆盛とは幼馴染みで、ともに倒幕・維新運動を主導した。明治政府では内務卿として実質的な最高権力者として辣腕を振るい、廃藩置県・地
河
河鍋暁斎
幕末〜明治の「画鬼」・コンドルの師
下総国(現・茨城県)古河に生まれ、7歳で葛飾北斎に弟子入りした天才少年だった。北斎が「こいつは化け物だ」と驚くほどの飲み込みの速さで絵を学び、後に歌川国芳にも師
中
中村正直
『西国立志編』訳者・明六社メンバー
1832年、江戸に幕臣・中村武兵衛の長男として生まれた。幼名・釧三郎、号は敬宇。昌平坂学問所で儒学を修め、のち蘭学・英学を学ぶ。1866年、幕府派遣の英国留学生
田
田中新兵衛
薩摩の人斬り
薩摩藩士。天誅の名のもとに多くの要人を暗殺し、「薩摩の人斬り」として幕末京都に恐れられた剣客。鋭い剣技と大胆な行動力で尊王攘夷派の刺客として活躍した。1863年
山
山南敬助
新選組総長・副長
仙台藩出身の剣士で、天然理心流の免許皆伝を持つ。江戸の試衛館で近藤勇・土方歳三・沖田総司らと剣術修行を共にし、元治元年(1864年)に新選組が正式に組織されると
桂
桂小五郎/木戸孝允
維新の三傑のひとり
長州藩士・和田昌景の長男として萩に生まれ、藩校明倫館で学んだのち江戸で斎藤弥九郎の練兵館に入門し、剣術の達人として名を馳せた。吉田松陰に影響を受け尊王攘夷運動に
大
大鳥圭介
幕府伝習隊長・明治の外交官
播磨国赤穂郡出身の蘭学者・医師の家に生まれ、大坂で緒方洪庵の適塾で学んだのち江戸へ出て兵学を修めた。幕府の西洋式歩兵「伝習隊」を率いる指揮官として戊辰戦争を戦い
桂
桂小五郎
維新三傑・木戸孝允
幕末・明治の長州藩士・政治家。通称「桂小五郎」、明治維新後は「木戸孝允」と改名した。吉田松陰の松下村塾に学び、倒幕・維新運動の中心的人物となった。1864年の禁
近
近藤勇
新選組局長
武蔵国多摩郡上石原村(東京都調布市)の農家に生まれ、天然理心流の道場・試衛館に入門した。その剣の才能を認められ四代目宗家を継承し、土方歳三・沖田総司・井上源三郎
河
河上彦斎
人斬り彦斎
肥後藩士。尊王攘夷派の刺客として幕末の京都に名を轟かせた。1864年、開国論者の佐久間象山を京都三条木屋町で白昼堂々暗殺した。小柄な体格ながら神速の剣技を持ち、
前
前原一誠
松下村塾の志士・萩の乱の首謀者
長州藩士の家に生まれ、吉田松陰の松下村塾で学んだ。戊辰戦争では官軍の指揮官として活躍し、新政府で参議・工部大輔を務めた。しかし明治政府の近代化政策、特に秩禄処分
橋
橋本左内
志士・医師
越前福井藩士の子として生まれ、15歳で書いた「啓発録」は今なお日本の青少年教育の古典として読み継がれている。適塾で緒方洪庵に医学・蘭学を学び、江戸で昌平坂学問所
江
江藤新平
明治の司法卿・佐賀の乱
佐賀藩士。維新後、初代司法卿として近代司法制度を整備し、四民平等・国民教育を推進。征韓論争で下野し、1874年に佐賀の乱を起こすが敗れ斬首。
岩
岩崎弥太郎
三菱財閥創始者・海運王
1835年、土佐国安芸郡井ノ口村の地下浪人(郷士身分を売った半農半士)の家に生まれた。幼少より学問に励み、江戸で安積艮斎に学ぶ。帰郷後、藩の参政・吉田東洋に見出
土
土方歳三
鬼の副長
武蔵国多摩郡石田村(東京都日野市)の豪農・石田散薬の製造家に生まれ、行商しながら天然理心流の剣術を学んだ。近藤勇とともに1863年の浪士組に参加して上洛し、京都
小
小松帯刀
薩摩藩家老・薩長同盟の推進者
薩摩藩の重臣・吉利領主家に生まれ、小松家の養子となって家老に昇進した。島津斉彬・久光のもとで藩政の中枢を担い、薩摩藩の近代化・開明政策を実務面から支えた。186
松
松平容保
会津藩主・京都守護職
美濃高須藩の出身で、会津藩主・松平容敬の養子となった。文久2年(1862年)、幕府から京都守護職を命じられ、治安維持のため新選組を組織・指揮した。公武合体を支持
松
松方正義
大蔵卿・第4・6代内閣総理大臣
薩摩藩出身の明治の財政家・政治家。大蔵卿・大蔵大臣として日本の近代財政制度の基礎を築いた。1881年の松方デフレ政策(「松方財政」)では、西南戦争後のインフレを
福
福沢諭吉
学問のすゝめ・慶應義塾創設
豊前国中津藩(大分県)の下級武士の家に生まれる。大坂の緒方洪庵の適塾で蘭学を学び、後に英語に転向した。幕末に三度渡欧米し、議会政治・司法制度・病院・新聞社など西
土
土方歳三
新選組副長・鬼の副長
武蔵国多摩郡石田村(現東京都日野市)の農家に生まれる。幼少期に両親を失い、家業の石田散薬の行商をしながら剣術を学んだ。近藤勇と出会い、天然理心流の試衛館道場に入
福
福沢諭吉
学問のすすめ・近代日本の啓蒙思想家
幕末・明治時代の思想家・教育者・ジャーナリスト。豊前国(現・大分県)に生まれ、大坂の緒方洪庵の適塾で蘭学・英学を学んだ。1860年・62年・67年の三度の渡米・
ニ
ニコライ
ロシア正教会宣教師・ニコライ堂建立
1836年、ロシア帝国スモレンスク県のベリョーザ村に生まれた。本名イワン・ドミートリエヴィチ・カサートキン。サンクトペテルブルク神学大学在学中、日本への宣教を志
篤
篤姫
天璋院
薩摩藩の分家・今和泉島津家に生まれ、薩摩藩主・島津斉彬の養女となった。斉彬は徳川幕府に影響力を持つために篤姫を利用する政略を立てており、近衛家(五摂家の一つ)の
井
井上馨
明治の経済外交家
長州藩士の家に生まれ、吉田松陰の松下村塾で学び、伊藤博文と深い友情を結んだ。1863年、英国留学中に攘夷の愚を悟り、下関戦争開戦を知ると急ぎ帰国して停戦交渉に奔
榎
榎本武揚
蝦夷共和国総裁・明治の政治家
幕臣・榎本武規の次男として江戸に生まれた。長崎海軍伝習所で航海術・砲術を学び、1862年からオランダに留学して海軍技術・国際法を修めた。帰国後は幕府海軍の中心的
坂
坂本龍馬
薩長同盟の立役者・海援隊長
土佐国土佐郡郷士・坂本八平の次男として生まれた。江戸で剣術を学び、北辰一刀流の免許皆伝を得た。勝海舟に師事して海軍の重要性を認識し、土佐を脱藩して薩摩藩・松平春
五
五代友厚
大阪商業の父
薩摩藩士出身の実業家・外交官。薩英戦争の際にイギリス軍に捕虜となり、かえって西洋文明の優位性を痛感してその後の開国・近代化に邁進した。明治維新後は政府の要職を辞
坂
坂本龍馬
薩長同盟の仕掛け人・幕末の志士
土佐国高知(現高知市)の郷士・坂本八平の次男として生まれる。江戸に出て北辰一刀流の千葉道場に入門し剣の腕を磨いた。尊皇攘夷思想に傾倒していたが、勝海舟と出会って
山
山岡鉄舟
幕末三舟の一人・剣禅一如の達人
幕末・明治の武士・政治家・剣客・書家。幕臣として幕府に仕え、武芸・剣術に秀でた。1868年の江戸開城にあたっては、勝海舟の使者として単身で西郷隆盛の陣に乗り込み
榎
榎本武揚
箱館戦争・蝦夷共和国総裁
天保7年(1836年)、江戸幕府の御家人の家に生まれた。長崎海軍伝習所で航海術を学び、オランダに留学して近代海軍技術を習得した。戊辰戦争(1868年)では幕府海
山
山岡鉄舟
剣・禅・書の達人・江戸無血開城の使者
幕臣。1868年、勝海舟の使いとして駿府の西郷隆盛と会見し、江戸無血開城の道を開いた。維新後は明治天皇の侍従を10年務め、無刀流を創始。剣・禅・書の三道を究めた
大
大倉喜八郎
大倉財閥創始者・東京経済大学創立
1837年、越後国蒲原郡新発田の名主の家に生まれた。18歳で江戸に出て乾物商の奉公、のち独立して銀座で鉄砲商を営み、戊辰戦争の好況で財を成す。1873年、大倉組
三
三条実美
明治政府初代太政大臣
堂上公家の名門・三条家に生まれ、幕末期に尊王攘夷派の公卿として活発に行動した。1863年の八月十八日の政変で長州藩とともに京都を追われ、「七卿落ち」として五条・
板
板垣退助
自由民権運動の父
土佐藩上士の家に生まれ、1868年の戊辰戦争では官軍の指揮官として活躍した。明治維新後は新政府の参議となったが、1873年の征韓論問題で西郷隆盛・後藤象二郎らと
入
入江九一
松下村塾の志士
長州藩士の家に生まれ、吉田松陰の松下村塾で学んだ俊秀な門弟の一人である。松陰の死後、師の遺志を受け継ぎ尊王攘夷運動に身を投じた。久坂玄瑞・高杉晋作らと行動をとも
徳
徳川慶喜
最後の将軍
天保8年(1837年)、水戸藩主・徳川斉昭の七男として生まれる。幼名は七郎麻呂。水戸藩は「尊王」の家風で知られ、慶喜は幼少期から帝への忠誠と日本の将来について深
大
大隈重信
早稲田大学創立者・二度の総理大臣
1838年、肥前佐賀藩士の家に生まれた。藩校弘道館で朱子学を学ぶも、のち蘭学・英学に転じた。明治維新後は新政府に出仕し、外国事務局判事・大蔵卿として貨幣制度の確
安
安田善次郎
安田財閥創始者・東大安田講堂寄進者
1838年、越中国富山の下級武士・安田善悦の長男として生まれた。17歳で江戸に出奉公、両替商・鰹節商を経て1864年に両替商「安田屋」を独立開業。戊辰戦争前後、
岡
岡田以蔵
人斬り以蔵
土佐藩郷士。武市半平太の土佐勤王党に所属し、天誅と称して多数の暗殺を実行した幕末最凶の刺客の一人。剣術に優れ、師・武市半平太の命のもと京都の尊王攘夷反対派や幕府
桐
桐野利秋
人斬り半次郎
薩摩藩士。本名・中村半次郎。幕末は「人斬り半次郎」として京都に名を轟かせた凄腕の剣客。維新後は新政府軍に加わり陸軍少将に昇進するなど出世を遂げた。しかし明治政府
山
山県有朋
日本陸軍の父
長州藩の下級武士の家に生まれ、吉田松陰の松下村塾で学び尊王攘夷思想を身につけた。高杉晋作が創設した奇兵隊に参加し、四境戦争・戊辰戦争で武功を上げた。明治維新後は
中
中岡慎太郎
薩長同盟の仲介者・陸援隊長
土佐国安芸郡北川郷(現・高知県安芸郡北川村)に生まれた。武市半平太の土佐勤王党に加わり尊王攘夷運動に身を投じたが、弾圧を受けて脱藩した。その後、長州・薩摩間の仲
後
後藤象二郎
土佐藩家老・自由民権の推進者
土佐藩士の家に生まれ、山内容堂の信任を得て藩政の中枢に立った。坂本龍馬の提案を受けて大政奉還建白書を立案し、藩主・容堂を説得して将軍・徳川慶喜への提出を実現させ
ト
トーマス・グラバー
スコットランドの侍
1838年、スコットランド・アバディーンに生まれた。21歳の1859年、安政の開国直後に長崎に渡り、ジャーディン・マセソン商会の代理店として貿易業を開始した。グ
高
高杉晋作
奇兵隊創設者
長州藩上士・杉梅太郎家に生まれ、吉田松陰の松下村塾で久坂玄瑞・伊藤博文らとともに学んだ。幕府の命による上海渡航(1862年)で欧米列強による清国の半植民地化を目
永
永倉新八
新選組二番隊組長
松前藩士の子として生まれ、神道無念流の名手。江戸の試衛館で近藤勇と出会い、文久3年(1863年)の上洛に同行した。新選組では二番隊組長として多くの戦闘で功績を挙
高
高杉晋作
奇兵隊の創設者
幕末の長州藩士・倒幕運動の志士。長州藩の中・上流武士の家に生まれ、吉田松陰の松下村塾で学んだ。上海視察(1862年)でアヘン戦争後の中国の惨状を目の当たりにし、
原
原田左之助
新選組十番隊組長
伊予松山藩士の子として生まれ、槍の名手として知られた。文久3年(1863年)に試衛館一派と共に上洛し、新選組では十番隊組長を務めた。池田屋事件・禁門の変など数々
久
久坂玄瑞
長州の急進尊攘派指導者
長州藩の藩医の家に生まれ、吉田松陰の妹・文(後の楫取素彦夫人)を妻に迎えた。松陰の最も優秀な門弟の一人であり、「松下村塾の双璧」として高杉晋作と並び称された。松
黒
黒田清隆
第2代内閣総理大臣
薩摩藩出身の明治の政治家・軍人。戊辰戦争では旧幕府軍の箱館五稜郭の攻略を指揮し、明治政府の成立に貢献した。明治政府では開拓使長官として北海道の開発を主導し、W・
渋
渋沢栄一
日本資本主義の父
武蔵国榛沢郡(埼玉県深谷市)の豪農の家に生まれる。若い頃は尊王攘夷運動に共鳴していたが、一橋慶喜に仕えることで現実的な政治観を養った。慶喜の名代としてパリ万博(
渋
渋沢栄一
日本資本主義の父
天保11年(1840年)、武蔵国榛沢郡血洗島村(現・埼玉県深谷市)の富農・渋沢市郎右衛門の長男として生まれる。藍玉の製造販売と養蚕を営む裕福な農家で、幼少期から
伊
伊藤博文
初代内閣総理大臣・明治憲法の父
長州藩の農家出身で、吉田松陰の松下村塾で学んだ。1863年、井上馨らとともにイギリスへ密航留学して西洋文明の優位を体感し、攘夷から開国へと思想を転換した。戊辰戦
沖
沖田総司
天才剣士
陸奥国白河藩士の子として江戸に生まれ、9歳で試衛館に入門した。天賦の才能により天然理心流の免許皆伝を最年少で取得し、稽古人に指導するほどの腕前であった。新選組で
大
大山巌
陸軍元帥・日露戦争の英雄
薩摩藩士の家に鹿児島で生まれ、西郷隆盛の従弟にあたる。戊辰戦争では官軍として転戦し、特に会津若松城攻略戦で活躍した。明治維新後はフランス・スイスに留学して近代的
新
新島襄
同志社創立者・脱国留学の先駆
1843年、上州安中藩士・新島民治の長男として江戸藩邸に生まれた。幼名・七五三太。藩校で儒学を学び、のち蘭学・英学に触れた。漢訳聖書に出会い、聖書の神・「真の主
ア
アーネスト・サトウ
幕末日本を動かした英国外交官
1843年、ロンドンに生まれた。姓の「サトウ」はスラブ系の姓であり、日本人ではない。1862年にイギリス外務省の通訳生として来日し、生麦事件の余波を目の当たりに
藤
藤堂平助
新選組八番隊組長
北辰一刀流の剣士で、試衛館の塾頭も務めた。文久3年(1863年)に上洛し、新選組の八番隊組長に就任した。若くして優れた剣才を持ち、池田屋事件にも参戦した。慶応3
斎
斎藤一
新選組三番隊組長
出身は諸説あるが江戸生まれとされる。一刀流あるいは天然理心流の剣士。文久3年(1863年)頃に新選組に加入し、三番隊組長に就任した。「左手前」(左手を前にした特
徳
徳川家茂
甘党の若き将軍
1846年(弘化3年)、紀州藩主・徳川斉順の長男として生まれた。将軍継嗣問題の結果、南紀派に推されて1858年に13歳で第14代将軍に就任。1862年には公武合
森
森有礼
初代文部大臣・近代教育制度の設計者
1847年、薩摩藩士・森有恕の五男として鹿児島に生まれた。藩の洋学校・開成所で英学を学び、1865年、藩命により五代友厚らとともに英国に密航留学。ロンドン大学で
中
中江兆民
東洋のルソー・自由民権思想家
土佐の出。明治政府留学生としてフランスで学び、ルソー『社会契約論』を漢訳して『民約訳解』として刊行。自由民権運動の理論的支柱となり、衆議院議員も務めた。
東
東郷平八郎
日本海海戦・東洋のネルソン
薩摩藩(鹿児島県)出身。戊辰戦争に藩士として参加した後、イギリスに7年間留学して近代海軍を学んだ。日清戦争では艦長として高陞号事件で国際法に基づいた判断を示し、
桂
桂太郎
3度の首相・桂園時代の政治家
長門国(現・山口県)萩出身の長州藩士。山縣有朋の腹心として軍・政界で頭角を現した。日清戦争・日露戦争を経て、第11・13・15代内閣総理大臣を歴任し、西園寺公望
益
益田鈍翁
近代最大の数寄者
1848年、佐渡国(現・新潟県佐渡市)に生まれた。幕末期に横浜で英語を学び、明治維新後は貿易商として急速に頭角を現した。1876年に三井物産を設立し、初代総轄(
東
東郷平八郎
日本海海戦の英雄・海軍元帥
薩摩国鹿児島(現鹿児島市)の下級藩士の家に生まれる。1868年の戊辰戦争では薩摩藩士として戦い、その後政府の命により英国に留学した(1871-1878年)。帰国
乃
乃木希典
日露戦争の英雄・殉死した軍神
長門国萩(現・山口県萩市)の長州藩士の家に生まれる。吉田松陰の甥・玉木文之進に学び、戊辰戦争・西南戦争に従軍した。西南戦争では軍旗を敵に奪われる失態を犯し、長く
西
西園寺公望
最後の元老・自由主義的政治家
公卿・西園寺家に生まれ、明治から昭和にかけて元老(国家最高顧問)として活躍した政治家。幼少期から欧州文化に親しみ、若くしてフランスに10年間留学してフランス語・
押
押川方義
東北学院・宮城学院創立者
1850年、出羽国米沢藩士の家に生まれた(異説として伊予国宇和島藩出身とも)。維新後、横浜に出てJ.H.バラ・S.R.ブラウンらに英語・キリスト教を学び、「横浜
白
白虎隊
会津藩の少年武士隊
白虎隊は戊辰戦争(1868年)の会津戦争において、会津藩が組織した16〜17歳の少年武士で構成された部隊である。会津藩は戦時体制として、朱雀隊(壮年)・青龍隊(
小
小泉八雲
日本の怪談を世界に伝えた文人
1850年、ギリシャのレフカダ島でアイルランド人の父とギリシャ人の母の間に生まれた。本名パトリック・ラフカディオ・ハーン。幼少期に両親が離婚し、大叔母に育てられ
北
北里柴三郎
近代日本医学の父
肥後国(熊本県)阿蘇郡小国町出身。熊本医学校・東京医学校を経てドイツに留学し、ロベルト・コッホの下で細菌学を学んだ。1889年に破傷風菌の純粋培養に世界で初めて
高
高峰譲吉
アドレナリン結晶化・タカヂアスターゼ開発者
1854年、加賀藩の藩医の子として高岡に生まれた。工部大学校(現・東京大学工学部)を卒業後、英国グラスゴーに留学。農商務省勤務を経て渡米、実業家として活躍した。
高
高橋是清
日本の財政の神様
幕末江戸生まれ。日銀副総裁として日露戦争の戦費調達に成功、20代政友会総裁・首相、6度の蔵相を歴任。昭和恐慌期の金輸出再禁止と積極財政で景気回復を実現したが、軍
犬
犬養毅
憲政の神様・五・一五事件で斃れた宰相
備中国賀陽郡川辺村(現・岡山県岡山市)に生まれる。慶應義塾・東京専門学校(早稲田)で学んだ後、自由民権運動に加わり政治家の道を歩んだ。板垣退助とともに自由党、の
原
原敬
平民宰相・初の本格的政党内閣首相
陸奥国岩手郡盛岡(現・岩手県盛岡市)の南部藩士の家に生まれる。明治維新後、薩長藩閥が政権を独占する中、東北出身者として苦労しながら外務省・内務省などで官吏を務め
後
後藤新平
医師出身の都市計画家・拓殖大学第3代学長
1857年、陸奥国胆沢郡塩釜村(現・岩手県奥州市)の仙台藩留守氏家臣の家に生まれた。須賀川医学校卒業後、名古屋で医師となり内務省衛生局に入局。1892年、衛生局
後
後藤新平
台湾民政長官・関東大震災後の東京復興計画立案者
陸奥国胆沢郡(現・岩手県奥州市)に生まれる。医師として出発し、愛知県立医学校校長を務めた後、児玉源太郎台湾総督の下で台湾民政長官(1898-1906年)に就任し
秋
秋山好古
日本騎兵の父
伊予松山藩下級武士の家に生まれる。弟は海軍作戦参謀・秋山真之。名古屋陸軍教導団を経てフランスに留学し、サンシール士官学校で2年間騎兵戦術を学んだ。帰国後、陸軍騎
坪
坪内逍遥
近代日本文学の父・小説神髄著者
美濃国加茂郡太田宿(現・岐阜県美濃加茂市)に生まれる。東京大学文学部を卒業後、近代日本文学の理論的基礎を確立した。1885年に「小説神髄」を著し、小説は社会的・
嘉
嘉納治五郎
講道館柔道創始者・日本体育の父
1860年、摂津国御影村(現・神戸市東灘区)の廻船・酒造業を営む家に生まれた。東京大学文学部で政治学・理財学を学ぶ傍ら、天神真楊流・起倒流の柔術を修行。1882
白
白瀬矗
日本初の南極探検家・開南丸・大和雪原
1861年(文久元年)6月13日、出羽国由利郡金浦村(現・秋田県にかほ市)の浄土真宗本願寺派寺院・浄蓮寺の住職・白瀬知道の長男として生まれた。幼名・知教。幼少期
内
内村鑑三
無教会主義・『代表的日本人』・不敬事件
1861年(文久元年)3月26日、江戸・小石川に高崎藩士・内村宜之の長男として生まれた。東京英学校(現・青山学院)を経て、1877年(明治10年)札幌農学校(現
森
森鴎外
軍医総監にして文豪
1862年、石見国鹿足郡津和野町(現・島根県津和野町)に津和野藩典医・森静男の長男として生まれた。本名・林太郎。幼時から漢学・蘭学に秀で、10歳で上京、12歳で
新
新渡戸稲造
農学者・「武士道」の著者
岩手県出身の農学者・教育者・思想家。「太平洋の橋にならん」を生涯の志とし、日本とアメリカをはじめ東西文化の架け橋として活躍した。1900年に英語で著した「武士道
新
新渡戸稲造
武士道を世界に伝えた国際人
明治・大正・昭和初期の農業経済学者・教育者・国際人。岩手県盛岡(南部藩)に生まれ、札幌農学校(現・北海道大学)でウィリアム・スミス・クラーク博士の薫陶を受けた。
山
山極勝三郎
世界初の人工癌生成に成功した病理学者
1863年、信濃国上田(現・長野県上田市)の武家に生まれた。東京帝国大学医科大学を卒業、ドイツに留学してウィルヒョウの流れを汲む病理学を学んだ。帰国後、東京帝大
岡
岡倉天心
日本美術の守護者・東洋文明の伝道師
越前国(現・福井県)福井生まれ。横浜で育ち、英語を早くから習得した。東京大学(前身の開成学校)でアーネスト・フェノロサと出会い、日本美術の調査・研究に携わった。
津
津田梅子
女子教育の先駆者
1864年、江戸に生まれる。父・津田仙は農業改良を推進した進歩的農学者であった。1871年、岩倉使節団に随行する最年少の女子留学生として、わずか6歳で渡米した。
二
二葉亭四迷
日本初の近代小説「浮雲」の著者
江戸・牛込(現・東京都新宿区)に生まれる。本名は長谷川辰之助。東京外国語学校でロシア語を学び、ツルゲーネフらのロシア文学に傾倒した。坪内逍遥の「小説神髄」の理念
津
津田梅子
女子教育の先駆者
明治・大正時代の教育者・女子教育の先駆者。1871年(明治4年)、わずか6歳で岩倉使節団に随行する女子留学生の一人として渡米した。約11年間をアメリカで過ごし、
黒
黒田清輝
日本近代洋画の父・「湖畔」「読書」
1866年、薩摩国鹿児島城下東千石馬場町に薩摩藩士・黒田清兼の長男として生まれた。後に伯父・子爵黒田清綱の養子となる。1884年、法律家を目指して18歳でフラン
正
正岡子規
俳句・短歌革新の祖
1867年、伊予国温泉郡(現・愛媛県松山市)に松山藩士・正岡常尚の長男として生まれた。本名・常規(つねのり)。父を5歳で亡くし、母方の祖父・大原観山の厳格な漢学
豊
豊田佐吉
トヨタの祖——自動織機の発明王
1867年3月19日(慶応3年2月14日)、遠江国敷知郡山口村(現・静岡県湖西市山口)の大工・豊田伊吉の長男として生まれた。貧しい農家兼大工の家で、小学校卒業後
夏
夏目漱石
吾輩は猫である・こころ
江戸(東京)牛込区馬場下横町に生まれる。本名・夏目金之助。生後すぐ養子に出され複雑な幼少期を過ごした。東京帝国大学英文科を卒業後、松山中学・第五高等学校で英語を
南
南方熊楠
「知の巨人」・18言語を操り粘菌を愛した世界的博物学者
和歌山に生まれた熊楠は、子供の頃から百科事典を丸暗記するような記憶力の怪物だった。東京大学予備門(後の東京帝国大学)に進んだが馴染めず中退。21歳で単身渡米し、
尾
尾崎紅葉
明治文壇の王者・金色夜叉の作者
明治の小説家。東京大学予備門時代に坪内逍遙の「小説神髄」に啓発されて写実主義的な小説を志した。1885年に山田美妙・石橋思案らと「硯友社(けんゆうしゃ)」を結成
明治以降
MEIJI ONWARDS
— 59
横
横山大観
近代日本画の巨匠
1868年(明治元年)、常陸国水戸(現・茨城県水戸市)に旧水戸藩士・酒井捨彦の長男として生まれた。本名・秀麿、後に横山姓に改めた。1889年、東京美術学校(現・
秋
秋山真之
天才参謀・坂の上の雲
伊予国松山藩(愛媛県)出身。兄は陸軍中将の秋山好古。海軍兵学校を首席で卒業後、アメリカに留学してアルフレッド・マハンの海軍戦略理論を直接学んだ。帰国後はその知識
西
西田幾多郎
京都学派の祖・『善の研究』著者
1870年、加賀国石川郡宇ノ気村(現・石川県かほく市)の旧庄屋・西田得登(やすのり)の長男として生まれた。第四高等中学校で鈴木大拙と同級となり生涯の親友となる。
鈴
鈴木大拙
禅を世界に広めた仏教学者
1870年、加賀国金沢(現・石川県金沢市)の医師・鈴木良準の四男として生まれた。本名・貞太郎。第四高等中学校で西田幾多郎と同級となり生涯の親友となる。1891年
志
志賀潔
赤痢菌発見者
1871年、仙台に生まれた。帝国大学医科大学(現・東京大学医学部)を卒業後、北里柴三郎の伝染病研究所に入所。1897年、日本で赤痢が流行し9万人以上の患者と多数
樋
樋口一葉
たけくらべ・24歳で夭折
東京府本郷生まれ。父・則義の死後、家計を支えるために小説家を志した。中島歌子の萩の舎で和歌を学び、半井桃水に師事して小説の修業を積んだ。当初は経済的に苦しく、下
鈴
鈴木梅太郎
世界初のビタミン発見者
1874年、静岡県榛原郡の農家に生まれた。東京帝国大学農科大学で農芸化学を学び、ドイツ・ベルリン大学に留学してエミール・フィッシャー教授に師事。1906年に帰国
高
高浜虚子
近代俳壇の大宗匠
1874年、愛媛県温泉郡長町新町(現・松山市湊町)に旧松山藩士・池内政忠の五男として誕生。本名・池内清。9歳のとき祖母の実家・高浜家を継ぎ高浜清と名乗った。松山
柳
柳田国男
日本民俗学の父
日本民俗学の創始者。農商務省の官僚として各地を巡りながら農村の実態を調査し、1910年に「遠野物語」を発表して民俗学研究の先駆者となった。遠野(岩手県)の農山村
野
野口英世
黄熱病研究の医学者
福島県猪苗代町の貧しい農家に生まれる。幼少期に囲炉裏に落ちて左手に大やけどを負い、その治療を施した外科医・渡部鼎の姿に感動して医学を志した。上京後、済生学舎を経
野
野口英世
黄熱病に挑んだ細菌学者
明治・大正時代の細菌学者。福島県猪苗代町に生まれた。幼少期に囲炉裏の火に落ちて左手に重度の火傷を負ったが、手術によって機能を回復し、医師を志すようになった。渡米
吉
吉田茂
戦後日本を形作った「ワンマン宰相」
1878年9月22日、東京に自由民権運動家・竹内綱の五男として生まれ、横浜の貿易商・吉田健三の養子となった。東京帝国大学法科大学政治科を卒業後、外務省に入り奉天
与
与謝野晶子
情熱の歌人
1878年、大阪府堺市の老舗和菓子商「駿河屋」の三女として生まれた。本名は鳳志やう。幼少期から店番の傍ら古典文学を乱読し、和歌の才能を開花させた。1900年、大
寺
寺田寅彦
物理学者・随筆家
高知県出身の物理学者・随筆家。夏目漱石の小説「吾輩は猫である」に登場する理学士・水島寒月のモデルとされる。東京帝国大学で物理学を学び、ドイツ留学後に東大助教授・
滝
滝廉太郎
「荒城の月」「花」——23歳で逝った天才作曲家
1879年(明治12年)8月24日、東京・芝に内務官僚・瀧吉弘の長男として生まれた。父の転任に従い神奈川・富山・大分を転々とし、富山時代(小学校)にピアノに出会
金
金田一京助
言語学者・啄木の最大の理解者
岩手県盛岡出身の言語学者。盛岡中学校で石川啄木と同窓となり、生涯の友にして最大の理解者となった。啄木の才能を誰よりも信じ、借金の無心が来るたびに家財道具を質に入
山
山本五十六
連合艦隊司令長官
新潟県長岡市出身。海軍兵学校を卒業後、日露戦争の日本海海戦に参加し左手の指2本を失った。その後ハーバード大学に留学してアメリカの国力と工業生産力を熟知し、「米国
北
北原白秋
童謡と詩の巨人
1885年、福岡県山門郡沖端村(現・福岡県柳川市)に酒造業を営む豪商・北原長太郎の長男として生まれた。本名・北原隆吉。柳川は町中に水路が巡る「水郷」として知られ
藤
藤田嗣治
乳白色の肌・エコール・ド・パリの巨匠
1886年、東京・牛込に陸軍軍医・藤田嗣章の次男として生まれた。東京美術学校西洋画科で黒田清輝に学び、1910年に卒業。1913年、26歳で単身フランスに渡り、
山
山田耕筰
「赤とんぼ」「からたちの花」・日本初の本格オーケストラ創設
1886年(明治19年)6月9日、東京・本郷に宣教医・山田謙造の子として生まれた。キリスト教家庭で育ち、幼少期から賛美歌に親しむ。1904年東京音楽学校(現・東
谷
谷崎潤一郎
耽美派の巨匠
1886年、東京市日本橋区蛎殻町(現・東京都中央区)の活版印刷業を営む中流商家に生まれた。府立一中から第一高等学校を経て東京帝国大学国文科に進んだが授業料未納で
石
石川啄木
生活の歌人、26歳で散る
1886年、岩手県南岩手郡日戸村(現・盛岡市)に曹洞宗・常光寺の住職石川一禎の長男として生まれた。本名・石川一(はじめ)。1歳の時、父が渋民村の宝徳寺住職に転任
平
平塚らいてう
青鞜社創立・「元始、女性は太陽であった」・新婦人協会
1886年(明治19年)2月10日、東京・麹町に会計検査院官僚・平塚定二郎の三女として生まれた。本名・奥村明(はる)。筆名「らいてう(雷鳥)」は高山の鳥の名に由
久
久保田万太郎
浅草の情趣を詠んだ小説家・俳人
1889年(明治22年)、東京・浅草田原町の袋物商の家に生まれた。慶應義塾大学在学中に小説「朝顔」で永井荷風に認められ、以後小説・戯曲・俳句のすべてを手がける多
近
近衛文麿
日中戦争期の首相・昭和の悲劇的宰相
五摂家筆頭・近衛家の出身で、明治・昭和期の政治家。容姿端麗で貴族的な雰囲気を持ち、国民的な人気を誇った。1937年に第34代内閣総理大臣に就任し、日中戦争が勃発
久
久米三汀(久米正雄)
小説家・劇作家・俳人
1891年(明治24年)、長野県上田市に生まれた。東京帝国大学在学中に芥川龍之介・菊池寛らと第三次「新思潮」を興し、大正文壇の一翼を担った。小説「螢草」「受験生
芥
芥川龍之介
大正文学の天才——「羅生門」「鼻」の作者
1892年3月1日、東京市京橋区(現・中央区明石町)に牛乳製造販売業・新原敏三の長男として生まれた。生後7ヶ月で母ふくが精神を病み、芥川家(母の実兄・道章の養家
水
水原秋桜子
ホトトギス「四S」・俳誌「馬酔木」主宰
1892年(明治25年)、東京・神田の産婦人科医の家に生まれた。東京帝国大学医学部を卒業し、父の病院を継ぐ傍ら、高浜虚子に師事して俳句に打ち込んだ。昭和初期、山
市
市川房枝
婦人参政権獲得・新婦人協会・参議院議員
1893年(明治26年)5月15日、愛知県中島郡明地村(現・一宮市)に市川藤九郎の次女として生まれた。愛知県女子師範学校(現・愛知教育大学)を1913年卒業、小
高
高野素十
ホトトギス「四S」の一人・客観写生の俳人
1893年(明治26年)、茨城県山王村(現・取手市)に生まれた。旧制水戸中学・第一高等学校を経て東京帝国大学医学部に進み、法医学を専攻。東京帝大助教授、新潟医科
宮
宮城道雄
「春の海」——盲目の箏曲家・新日本音楽の旗手
1894年(明治27年)4月7日、兵庫県神戸市に生まれた。生後200日ほどで目を患い、7歳で完全に失明。8歳で神戸の2世中島検校に入門し箏曲を学び、11歳で免許
松
松下幸之助
「経営の神様」——パナソニック創業者
1894年11月27日、和歌山県海草郡和佐村(現・和歌山市)の地主・松下政楠の三男として生まれた。幼少期に父が米相場で失敗し一家は没落、9歳で小学校を中退し大阪
岸
岸信介
「昭和の妖怪」——安保改定を成し遂げた首相
1896年11月13日、山口県山口町(現・山口市)に佐藤秀助・茂世の次男として生まれた。幼少期に父の実家である岸家の養子となる。東京帝国大学法学部を首席級の成績
宮
宮沢賢治
岩手が生んだ銀河の詩人——『銀河鉄道の夜』『雨ニモマケズ』の作者
1896年8月27日、岩手県稗貫郡里川口村(現・花巻市豊沢町)の質屋・古着商「宮澤商店」を営む宮沢政次郎の長男として生まれた。同年の三陸地震・明治三陸大津波(6
池
池田勇人
所得倍増計画を掲げた高度成長の設計者
1899年12月3日、広島県豊田郡吉名村(現・竹原市)の酒造家・池田吾一郎の次男として生まれた。第一高等学校を経て京都帝国大学法学部を卒業(1925年)、大蔵省
川
川端康成
日本初のノーベル文学賞作家
1899年、大阪市北区此花町(現・天神橋筋)に医師・川端栄吉の長男として生まれた。2歳で父、3歳で母を、7歳で祖母、10歳で姉、15歳で祖父をすべて亡くし、孤児
阿
阿波野青畝
ホトトギス「四S」・俳誌「かつらぎ」主宰
1899年(明治32年)、奈良県高市郡高取村に生まれた。本名は敏雄。幼少期に聴力を失い、生涯難聴に苦しんだが、その分だけ視覚的感受性を研ぎ澄ました。高浜虚子に師
杉
杉原千畝
命のビザ
岐阜県出身の外交官。幼少期から語学の才を発揮し、ハルビンでロシア語を学んで外務省に入省した。1940年、リトアニア・カウナスの日本領事館に赴任中、ナチスの迫害か
佐
佐藤栄作
沖縄返還を実現したノーベル平和賞首相
1901年3月27日、山口県熊毛郡田布施町に佐藤秀助・茂世の三男として生まれた。兄は岸信介(佐藤家からの養子で姓が異なる)。第五高等学校を経て東京帝国大学法学部
林
林芙美子
放浪記の作者・庶民の文豪
尾道・下関などを転々とした行商人の家庭に生まれ、貧しい幼少期を過ごした女流作家。「花の命は短くて苦しきことのみ多かりき」は「放浪記」の冒頭として知られる名文句。
永
永井龍男
小説家・俳人・文化勲章受章者
1904年(明治37年)、東京・神田に生まれた。文藝春秋社に長年勤め、菊池寛のもとで編集者として出版界を支え、戦後は「オール讀物」「文藝春秋」の編集長を歴任した
本
本田宗一郎
夢と情熱でホンダを世界企業に育てた技術者社長
1906年11月17日、静岡県磐田郡光明村(現・浜松市天竜区)の鍛冶屋・本田儀平の長男として生まれた。二俣尋常高等小学校卒業後の1922年、東京の自動車修理会社
湯
湯川秀樹
日本初ノーベル物理学賞・中間子理論
東京市小石川(現・文京区)に生まれ、京都で育つ。父・小川琢治は地質学者、兄弟にも学者が多い学術的な家庭で育った。京都帝国大学理学部で物理学を学び、1933年に大
細
細見綾子
「風」主宰・戦後女流俳句の大家
1907年(明治40年)、兵庫県氷上郡(現丹波市)の豪農の家に生まれた。日本女子大学国文科卒業後、結核療養を経て俳句に専念。松瀬青々に師事し、のち夫となる沢木欣
東
東山魁夷
戦後日本画の風景巨匠
1908年(明治41年)7月8日、横浜市生まれ、後に神戸市で育った。本名・東山新吉。1926年東京美術学校(現・東京藝術大学)日本画科入学、結城素明に師事。19
井
井深大
ソニー共同創業者——技術志向の経営者
1908年4月11日、栃木県上都賀郡日光町(現・日光市)に生まれた。父・井深甫は早稲田大学卒の電気技師で、大生後まもなく父が亡くなり母子で神戸に移住。早稲田中学
太
太宰治
無頼派の旗手——『人間失格』の作者
1909年6月19日、青森県北津軽郡金木村(現・五所川原市金木町)の大地主・貴族院議員・津島源右衛門の六男として生まれた。本名・津島修治。豪邸「斜陽館」(現・太
岡
岡本太郎
「芸術は爆発だ」太陽の塔の作者
1911年(明治44年)2月26日、神奈川県橘樹郡高津村二子(現・川崎市高津区)に漫画家・岡本一平と歌人・小説家の岡本かの子の長男として生まれた。本名・岡本太郎
田
田中角栄
「今太閤」と呼ばれた庶民派宰相
1918年5月4日、新潟県刈羽郡二田村(現・柏崎市)の貧しい農家・田中角次の長男として生まれた。地元の二田尋常高等小学校卒業のみで上京、土木建築業に従事しながら
中
中曽根康弘
「ロン・ヤス」関係を築いた長期政権首相
1918年5月27日、群馬県群馬郡高崎町(現・高崎市)の材木商・中曽根松五郎の次男として生まれた。第一高等学校を経て東京帝国大学法学部政治学科卒業(1941年)
草
草間時彦
戦後俳壇を率いた「沖」同人・俳人協会会長
1920年(大正9年)、東京に生まれた。慶應義塾大学医学部を中退し、戦後は製薬会社に勤める実業家として働きながら俳句を本格的に始めた。石田波郷・能村登四郎に師事
盛
盛田昭夫
ソニー共同創業者——グローバル戦略の先駆者
1921年1月26日、愛知県名古屋市白壁町に、江戸時代初期から続く造り酒屋(盛田家第15代当主・盛田久左衛門)の長男として生まれた。旧制愛知一中・第八高等学校を
三
三島由紀夫
昭和の鬼才、市ヶ谷で散る
1925年、東京市四谷区永住町(現・新宿区四谷)に農林省官僚・平岡梓の長男として生まれた。本名・平岡公威。学習院初等科・中等科・高等科を全て首席で卒業、1944
草
草間彌生
前衛の女王、水玉と無限の網
1929年(昭和4年)3月22日、長野県松本市に種苗業を営む裕福な家庭の長女として生まれた。10歳頃から幻覚・幻聴に悩まされ、見えるものをスケッチすることで自己
稲
稲盛和夫
京セラ・KDDI創業者——平成の「経営の神様」
1932年1月21日、鹿児島市薬師町の印刷業・稲盛畩市(けさいち)の次男として生まれた。幼少期に結核を患い、宗教書『生命の實相』を読み生きる意味を問うた。鹿児島
石
石原慎太郎
作家・政治家・元東京都知事
神戸市生まれ。一橋大学在学中の1956年に小説「太陽の季節」で芥川賞を受賞し、文壇に鮮烈なデビューを果たした。昭和30年代の若者文化「太陽族」ブームを巻き起こし
利
利根川進
抗体多様性の遺伝的原理を解明したノーベル賞科学者
1939年9月5日、愛知県名古屋市に生まれた。京都大学理学部化学科を卒業、大阪大学大学院理学研究科修士課程修了後、米カリフォルニア大学サンディエゴ校で博士号取得
辻
辻桃子
俳誌「童子」主宰・現代俳人
1945年(昭和20年)、東京に生まれた。武蔵野女子大学卒業。波多野爽波に師事し、1992年に俳誌「童子」を創刊・主宰。現代俳句の普及と初心者への裾野拡大に力を
山
山中伸弥
iPS細胞開発・ノーベル賞科学者
1962年9月4日、大阪府東大阪市に生まれた。神戸大学医学部卒業後、国立大阪病院で整形外科医として研修。しかし手術の不器用さと「治せない患者」への無力感から基礎
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